100年前の大水害発生の地で高槻市長・職員が防災の決意新たに
淀川大塚切れ伝承式を10月1日に実施
大正6(1917)年10月1日、台風による連日の大雨で淀川の水位が上昇し、大塚地区の堤防が約200メートルにわたって決壊。淀川右岸一帯で被災戸数が15,358戸、被災人口は約65,000人と甚大な被害が発生しました。伝承式は、平成29年、大塚切れ100年記念事業として開催した「淀川サミット」をきっかけに始まったものです。当日、濱田市長のほか近畿地方整備局淀川河川事務所長をはじめ、淀川河川事務所ならびに同市職員約25人が大塚町の淀川堤防にある大塚切れ洪水記念碑前に集合。式では、濱田市長が「今後も流域全体で水害を軽減させる『流域治水』を推進し、災害に強い強靱なまちづくりに取り組んでいきます」と挨拶を行い、「淀川水流千古 變災來自有時 世人能思天意 居安必勿忘危(淀川の水は永遠に流れ続け、災害となって降りかかってくるときもある。人はそれも自然の摂理と受け止め、安楽に暮らしていても、絶対に危機のあることを忘れてはいけない)」などと、漢文で刻まれた洪水記念碑の要約文を参加した職員全員で読み上げました。
その後、同市職員代表が「我々は、『大塚切れ』を決して忘れることなく、心に刻み込み、大塚切れからの復旧やその後の水防対策に取り組まれた先人たちの並々ならぬご労苦に感謝するとともに、この大塚切れを後世に伝え、市民の安全・安心を守り続けて行くことを、改めてここに誓います」と決意を述べ、参加者は水害から市民の生命・財産を守り続ける決意を再確認しました。
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