アナウンサーはなぜ転職するのか? 転職アナの先駆け、内多勝康氏が綴る『53歳の新人 NHKアナウンサーだった僕の転職』刊行決定
畑違いの業界への転身に周囲や家族が示した反応、つらかった新人の日々、そして決断は正しかったとしみじみ思う現在まで—―人生100年時代の「折り返し転職記」が4月15日に発売されます。
内多氏はかつて、「NHKの顔」として活躍したキャスターでした。6年前、53歳となる年の春に現在の職場に転職。福祉業界で未経験の事務職に挑み、50代にして現場で怒られ落ち込みながらも医療的ケア児の短期入所施設「もみじの家」ハウスマネージャーとして経験を積んで、医療的ケア児とそのご家族のために奮闘しています。
転職の決意を後押ししたのは、仕事人として常に胸に持ち続けた「何のために、誰のために仕事をするのか」というこだわりでした。そんな思いはアナウンサーとしての仕事の中で芽生え、やがて人生後半戦への活力となりました。
人生100年時代、できるだけ長く、それも自分の納得のいく場所で働きたいと思う人は多いのではないでしょうか。内多氏の体験記はそんな読者へ向けて、人生における仕事観のヒントになるはずです。
転職の決意を後押ししたのは、仕事人として常に胸に持ち続けた「何のために、誰のために仕事をするのか」というこだわりでした。そんな思いはアナウンサーとしての仕事の中で芽生え、やがて人生後半戦への活力となりました。
人生100年時代、できるだけ長く、それも自分の納得のいく場所で働きたいと思う人は多いのではないでしょうか。内多氏の体験記はそんな読者へ向けて、人生における仕事観のヒントになるはずです。
■桝太一アナも、宮川悠太アナもーー放送業界から他分野へ飛躍するアナウンサーの先駆け的存在
日本テレビ・桝太一アナウンサーは同志社大ハリス理化学研究所の専任研究所員(助教)に、テレビ朝日・宮川悠太アナウンサーはトヨタ自動車に……昨今目にする、アナウンサーの「転職」。一見華やかで収入的にも過不足ないと思われる職業をなぜ辞めるのか、と疑問に感じる人は少なくないでしょう。どんなふうにテレビ局退職に舵を切り、転職に踏み切るのでしょう……?
■53歳、「仕事」と「やりがい」のバランスが保てなくなっていた……
「アナウンサーから異業種転職」組の一人である内多勝康さんの場合を綴ったのが本書です。その時、内多さんの胸に去来したのはどんな思いだったのかというと―ー。
組織で働いていれば定年がある。それはテレビアナウンサーだって同じことです。高松局を振り出しに、大阪、名古屋、仙台、そして東京で勤務し、「NHKの顔」として広くお茶の間に知られた内多勝康さんも、50の声を聞く頃には自然と若手に席を譲ることに。このまま定年まで粛々と、とは思うものの、本人の中では「仕事」と「やりがい」のバランスが保てない。
そんなとき、関心を寄せていた福祉の分野で思わぬ求人があることを知り、内多さんは医療的ケア児の短期入所施設「もみじの家」のハウスマネジャーになりました。超安定企業を辞める決心と家族の反応、未体験の職場で味わった苦労、それでも思い切って良かったと実感している現在まで、内多さんのあの声が聴こえてくるような中高年向けの転職体験記です。
■人生100年時代時代に到達すれば、50歳なんてまだようやく半分きたところ!
人生100年時代が現実化しつつあるということでしょうか、中高年の転職に関するニュースをよく目にするようになりました。定年が見えてきた50代の胸中は「このまま静かにその日まで過ごそう」「いや、まだまだやれる気がする」と悩ましいのが現実です(何を隠そう、担当編集者も50代です)。「まだやれる」にベクトルを向ければ、当然、転職も選択肢のひとつ。
転職サイトのアンケート結果を見ると、50代の転職希望理由の1位は、どの世代とも同じ「人間関係」でした。しかし2位は「経験を幅広く活かしたい」といったポジティブな理由。60代になると、勤めている会社で年収が落ちることも多くなってきます。「それならば、これまでの経験を活かして社会貢献したい」と考える方も多く、60代以降のキャリアを見据え、多少年収が落ちてもやりがいのある仕事に就くために転職を考えているのが50代の特徴だそうです。内多さんがまさにそうでした。
世間も「あっ」と驚いた思い切った転職の顛末と、50代にして異業種で新米として働く現実をユーモアを交えながら、しかし真面目に綴る本作を、ぜひ多くの中高年に読んでほしいです(若者が読んでくれてもうれしいですが)。人生捨てたもんじゃない!まだまだこれから!そんな感想が自然と湧いてくる、おすすめの1冊です。
■ 【目次】
第1章 小学校で送辞をしくじった少年はアナウンサーになった
実はアナウンサー希望ではなかった
イベントの司会が縁で企画提案――香川・高松放送局時代
関西弁と大阪のノリにはまる――大阪放送局時代
阪神・淡路大震災
震災報道で変わった意識
新たな世界を見せてくれた自閉症の青年
ふてくされから資格取得を思い立つ――名古屋放送局時代
47歳の専門学校新入生
2回目の東京勤務が転職の引き金に
第2章 「仕事」と「生きがい」のバランス
2012年、念願の東京へ
「真ん中が内多さんの机ですよ」
感銘を受けた言葉、「ソーシャルアクション」
いよいよ、NHK退職を伝える日
退職に迷いはなかったかとよく聞かれるけれど
第3章 53歳の新人はつらいよ
夢のような転職先「もみじの家」
まさかの急降下 その①:毎日ガラガラ
まさかの急降下 その②:役に立たない
居眠りをして怒られた!
50を過ぎて怒られて思うこと
広報担当として面目躍如
ハウスマネージャーとは何をする仕事なのか
避けて通れないお金の話
一番の達成感を味わえた報酬改定
大変さを知らなかったから思い切れたのかも
根が図太い、アナウンサー精神でがんばる
Hちゃんのグー、パー
命に関わることを痛感する職場
第4章 新しい取り組みに挑戦して得た達成感
もみじの家はどんなふうに利用されているのか
僕の平均的な一日
喋りは任せて!――講演会のこと
家族の声を一つに――医療的ケア家族会発足
最初のテーマは「人工呼吸器での通学」
家族会を全国組織へ
人と人をつなぐ幸せ
社会福祉士だからできること
今の仕事はディレクターと似ている
終章 仕事とは何か?
転職してよかったか?
仕事が変わっても変わらないもの
改めて僕にとって仕事とは何か
■書籍内容紹介
「安定」か、「やりがい」か? 世間が「あっ」と驚いた人生の決断のすべて。
「NHKの顔」だった著者も気づけば若手に席を譲る世代に。定年まで粛々とと覚悟するも、内心「仕事」と「やりがい」のバランスが保てない。そこへ関心があった福祉分野での求人を知りまさかの転職!超安定企業を辞める決心と家族の反応、新天地での苦労、それでも思い切って良かったと実感する現在までを綴る人生100年時代の「折り返し転職」体験記。
■著者紹介:内多 勝康
1963年東京生まれ。東京大学教育学部卒業後、NHKに入局。30年間アナウンサーとして「首都圏ネットワーク」「NHKスペシャル」「クローズアップ現代」等のキャスターを務め、阪神淡路大震災や東日本大震災の緊急報道にも携わる。2013年、社会福祉士の資格を取得。2016年にNHKを退職し、国立成育医療研究センターに新設された、医療的ケアが必要な子どもと家族のための短期入所施設「もみじの家」のハウスマネージャーに就任。2021年より、世田谷区医療的ケア相談支援センターのセンター長の職も担う。
*2022年3月27日、人工呼吸器やたんの吸引など日常的な医療ケアが欠かせない「医療的ケア児」とその家族が初めての全国組織「全国医療的ケアライン(通称:アイライン 代表:宮副和歩)」を発足させました。
内多勝康氏は医療的ケア児短期入所施設「もみじの家」ハウスマネージャーとして同組織の発足の呼びかけ人となり、イベントでは前職の経験を生かし司会進行も務めています。
(発足式典の様子はこちら)https://youtu.be/_746rL8it_k
■書籍データ
【タイトル】『53歳の新人 NHKアナウンサーだった僕の転職』
【著者名】内多勝康
【発売日】2022年4月15日
【造本】四六版ソフトカバー
【本体定価】1595円(税込)
【ISBN】978-4-10-352942-2
【URL】https://www.shinchosha.co.jp/book/354541/
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