我がアナウンサー人生に悔いナシ!?テレビ大阪新卒第1期生・伝説の『絶叫アナウンサー』千年屋俊幸がこの3月を以て定年退職!勤続38年、遂にゴールのチェッカーフラッグを受ける!
しかーし、アナウンサー「千年屋俊幸」は永遠に不滅!定年後も現役続行を高らかに宣言!
今年3月末で定年退職となる千年屋 俊幸(1959年3月13日生まれ)は、岡山県総社市出身。関西大学社会学部を卒業後の1981年4月(テレビ大阪の開局は1982年3月)に、テレビ大阪へ新卒の1期生として入社した。テレビ大阪への入社後は、スポーツ中継の実況を中心に、報道・情報・バラエティ番組の司会など幅広く活動。鈴鹿8時間耐久オートバイレースでは、レース前のオープニングからゴール後の花火まで、トイレにも行かず、食事もとらず無休息で、なんと『9時間16分』しゃべり続けた経験を持つ。アナウンサーになるきっかけは、関西大学の学生時代に社会学部の授業で番組制作に触れ、関関戦(関西大学と関西学院大学の体育会クラブの定期戦)のスポーツ実況を初体験、言葉で伝えることの難しさを痛感。にもかかわらず、アナウンサーになることを目指したという。
1989年から1998年までは、ロードレース世界選手権(WGP)の中継で「実況」を担当したのだが、1993年、原田哲也選手がGP250クラスチャンピオン決定の舞台となったスペイン・ハラマサーキットで、「ある事件」が起きた。迷惑なことに隣の放送席で実況をしていたWOWWOWの放送ブースまで『千年屋』の大声が入り込んでしまい、よその番組にまで『千年屋』の「絶叫」が流れてしまったのだ。この時、放送技術を担当していたテレビ大阪の技術部社員によると、レース前に日本への音声回線に不具合が生じ、急遽国際電話で実況音声を送ることになったのだが、マイクとヘッドホンが使えず、電話の受話器で実況したため、いつも以上に大きな声で実況、更には「日本人初の世界チャンピオン」誕生というレース展開も相まって最後は「絶叫」となった。
テレビ大阪の開局後初の新卒アナウンサーとして入社した千年屋俊幸は、2019年3月末日をもってサラリーマンとしては定年退職となり、入社以来38年に及ぶアナウンサー人生に一旦区切りをつけますが、これからもフリーのアナウンサーとしてテレビやイベント、ナレーションなど「生涯現役」を続けます。
★千年屋 俊幸(ちとせや・としゆき)
岡山県総社市出身。1959年3月13日生まれの60歳。1981年 テレビ大阪の新卒の第1期生として入社。
モータースポーツをはじめ、プロ野球中継、報道番組、情報、バラエティなど幅広い分野で活躍。4月以降もテレビ大阪『やさしいニュース(月~金夕方4時40分~)』の月、火を担当する。
座右の銘は「足るを知る」。趣味は、卓球、サックス演奏、ウォーキング、立ち飲み居酒屋めぐり。
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