平和を求めて とよはし展「”銃後の戦い”といわれてー勤労動員と統制下のくらし」愛知県豊橋市中央図書館にて開催中
戦時中の戦場ではなく、後方に焦点を当てた貴重な展示
戦時中の暮らしを物語る多数の資料が展示されている資料展「第6回平和を求めて とよはし展」が開かれています。今回は、戦争で人々の暮らしが制限されていった実態や、「東洋一の兵器工場」と言われた豊川海軍工廠(こうしょう)に動員された豊橋市内に住む女性の体験をもとにした兵器製造、多くの犠牲者を出した爆撃前後の様子などを紹介。戦場ではなく、後方に焦点を当てた「”銃後の戦い”といわれてー勤労動員と統制下のくらしー」をテーマにしています。
※ 戦争 の状況下で戦場における銃の後ろ、すなわち 前線 に対して、直接の戦場ではない後方という意味で用いられる。
戦時中の市民の暮らし「銃後の戦い」 現代とはかけ離れた生活を知る貴重な展示
この資料展では、日中戦争からアジア・太平洋戦争までの期間、1937(昭和12)年から45(同20)年の終戦まで約9年間にスポットを当てています。
戦時下では、多くの人が戦場に送り込まれました。そして、前線の戦士を支え勝利を目指し、後方の国民すべてに銃後の戦いが求められていました。地域産業の崩壊と軍需化、労働力の動員、統制下の暮らし…。現代とはかけ離れた生活を知ることができます。
41年、太平洋戦争が始まると物資不足は深刻さを増し、当時の豊橋市役所が町内会に出した配給物資に関する通知によると、子どもの菓子まで購入量が制限されました。当時の豊橋市役所からの食糧配給に関する通知も展示されています。
また、戦争の長期化により、年々、軍事費が膨れ上がり、政府はこれを補うため国民に貯蓄などの増強を勧めました。豊橋市が行った校区別の貯蓄実績調べも展示されています。質素倹約の苦しい生活の中、国民は貯蓄の目標額を達成し、献金しました。戦争に勝つため、全国民が果たすべき銃後の戦いであると信じていたからです。
豊橋市に住む女性の戦争体験から戦時中の様子を見る
会場では、豊橋市内に住む95歳になる女性、せつさんの戦争体験も紹介しています。
43年(昭和18年)に入学した豊橋高等家政女学校(現・私立藤ノ花女子高等学校)では、学業より軍需増強、食料増産を優先されていたそうです。そして、19年春から隣街の豊川市内にある豊川海軍工廠へ出動となりました。
寄宿舎で集団生活を送り、工廠では、機銃工場で旋盤を使った金属の加工作業にあたっていました。20年6月19日深夜からの豊橋空襲では、宿舎から豊橋の上空が赤く染まっているのを見たそうです。許可をもらい、いったん実家のあった豊橋市多米町に戻り、実家から寄宿舎に戻る際は飯田線が動いていなかったため、歩いて帰りました。豊川(とよがわ)に架かる鉄橋の上を歩いて渡った時は、とても怖かったことが今も強く印象に残っているそうです。
それから1カ月余り経った8月7日、豊川海軍工廠が米軍機によって大空襲を受けました。2500人以上が犠牲となりました。せつさんは、分工場で機銃の製造をしていたため、直接の爆撃には遭いませんでした。工場の外には遺体が続々と運ばれ、棺にする木箱が足らず、機銃を収める木箱が代用に使われたそうです。 約1週間後、終戦を迎えました。せつさんは「負けるとは思っていなかった」と当時を振り返っています。
主催する豊橋市図書館などは「一人でも多くの方が戦争のない平和な暮らしを考える機会にしていただければ」と来場を呼びかけています。
展示スケジュールについて
「第6回平和を求めて とよはし展 “銃後の戦い”といわれて―勤労動員と統制下のくらし―」
会期 2023年7月8日(土)~8月27日(日)
会場 豊橋市中央図書館2階展示コーナー
開館時間 9:30~19:00(土・日曜、祝日は17:00まで)
休館日 期間内の毎週月曜日と、8月25日(金)
図書館HP https://www.library.toyohashi.aichi.jp/facility/chuou/information/2023/07/post-364.html
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