キデイランド大阪梅田店で『TARO Christmas!』太陽の塔フェア 2020年11月27日(金)~12月16日(水)
~2020年のクリスマスは、みんな一緒に~
株式会社キデイランド(代表取締役社長:間宵 薫、本部:東京都千代田区)は、キデイランド大阪梅田店にて、太陽の塔をフィーチャーしたイベントを2020年11月27日(金)から12月16日(水)まで開催いたします。
写真撮影スポットとして、キデイランド店頭のショーウィンドウも太陽の塔仕様となり、太陽の塔ツリーも登場し、一気にクリスマス感を加速させます。
また、来て楽しめるスタンプラリーも開催し、参加された方には特製ポストカードのプレゼントもございます。
今年のクリスマスは、みんな一緒に「TARO Christmas!」を合言葉にキデイランドに遊びに来てください。
【協力:岡本太郎記念館】
■詳細URL:https://www.kiddyland.co.jp/event/2020taro_cristmas/
※なくなり次第終了です。予めご了承ください。
・ピンズ 太陽の塔 600円+税
・マグネット 太陽の塔 800円+税
・マスキングテープ 5種 各600円+税
・ポストカード 太陽の塔(クリアケース付き) 900円+税
・Tシャツ No.5 3,700円+税
・Tシャツ No.2 4,200円+税
3つ集めたら、ここでしかもらえない特製ポストカードプレゼントいたします。
※各日先着100名様
実物とは異なる場合がございます。
太陽の塔
1970年にアジア初の万博として開催された「日本万国博覧会」(大阪万博)で、テーマ館の一部として建設された高さ70mの塔。
テーマプロデューサーの岡本太郎が構想したもので、「大屋根」を突き破って屹立する象徴的な光景は、万博随一のアイコンとなった。
外部には過去・現在・未来を表す3つの顔をもち、内部は高さ41mの巨大造形「生命の樹」を擁する展示空間になっている。
塔内は万博閉幕後に閉ざされたが、2018年に耐震補強とともに再生。
現在は常設展示施設として一般公開されている。
岡本太郎(1911-1996)
芸術家。1929年に渡仏し、30年代のパリで前衛芸術運動に参画。
パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと行動をともにした。
40年帰国。戦後日本で独自の芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。
51年に縄文土器と出会い、翌年「縄文土器論」を発表。
50年代後半には日本各地を取材し、数多くの写真と論考を残した。
70年大阪万博のテーマプロデューサーに就任。太陽の塔を制作し、国民的存在になる。
96年に没した後も、若い世代に大きな影響を与え続けている。
『今日の芸術』『日本の伝統』(光文社)ほか著書多数。
写真撮影スポットとして、キデイランド店頭のショーウィンドウも太陽の塔仕様となり、太陽の塔ツリーも登場し、一気にクリスマス感を加速させます。
また、来て楽しめるスタンプラリーも開催し、参加された方には特製ポストカードのプレゼントもございます。
今年のクリスマスは、みんな一緒に「TARO Christmas!」を合言葉にキデイランドに遊びに来てください。
【協力:岡本太郎記念館】
■詳細URL:https://www.kiddyland.co.jp/event/2020taro_cristmas/
- お買い上げ特典
※なくなり次第終了です。予めご了承ください。
- 先行販売商品
- 期間限定特別販売
・ピンズ 太陽の塔 600円+税
・マグネット 太陽の塔 800円+税
・マスキングテープ 5種 各600円+税
・ポストカード 太陽の塔(クリアケース付き) 900円+税
・Tシャツ No.5 3,700円+税
・Tシャツ No.2 4,200円+税
- 見つける!岡本太郎芸術!スタンプラリー開催
3つ集めたら、ここでしかもらえない特製ポストカードプレゼントいたします。
※各日先着100名様
- 残す!岡本太郎芸術!!写真撮影スポットの設置
実物とは異なる場合がございます。
太陽の塔
1970年にアジア初の万博として開催された「日本万国博覧会」(大阪万博)で、テーマ館の一部として建設された高さ70mの塔。
テーマプロデューサーの岡本太郎が構想したもので、「大屋根」を突き破って屹立する象徴的な光景は、万博随一のアイコンとなった。
外部には過去・現在・未来を表す3つの顔をもち、内部は高さ41mの巨大造形「生命の樹」を擁する展示空間になっている。
塔内は万博閉幕後に閉ざされたが、2018年に耐震補強とともに再生。
現在は常設展示施設として一般公開されている。
岡本太郎(1911-1996)
芸術家。1929年に渡仏し、30年代のパリで前衛芸術運動に参画。
パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと行動をともにした。
40年帰国。戦後日本で独自の芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。
51年に縄文土器と出会い、翌年「縄文土器論」を発表。
50年代後半には日本各地を取材し、数多くの写真と論考を残した。
70年大阪万博のテーマプロデューサーに就任。太陽の塔を制作し、国民的存在になる。
96年に没した後も、若い世代に大きな影響を与え続けている。
『今日の芸術』『日本の伝統』(光文社)ほか著書多数。
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