ローマ教皇に単独謁見
ハンセン病に深い理解、戦争の悲劇にも言及
WHO(世界保健機関)のハンセン病制圧大使を務める笹川陽平=日本財団会長=は1月26日午前(現地時間)、バチカン宮殿でローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇に謁見し、ハンセン病の制圧と偏見・差別の撤廃に向け協力を要請しました。これに対し教皇はハンセン病制圧大使の活動に感謝の言葉を述べるとともに、「ハンセン病が治る病気であることを励みに引き続き活動していく必要がある」と深い理解を示しました。
また1981年と2019年に訪日経験を持つ教皇は、原爆投下後の長崎の写真として知られ、教皇自身が世界に広めるよう呼び掛けている「焼き場に立つ少年」の写真を取り出し、「戦争は悲劇、2度としてはならない」とも語りました。
また1981年と2019年に訪日経験を持つ教皇は、原爆投下後の長崎の写真として知られ、教皇自身が世界に広めるよう呼び掛けている「焼き場に立つ少年」の写真を取り出し、「戦争は悲劇、2度としてはならない」とも語りました。
23、24両日には、ローマ教皇庁と笹川保健財団の共催で2016年以来2度目の国際シンポジウムが開催され、教皇は同シンポジウムにも「ハンセン病がもたらす差別を糾弾し、是正していかなければならない」とのメッセージを寄せました。世界のカトリック信者は約13億人、総本山であるバチカンの協力はハンセン病制圧活動にも大きな力となっています。
▽ハンセン病の現状:1980年代にMDT(多剤併用療法)と呼ばれる治療法が確立し、ブラジルを除く各国がWHOの制圧基準「人口1万人当たりの患者数1人未満」を達成しています。現在も世界で毎年約20万人の新規患者が発生しているほか、2020年に発生した新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で各国のハンセン病対策事業が中断・遅延し、治療を受けられない患者が増える事態も発生しています。
笹川陽平・日本財団会長とフランシスコ教皇との会談
日本財団はバチカンで1月23、24日の両日国際ハンセン病会議を開催しました。1月26日、笹川陽平・日本財団会長は、バチカン宮殿に於いてフランシスコ教皇(His Holiness, Pope Francis、第266代教皇)と会談しました。以下会談の内容です。
笹川:お会いできて光栄です。私は世界のハンセン病を無くすための活動に尽力してきました。特にハンセン病は差別を伴う病気であり、その差別撤廃にも努力しています。今回はバチカンのお力をお借りして、ハンセン病の差別を無くす会議を開催し、会議が成功裏に終わったことを報告します(教皇は頷きながら話を聞く)。南米特にブラジルを中心にカトリックの国にはハンセン病の患者が沢山います。今回バチカンでハンセン病に関するシンポジウムを開催できたのは大きな成果です。引続き南米でも積極的に活動しますので、いずれまた報告をする機会を賜りたいと思います。
教皇:(左手の親指を上げながら)いつでもお待ちしています(the door is open)。
笹川:ハンセン病は完治しても社会から差別を受ける病気です。国によっては差別法が残っており、ハンセン病が完治してもレストランすら行けないこともあります。こうした差別により、回復者の多くは乞食で生計を立てているのが現状です(教皇は頷きながら話を聞く)。教皇台下の力をお借りし、世界からハンセン病を無くすこと、そして患者や回復者の生活向上並びに人権問題としての解決をみるよう、活動をして参りたいと思います。
教皇:アルゼンチン(※教皇はアルゼンチン出身)においてもハンセン病との闘いは続いています。アルゼンチンにもハンセン病は依然存在し、我々カトリック教会も情熱と魂(myth)を込めて活動をしています。
笹川:アルゼンチンにおいてもハンセン病患者をゼロにするよう活動することをお約束します(教皇は笑みをたたえながら話を聞く)。アルゼンチンが先日のサッカーW杯で優勝したことに祝意を表します。教皇台下はW杯をご覧になりましたでしょうか。
教皇:多くの人とコミュニケーションを取ることに多忙で、見ることが出来ませんでした。しかし今日貴殿からはじめて結果を伺うことが出来嬉しく思います。貴殿のハンセン病を無くす活動に感謝致します。病気が治るということは大切であり励みにとなります。
笹川:1980年代にハンセン病の特効薬MDTのお蔭で、今日まで約1600万人の患者を病気から解放できました。しかしまだまだ隠れた患者がいることも事実であります。
教皇:積極的に探して見つけなければなりません。
笹川:おっしゃる通りです。本日教皇台下にお目にかかることが出来、私たちは大きな勇気と力を頂きました。
教皇:ありがとうございます(教皇は両手の親指を上げる)。
笹川:教皇台下が訪日された際、日本国民は教皇台下を熱烈に歓迎致しました。何か日本での思い出はおありでしょうか。
教皇:日本には2回行ったことがあります。前回は長崎と広島を訪問しました。長崎では大変心を打たれました。何か特別なつながり(special connection)を感じました。長崎で1枚の戦争の写真を見ました。今その写真をお見せします(教皇はベルを押して写真を持ってくるよう連絡)。戦禍の犠牲となった少年の写真であり、大変心を打つものがありました。兄が、亡くなった弟を背負った写真です。この写真はアメリカ人の写真家が撮影したものです。残念ながら撮影者本人は体調が優れずお会い出来ませんでしたが、撮影者の息子と日本で会うことが出来ました。
笹川:教皇台下より、長崎そして広島の人に何かお伝えしたいことはおありでしょうか。
教皇:彼らは戦争で多くの苦しみを耐えてきた人々です。(写真を同席者に配りながら)日本の人々に
敬意を表します。この写真は亡くなった弟を火葬場で焼くために順番を待っている少年の写真です。アメリカの写真家が撮影したものです。少年は唇をかんで辛さに耐えた表情をしています。
笹川:広島では世界の指導者が集まり、核兵器のない時代をつくりたいと準備を進めているところです。教皇台下は長崎と広島の両市を訪問され、どのような感想をお持ちでしょうか。
教皇:戦争は悲劇です。戦争は二度としてはなりません。戦争は二度としてはなりません。(語気が強くなる)
笹川:私は6歳の時、戦争に直面しました。空襲があり、住んでいた町で生き残ったのは私と母の2人だけでした。世界の人の為に働くことは生き残った者の責務だと考えています。
教皇:すばらしいことです。
笹川:最後に、教皇台下にお願いがあります。欧州の人はハンセン病は過去の病気として考える傾向にありますが、アフリカ、アジアそして南米などには依然として多くの患者がいます。(Don’t Forget Leprosyのバナーを見せながら)このバナーを世界中で掲げたいと考えており、是非教皇台下と共にこのバナーと一緒に写真を撮らせていただきたいと思うのですがいかがでしょうか。
教皇:もちろんです。(教皇がベルを押して写真家を呼び、教皇と笹川がバナーと共に記念撮影)
笹川:この一枚の写真が世界中のハンセン病の人を救うことになるでしょう。お時間を頂戴し心より感謝申し上げます。
教皇:貴殿の活動に敬意を表します。
(この後、教皇よりメダルが手交され、握手の後本会談は終了しました)。
写真「焼き場に立つ少年」の裏側に記載されていた文言(原文はスペイン語のため、仮訳です):
「戦争の産物」
火葬場で死んだ弟を背負って順番を待っている子供。
アメリカの写真家ジョセフ・ロジャー・オドネルが長崎の原爆投下後に撮影した写真である。子供の悲しみは、噛まれた唇から血がにじみ出ることでしか表現できない。
【日本財団とは】
痛みも、希望も、未来も、共に。
日本財団は1962年、日本最大規模の財団として創立以来、人種・国境を
越えて、子ども・障害者・災害・海洋・人道支援など、幅広い分野の活動
をボートレースの売上金からの交付金を財源として推進しています。
https://www.nippon-foundation.or.jp/
1960年代からハンセン病の制圧と、それに伴う偏見や差別の撤廃へ向け
た活動を継続的に行っています。
https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/leprosy/about
▽笹川コメント:「Don’t Forget Leprosy/Hansen’s Disease」(ハンセン病を忘れない)と書かれたバナーを持った写真も撮ってくださった。フランシスコ教皇がどれだけ虐げられた人たちに対する温かい愛情があるかが一目瞭然である。ハンセン病の病気はもちろん、スティグマや差別に対しての活動を行うにあたって大きな力と勇気をいただいた。
▽ハンセン病の現状:1980年代にMDT(多剤併用療法)と呼ばれる治療法が確立し、ブラジルを除く各国がWHOの制圧基準「人口1万人当たりの患者数1人未満」を達成しています。現在も世界で毎年約20万人の新規患者が発生しているほか、2020年に発生した新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で各国のハンセン病対策事業が中断・遅延し、治療を受けられない患者が増える事態も発生しています。
笹川陽平・日本財団会長とフランシスコ教皇との会談
日本財団はバチカンで1月23、24日の両日国際ハンセン病会議を開催しました。1月26日、笹川陽平・日本財団会長は、バチカン宮殿に於いてフランシスコ教皇(His Holiness, Pope Francis、第266代教皇)と会談しました。以下会談の内容です。
笹川:お会いできて光栄です。私は世界のハンセン病を無くすための活動に尽力してきました。特にハンセン病は差別を伴う病気であり、その差別撤廃にも努力しています。今回はバチカンのお力をお借りして、ハンセン病の差別を無くす会議を開催し、会議が成功裏に終わったことを報告します(教皇は頷きながら話を聞く)。南米特にブラジルを中心にカトリックの国にはハンセン病の患者が沢山います。今回バチカンでハンセン病に関するシンポジウムを開催できたのは大きな成果です。引続き南米でも積極的に活動しますので、いずれまた報告をする機会を賜りたいと思います。
教皇:(左手の親指を上げながら)いつでもお待ちしています(the door is open)。
笹川:ハンセン病は完治しても社会から差別を受ける病気です。国によっては差別法が残っており、ハンセン病が完治してもレストランすら行けないこともあります。こうした差別により、回復者の多くは乞食で生計を立てているのが現状です(教皇は頷きながら話を聞く)。教皇台下の力をお借りし、世界からハンセン病を無くすこと、そして患者や回復者の生活向上並びに人権問題としての解決をみるよう、活動をして参りたいと思います。
教皇:アルゼンチン(※教皇はアルゼンチン出身)においてもハンセン病との闘いは続いています。アルゼンチンにもハンセン病は依然存在し、我々カトリック教会も情熱と魂(myth)を込めて活動をしています。
笹川:アルゼンチンにおいてもハンセン病患者をゼロにするよう活動することをお約束します(教皇は笑みをたたえながら話を聞く)。アルゼンチンが先日のサッカーW杯で優勝したことに祝意を表します。教皇台下はW杯をご覧になりましたでしょうか。
教皇:多くの人とコミュニケーションを取ることに多忙で、見ることが出来ませんでした。しかし今日貴殿からはじめて結果を伺うことが出来嬉しく思います。貴殿のハンセン病を無くす活動に感謝致します。病気が治るということは大切であり励みにとなります。
笹川:1980年代にハンセン病の特効薬MDTのお蔭で、今日まで約1600万人の患者を病気から解放できました。しかしまだまだ隠れた患者がいることも事実であります。
教皇:積極的に探して見つけなければなりません。
笹川:おっしゃる通りです。本日教皇台下にお目にかかることが出来、私たちは大きな勇気と力を頂きました。
教皇:ありがとうございます(教皇は両手の親指を上げる)。
笹川:教皇台下が訪日された際、日本国民は教皇台下を熱烈に歓迎致しました。何か日本での思い出はおありでしょうか。
教皇:日本には2回行ったことがあります。前回は長崎と広島を訪問しました。長崎では大変心を打たれました。何か特別なつながり(special connection)を感じました。長崎で1枚の戦争の写真を見ました。今その写真をお見せします(教皇はベルを押して写真を持ってくるよう連絡)。戦禍の犠牲となった少年の写真であり、大変心を打つものがありました。兄が、亡くなった弟を背負った写真です。この写真はアメリカ人の写真家が撮影したものです。残念ながら撮影者本人は体調が優れずお会い出来ませんでしたが、撮影者の息子と日本で会うことが出来ました。
笹川:教皇台下より、長崎そして広島の人に何かお伝えしたいことはおありでしょうか。
教皇:彼らは戦争で多くの苦しみを耐えてきた人々です。(写真を同席者に配りながら)日本の人々に
敬意を表します。この写真は亡くなった弟を火葬場で焼くために順番を待っている少年の写真です。アメリカの写真家が撮影したものです。少年は唇をかんで辛さに耐えた表情をしています。
笹川:広島では世界の指導者が集まり、核兵器のない時代をつくりたいと準備を進めているところです。教皇台下は長崎と広島の両市を訪問され、どのような感想をお持ちでしょうか。
教皇:戦争は悲劇です。戦争は二度としてはなりません。戦争は二度としてはなりません。(語気が強くなる)
笹川:私は6歳の時、戦争に直面しました。空襲があり、住んでいた町で生き残ったのは私と母の2人だけでした。世界の人の為に働くことは生き残った者の責務だと考えています。
教皇:すばらしいことです。
笹川:最後に、教皇台下にお願いがあります。欧州の人はハンセン病は過去の病気として考える傾向にありますが、アフリカ、アジアそして南米などには依然として多くの患者がいます。(Don’t Forget Leprosyのバナーを見せながら)このバナーを世界中で掲げたいと考えており、是非教皇台下と共にこのバナーと一緒に写真を撮らせていただきたいと思うのですがいかがでしょうか。
教皇:もちろんです。(教皇がベルを押して写真家を呼び、教皇と笹川がバナーと共に記念撮影)
笹川:この一枚の写真が世界中のハンセン病の人を救うことになるでしょう。お時間を頂戴し心より感謝申し上げます。
教皇:貴殿の活動に敬意を表します。
(この後、教皇よりメダルが手交され、握手の後本会談は終了しました)。
写真「焼き場に立つ少年」の裏側に記載されていた文言(原文はスペイン語のため、仮訳です):
「戦争の産物」
火葬場で死んだ弟を背負って順番を待っている子供。
アメリカの写真家ジョセフ・ロジャー・オドネルが長崎の原爆投下後に撮影した写真である。子供の悲しみは、噛まれた唇から血がにじみ出ることでしか表現できない。
【日本財団とは】
痛みも、希望も、未来も、共に。
日本財団は1962年、日本最大規模の財団として創立以来、人種・国境を
越えて、子ども・障害者・災害・海洋・人道支援など、幅広い分野の活動
をボートレースの売上金からの交付金を財源として推進しています。
https://www.nippon-foundation.or.jp/
1960年代からハンセン病の制圧と、それに伴う偏見や差別の撤廃へ向け
た活動を継続的に行っています。
https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/leprosy/about
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