ミトコンドリア翻訳のダイナミクスを描く
-網羅的で高解像度な手法が切り開くエネルギー工場の新知見-

(概要)
理化学研究所(理研)開拓研究所岩崎RNAシステム生化学研究室の岩崎信太郎主任研究員、脇川大誠リサーチアソシエイト、水戸麻理テクニカルスタッフⅠ、山城はるな特別研究員(研究当時)、戸室幸太郎大学院生リサーチ・アソシエイト、七野悠一上級研究員(研究当時、現筑波大学医学医療系教授)、東京大学大学院理学系研究科の濡木理教授、伊藤弓弦准教授、安藤佑真大学院生、同大学大学院工学系研究科の鈴木勉教授、長尾翌手可講師、東北大学加齢医学研究所の魏范研教授、谷春菜助教、熊本大学大学院生命科学研究部の富澤一仁教授、中條岳志准教授らの共同研究グループは、ミトコンドリア[1]内で行われるタンパク質合成(翻訳[2])の動態(ダイナミクス)を高精度に観測する新しい手法を開発し、ミトコンドリア翻訳[3]の複雑な動態、疾患での制御不全などを明らかにしました。
本研究成果は、ヒトのエネルギー代謝を担うミトコンドリアの仕組みの理解や、ミトコンドリア病[4]などミトコンドリア翻訳異常に関わる疾患の理解につながるものと期待されます。
ヒトの細胞の中には細胞質で起こる翻訳以外にもミトコンドリアの内部で起こる翻訳が存在します。ミトコンドリア内の翻訳を網羅的かつ高解像度に多検体で解析する手法は、望まれつつもこれまで存在しませんでした。
今回、共同研究グループは、新たに「MitoIP-Thor-Ribo-Seq法[5]」という手法を開発し、ミトコンドリア翻訳速度の計測や、ミトコンドリアtRNA(mt-tRNA)[6]修飾による翻訳の促進効果、ミトコンドリア病患者の細胞での翻訳制御不全といった、複雑な翻訳動態を明らかにしました。
本研究は、科学雑誌『Molecular Cell』オンライン版(11月12日付:日本時間11月13日)に掲載されます。
(今後の期待)
MitoIP-Thor-Ribo-Seq法は、ミトコンドリア翻訳の動態を網羅的かつ高解像度に多検体で測定できる新たな技術です。今回明らかになったミトコンドリア翻訳速度の多様性やmt-tRNA修飾の重要性は、ミトコンドリア病や加齢に伴うエネルギー代謝の機能不全や、その細胞種・組織不均一性の理解につながると期待されます。また、本手法はミトコンドリア翻訳異常を発端とするさまざまな疾患の治療標的の探索、ミトコンドリア翻訳の活性化を目的とする創薬研究にも応用が見込まれます。今後、さまざまな細胞や組織に本手法を適用することで、ミトコンドリア翻訳の多様性や調節メカニズムを解き明かし、エネルギー代謝の理解を大きく前進させることが期待されます。
(補足説明)
[1] ミトコンドリア
真核細胞内に存在する小器官で、独自のDNAを持ち、アデノシン三リン酸(ATP)を産生する「エネルギー工場」。
[2] 翻訳
メッセンジャーRNA(mRNA)([7]参照)に記された塩基配列をアミノ酸配列へ変換し、リボソーム([8]参照)でアミノ酸を結合してタンパク質を合成する過程。
[3] ミトコンドリア翻訳
ミトコンドリアDNAから写しとられたmRNAからタンパク質を合成する過程。ミトコンドリア内で、専用のミトコンドリアリボソームによって行われる。
[4] ミトコンドリア病
ミトコンドリア機能異常に基づく多臓器疾患の総称。代表的な病例として、脳卒中様エピソード(MELAS)([16]参照)、ミオクローヌスてんかん(MERRF)があり、ミトコンドリア翻訳異常が病因となることが多い。
[5] MitoIP-Thor-Ribo-Seq法
ミトコンドリア免疫沈降法(MitoIP)とRNA増幅法(Thor([11]参照))を組み合わせることでミトコンドリアリボソームの解析に特化したRibo-Seq法([9]参照)。網羅的かつ高精度にミトコンドリア翻訳を解析できる。
[6] ミトコンドリアtRNA(mt-tRNA)
ミトコンドリアDNAにコードされる22種類の転移RNA(tRNA)の総称。ミトコンドリアリボソームにmRNA情報に基づいたアミノ酸を供給し、翻訳伸長([14]参照)を支える。
[7] メッセンジャーRNA(mRNA)
タンパク質のアミノ酸配列情報(コドン)を持つRNA。リボソームによってコドンが読み取られることでタンパク質が合成される。
[8] リボソーム
リボソームRNA(rRNA)とリボソームタンパク質で構成される巨大複合体。
[9] Ribo-Seq法
翻訳装置であるリボソームを抽出し、リボソームと結合しているmRNA配列を同定することで、どの遺伝子がどの程度の効率で翻訳されているかを解析する手法。リボソームは大きな複合体であり、一定のmRNA領域を覆うように結合するため、これらのリボソームとmRNAの複合体をRNA分解酵素で処理すると、リボソームが保護するmRNA断片だけが分解されずに回収される。
[10] 免疫沈降法
特定のタンパク質やタンパク質複合体を抗体によって沈殿させ、目的の分子や小器官を選択的に回収・濃縮する方法。
[11] Thor
T7 RNAポリメラーゼを用いて、RNAを鋳型にRNAを増幅する手法。Ribo-Seq法において、フットプリントの増幅に用いられる。ThorはT7 high-resolution original RNAの略。
[12] ミトコンドリアリボソームランオフアッセイ法
一定時間を置きmRNA上で翻訳反応(ラン/run)しているミトコンドリアリボソームに、翻訳を終結させ、乖離(かいり)(オフ/off)させる実験手法。ミトコンドリア翻訳開始を阻害することで実験が可能になる。
[13] Ribo-Calibration法
絶対的なリボソーム数の測定を可能としたRibo-Seq法の変法。既知のリボソーム数(モル比)から成るmRNA・リボソーム複合体を細胞に添加し、Ribo-Seq法で得られたデータを補正することで、mRNA上で何個のリボソームが翻訳していたのかについて網羅的な情報が得られる。
[14] 翻訳伸長
mRNA上に結合したリボソームが、コドンを認識し、ペプチドを伸長させる反応を指す。
[15] 翻訳開始
リボソームがmRNA上の開始コドン上に結合するまでの一連の素過程(基本的な過程)を指す。
[16] 脳卒中様エピソード(MELAS)
ミトコンドリア病の一種で、エネルギー代謝異常により脳細胞が機能不全に陥ることで発症する。mt-tRNAの病原性点突然変異を原因とすることが多く、ミトコンドリア翻訳に異常を来す。
(論文情報)
<タイトル>
Monitoring the complexity and dynamics of mitochondrial translation
<著者名>
Taisei Wakigawa, Mari Mito, Yushin Ando, Haruna Yamashiro, Kotaro Tomuro, Haruna Tani, Kazuhito Tomizawa, Takeshi Chujo, Asuteka Nagao, Takeo Suzuki, Osamu Nureki, Fan-Yan Wei, Yuichi Shichino, Yuzuru Itoh, Tsutomu Suzuki, Shintaro Iwasaki
<雑誌>
Molecular Cell
<DOI>
10.1016/j.molcel.2025.10.022
【詳細】 プレスリリース(PDF1375KB)
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