白血病ウイルスHTLV-1の新たな発がんプロセスを解明
-がん化の鍵となるメカニズムを発見-

●本邦に感染者の多いヒトT細胞白血病ウイルス1型(HTLV-1)は、非常に予後が悪い白血病(成
人T細胞白血病:ATL)を引き起こしますが、HTLV-1の発がん機構は充分にわかっていません。
●HTLV-1に感染した細胞と白血病化したがん細胞を比較し、“がん細胞”に特徴的で重要なシグナル経路と標的分子を新たに発見しました。
●治療選択肢が限られている白血病に対する新たな治療法の開発に繋がる重要な知見です。
(概要説明)
熊本大学大学院生命科学研究部 血液・膠原病・感染症内科学講座のWenyi Zhang大学院生、七條敬文助教、安永純一朗教授らの研究グループは、これまでヒトT細胞白血病ウイルス1型(HTLV-1)※1の発がん機構について研究を進めてきました。HTLV-1は“血液のがん”である成人T細胞白血病(ATL)※2を引き起こします。ATLは非常に予後不良な疾患ですが、治療選択肢が限られており、新しい治療法の開発が喫緊の課題です。
本研究グループでは、HTLV-1による発がん機構や新規治療標的として、ウイルス遺伝子HBZ※3に着目し研究をしています。昨年度、HBZが活性化するTGF-β/Smad経路※4がHTLV-1の発がん機構として重要であると報告しました(PNAS,2024)。しかし、HBZはHTLV-1感染細胞からATL細胞まで一貫して発現しますが、HTLV-1感染者の一部の方だけがATLを発症します。HTLV-1感染細胞とATL細胞の間でのHBZの機能の違いについては明らかとなっておりませんでした。
今回、ATL細胞に特徴的ながん化の鍵となるメカニズムの解明を目的に研究を進めた結果、HBZタンパク質は、HTLV-1感染細胞と異なりATL細胞では核の中に多く存在することがわかりました。さらに、ATL細胞では、HBZはTGF-β/Smad経路の活性化により細胞質から核へ移動しましたが、HTLV-1感染細胞では移動しませんでした。ATL細胞ではHBZタンパク質が核内に存在すること(核局在)が発がんに重要であると考えられました。
HBZの核局在の責任分子として、細胞タンパク質であるAP-1ファミリー※5のJunBを同定し、さらにTGF-β/Smad経路の下流で作用しATL細胞の生存に重要な働きを有することが明らかとなりました。また、マウスを用いた実験で、JunB遺伝子を発現低下させたATL細胞では、ATLの腫瘍増殖が抑制されたことから、ATL腫瘍形成や増殖におけるJunBの重要性を証明しました。
本研究により、HTLV-1の発がんメカニズムをウイルス学的知見から解明しただけでなく、ATLに対する新しい治療薬の開発に繋がることが期待できます。
本研究成果は令和7年6月24日に米国科学アカデミーが発刊する『米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Science:PNAS)』に掲載されました。
また、本研究は国立研究開発法人日本医療研究開発機構 新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業「HTLV-1関連疾患の高精度予測法の確立とATL細胞リプログラミングによる樹状細胞療法の開発」、同先端的バイオ創薬等基盤技術開発事業「デリバリーと安全性を融合した新世代核酸医薬プラットフォームの構築」、同次世代がん医療創生研究事業(P-CREATE)「免疫抑制性受容体TIGIT阻害活性を有する小分子化合物の開発研究」、独立行政法人日本学術振興会、公益財団法人SGH財団から研究資金の助成を受けて行われました。
(説明)
[背景]
HTLV-1感染者は、本邦に80万人、全世界ではアフリカ、中南米、カリブ海沿岸諸国、オーストラリア、パプアニューギニアなどを中心に約1000万人存在すると推定されています。HTLV-1が引き起こすATLは血液がんの中でも極めて予後が悪いため、より治療効果が期待できる新しい治療ターゲットの解明が望まれています。当研究室では、HTLV-1のウイルス遺伝子であるHBZがATL細胞に恒常的に発現し、HBZ遺伝子を発現抑制するとATL細胞の増殖が阻害されることから、HBZが関与するシグナル経路はATLの新しい治療ターゲットとなりうると考え、研究を進めて参りました。我々は昨年度、HTLV-1の新たな発がんメカニズムとして、HBZが活性化するTGF-β/Smad経路が宿主免疫から逃れるのみならず、細胞増殖の促進にも寄与することを明らかとし、ATL細胞におけるTGF-β/Smad経路の重要性を報告しました(PNAS, 2024)。
HTLV-1に感染したキャリアのうち約5%がATLを発症しますが、その発がん機構については不明な点が多く解明が望まれています。重要なことに、ウイルス遺伝子HBZはATL細胞だけでなく、HTLV-1感染細胞にも発現していますが、がん化していない感染細胞と、がん化したATL細胞の間でのHBZの機能の違いや発がんへの影響は不明でありました。そこで、ATL細胞に特徴的なHBZの機能やがん化の鍵となるメカニズムを解明することで、ATLに対する新たな治療ターゲットを明らかにできると考え、本研究を進めました。
[研究の内容]
HTLV-1感染細胞とATL細胞の、HBZの細胞内の分布や機能の違いを明らかにするために、HTLV-1キャリア6名、ATL患者10名から採取した血液検体を用い、近接ライゲーションアッセイ法※6を用いた細胞内タンパク質分布の検出を行いました。HTLV-1キャリア由来の感染細胞ではHBZは細胞質に多く分布していましたが、ATL患者由来のがん細胞では核に多く分布していました。
さらにHTLV-1の発がんメカニズムとして重要であるTGF-β/Smad経路を活性化させると、ATL細胞ではHBZの細胞質から核内へ移動しましたが、HTLV-1感染細胞では移動をしませんでした。
これらの結果から、ATL細胞に特徴的なHBZの核内での分布が、HTLV-1の発がんメカニズムとして重要であることが示唆されました。
次に、TGF-β/Smad経路による詳細ながん化の鍵となるメカニズムを明らかとするために、TGF-β/Smad経路を活性化させたATL細胞に対する網羅的遺伝子発現解析※7を行い、JunB遺伝子の発現がATL細胞に特徴的に上昇することがわかりました。また、JunB遺伝子を発現抑制させた細胞では、TGF-β/Smad経路の活性化によるHBZの核内への移動が抑制されたことから、JunBがHBZの核内移動の鍵であることが明らかとなりました。
また、JunB遺伝子を発現抑制した細胞では、遺伝子発現の変化が著しく抑制されたことから、TGF-β/Smad経路活性化における下流のシグナル経路におけるJunBの重要性が示唆されました。
実際に、マウスを用いた実験で、JunB遺伝子を発現低下させたATL細胞は、がんの増殖が抑制されたため、ATL腫瘍形成・進展においてJunBが主要な働きをすることが明らかとなりました。
JunB遺伝子の詳細ながん化の鍵となるメカニズムを明らかとするために、クロマチン免疫沈降シーケンシング※8を行ったところ、ATL細胞の特徴を司り細胞増殖に関連するIL-2RA遺伝子や、アポトーシスを抑制するBCL11B遺伝子の発現調節をしていることがわかりました。これらの結果から、JunBはATL細胞において、生存維持に重要な役割を果たしていることがわかりました。
[成果]
発がんに寄与するウイルス遺伝子HBZは、ATL細胞だけでなくHTLV-1感染細胞でも一貫して発現しますが、その機能の違いはわかっておりませんでした。本研究で、ATL細胞に特徴的なHBZの細胞内での局在とTGF-β経路の活性化による核内への移行が明らかとなりました。さらに、TGF-β/Smad経路の活性化をきっかけとして発現上昇したJunBがHBZを細胞質から核内へ移動させ、核内でのHBZとJunBが、ATL細胞の生存を助ける働きをすることが明らかとなりました。ATL細胞に特徴的で重要であるTGF-β-HBZ/JunB経路は、ATLの新たな治療ターゲットとなりうることを見出し、今後のATLに対する治療開発に重要な知見をもたらすことが期待されます。
[展開]
TGF-β経路の活性化は、ATL細胞の宿主免疫逃避と共に、自身の細胞増殖にも関連することから、TGF-β経路及びその下流の細胞内タンパク質をターゲットとした治療戦略は免疫逃避の抑制と抗腫瘍作用の両面で効果が期待できます。本研究により、今まで着目されていなかったTGF-β経路やその下流のタンパク質がATLの新たな治療ターゲットとなりうることが明らかとなりました。今後は、本研究で得られた知見を元に、難治性の血液がんであるATLに対する有効な治療法の確立に貢献できることが期待されます。
[用語解説]
※1 ヒト T 細胞白血病ウイルス 1 型(HTLV-1)
ヒトに疾患を引き起こす病原性レトロウイルス。主にCD4陽性T細胞リンパ球に感染し、そのウイルス遺伝子が感染者のDNA内に組み込まれる。約5%の感染者が生涯の内に成人T 細胞白血病/リンパ腫(ATL)を発症する。
※2 成人T細胞白血病/リンパ腫(ATL)
HTLV-1に感染したCD4陽性Tリンパ球ががん化して発症する血液のがん。難治性の疾患であり、血液がんの中でも予後不良である。
※3 HBZ(HTLV-1 bZIP factor)
HTLV-1がコードするウイルス遺伝子で、感染者のDNA内に組み込まれた後、RNAとタンパク質双方の分子形態で機能する発がん作用を有しており、ATL細胞に恒常的に発現している。
※4 TGF-β/Smad経路
細胞増殖抑制、アポトーシス、細胞分化、血管新生など多様な作用を持つ。一般的に、初期がんではがん増殖を抑えることでがんの進展を阻害することが知られている。一方、悪性化したがんでは、細胞増殖抑制への感受性喪失と上皮間葉転換亢進による転移能を獲得し、がんの悪性化に寄与するとされている。
※5 AP-1ファミリー
ウイルス感染・サイトカイン・ストレスなど様々な刺激に応答して遺伝子発現を制御し、細胞の分化・増殖・アポトーシスなどを制御する転写因子。
※6 近接ライゲーションアッセイ法
これまで検出困難であった内在性タンパク質やタンパク質間相互作用を高い特異性と感度で検出できる手法。
※7網羅的遺伝子発現解析
次世代シークエンス技術を利用することで、ゲノム全体での遺伝子発現を一度に測定できる解析手法。
※8 クロマチン免疫沈降シーケンシング
次世代シークエンス技術を利用することで、転写因子やその他のタンパク質のゲノム全体でのDNA結合部位を同定できる手法。
(論文情報)
論文名:JunB-HBZ nuclear translocation by TGF-β is a key driver in HTLV-1-mediated leukemogenesis
著者:Wenyi Zhang , Takafumi Shichijo , Xueda Chen , Miho Watanabe , Kisato Nosaka , Masao Matsuoka , Jun-ichirou Yasunaga
掲載誌:Proc Natl Acad Sci USA
doi:10.1073/pnas.2420756122
URL:https://doi.org/10.1073/pnas.2420756122
【お問い合わせ先】
熊本大学大学院生命科学研究部 血液・膠原病・感染症内科学講座
担当:教授 安永純一朗/ 助教 七條敬文
電 話 : 096-373-5156
e-mail: jyasunagATkumamoto-u.ac.jp/ tshichijoATkumamoto-u.ac.jp
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