【BS日テレ】「歌謡プレミアム」古賀政男最後の門下生・佳山明生が大ヒット曲「氷雨」や古賀メロディー「無法松の一生」「湯の町エレジー」を熱唱。古賀政男秘伝のボイトレも公開!「氷雨」のヒット秘話も!
7月28日(月)よる9時放送「歌謡プレミアム」(ゲスト:佳山明生)

5000曲もの演歌・歌謡曲を世に送り出した古賀政男が7月25日に47回目の命日を迎えた。そこで7月28日放送の歌謡プレミアムでは、古賀政男の最後の門下生・佳山明生をゲストに迎えて「我が恩師 古賀政男を唄う」と題し、往年の古賀メロディー「無法松の一生(度胸千両入り)」「湯の町エレジー」を熱唱。古賀政男秘伝のボイストレーニングも特別に公開する。
赤坂「そもそも、古賀政男先生に弟子入りするいきさつは何があったんですか?そう簡単には弟子になれませんよね?」 佳山「勝手に古賀先生のご自宅に行って門を叩いたんですよ。スタッフの方が出て2回断られたんですけど」 当時の古賀政男は、大川栄策を最後に「もう門下生は取らない」と言っていたそうで、古賀の自宅を2回訪ねた佳山は門前払いだった。
佳山「でもどうしても諦めきれないんですよ。で、天気のいい日にもう一度行ったら、『そんなに言うなら上がってらっしゃい』ってスタッフに言われて、やったーって思って」
まさに三度目の正直で古賀先生と初対面。
佳山「古賀先生が来て、ステッキ持って『歌ってごらん』って言うんですよ。で、『浜昼顔』なら歌えますって言って歌ったんです。そうしたら『君、歌えるね。住み込みはできないけど、最後の門下生にしてあげる』って言ってくれたんですよ」
馬場「最後の弟子にという一言を聞いた瞬間はどうでした?」 佳山「やったー!これでプロの道に入れると思って、何があっても頑張ろうという気持ちになりました。今でもはっきり覚えていますね」
こうして古賀政男の最後の門下生となった佳山明生。
赤坂「どんな一日なんですか?」 佳山「まず掃除ですよ。部屋がいくつもありましたから。庭も広かったし。掃除が終わったら1時間くらいレッスンするんです」 馬場「古賀政男さんのレッスンは独特だったと聞きますが」 佳山「(古賀)『僕はね、詞があったら寝ないで一生懸命考えて、その言葉がどうやったら生きるかなと思って曲を作るんだよ。だから歌手の人は変にこぶしを入れたりとか歌を引っ張ったり伸ばしたりしないで、メロディー通り歌ってくれたらいいんだよ』そういうのが、まず基本ですね。レッスンに行ったら、我流の枝葉を全部切られちゃうんですよ」 スタジオでは、古賀メロディーの名曲「影を慕いて」を実際に歌い比べながら、その違いを説明。
さらに古賀秘伝のボイストレーニングを「ここからは有料なんだけどなあ」と言いながら特別に公開。その独特なボイトレ法とは?
古賀政男の最後の門下生としてレッスンを受けた佳山明生は、1977年に念願の歌手デビューを果たす。しかし、古賀はもう曲を作らないという。5000曲もの作品を世に送り出してきた古賀が、もう自分は曲を作れないと言った訳とは?
そして、とまりれん作詞作曲による「氷雨」でデビューするも、最初はなかなか売れなかった。しかし、発売から6年後の1983年に爆発的な大ヒット。そのキッカケは、旭川市の有線放送所だったという。 佳山「旭川の有線放送所の女性が『氷雨』を聴いて、絶対にいい曲だと気に入ってくれて。クビになってもいいから朝から晩まで『氷雨』をかけると」 馬場「リクエスト関係なく、その人の一存で?」 佳山「毎日朝から晩まで『氷雨』がかかるから旭川の人たちの耳に入って、旭川で有線が上位に上がってきちゃって」 さらに札幌の人が旭川に来て「氷雨」を覚え、札幌に持ち帰るといったことで広まり、最終的には80万枚を超える大ヒットに繋がったという。
今回は「氷雨」のほか、古賀メロディーの中から村田英雄の「無法松の一生(度胸千両入り)」、近江俊郎の「湯の町エレジー」を熱唱。さらに最新曲「ぼっちの女だから」を披露する。

[タイトル]
歌謡プレミアム 佳山明生 ~我が恩師 古賀政男を唄う~
[放送日時]
7月28日(月)よる9時~9時54分放送
[放送局]
BS日テレ / BS日テレ4K
【出演者】
司会:赤坂泰彦、馬場典子
ゲスト:佳山明生
[クレジット]
Ⓒ日テレ
[番組HP]
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