有機EL素子の中の分子の向きは“待ち時間”で制御できる —「一時停止」蒸着法で分子配向制御、有機ELの性能向上へ—
千葉大学大学院融合理工学府博士後期課程3年/日本学術振興会特別研究員の大原正裕大学院生、千葉大学先進科学センターの石井久夫教授、群馬大学大学院理工学府の田中有弥准教授らの研究チームは、有機分子を真空蒸着(高真空の環境で物質を加熱して気化させ、それを基板に薄膜として堆積させるプロセス)する際にあえて蒸着を一時停止して“待ち時間”を導入し、その時間に分子の配向(注1)が変化していく様子を調べることで、有機EL素子(OLED)(注2)の特性に直結する分子配向を任意に制御する新手法を開発しました。
本研究では、新たな測定装置(回転型ケルビンプローブ装置)を開発し、従来は困難だった蒸着中のサンプルの表面電位をリアルタイムで測定し、配向変化の観測を実現することができました。また、この装置で代表的な有機EL材料であるAlq3分子を測定した結果、蒸着中や直後はある一定の配向度で分子が並ぶ一方、蒸着を一時停止すると100秒程度の時間をかけて配向が徐々にランダム化(=緩和)していくことも発見しました。さらに、蒸着条件を変えることで、分子の頭尾の向きを逆転できることも実証しました。
分子の配向の角度を制御する技術は従来からありますが、分子の頭尾の向きまで含めて制御することは難しいとされてきました。今回の結果により、任意の方向に分子の頭尾をそろえることにより、有機EL素子の中に発生する電荷を制御することが可能となり、有機ELの一層の性能向上が期待されると共に、その他の有機半導体を用いた素子開発にも広く役立つことが期待されます。
本研究成果は、2023年12月4日に、学術誌ACS Applied Materials & Interfacesで公開されました。
研究の背景
近年、有機半導体デバイスは急速に進化し、有機EL素子が実用化され注目を集めています。これらのデバイスの性能向上には分子の頭尾の区別も含めた配向制御が不可欠です。
ところが、有機EL素子関連分子は非対称な構造から生じる永久双極子モーメント(分子全体の正と負の電荷が分かれている状態)を持ち、真空蒸着時にはしばしば自発的な配向が生じます。この現象を自発的配向分極(SOP)と呼び、これがデバイス内に電荷を誘起し、キャリア注入や蓄積に影響を与えることが知られています。しかし、SOPのメカニズムは未だに完全に理解されておらず、その極性も対称的でないことが制御の課題となっています。デバイス性能の完全な制御のためには、真空蒸着過程でSOPの極性と大きさの両方を制御することが望まれています。
本研究は真空蒸着過程中の分子配向を制御する新しい手法を提案し、その詳細なメカニズムを明らかにすることを目的としています。
研究の成果
従来、真空蒸着法による薄膜の分子配向制御においては、基板温度や蒸着速度の調整が行われてきました。しかしこれらの調整パラメータによる分子の拡散時間は短時間スケールに限定され、一分子層形成までの時間はごく短いものでした。本研究では、任意の配向制御を実現するために中間的な緩和時間(約100秒)を利用する手法を提案しました。さらに、そのような分子の配向のランダム化を観測するために、本研究では真空蒸着中のサンプルの表面電位をリアルタイムで計測可能にする新たなケルビンプローブ装置—回転型ケルビンプローブ装置— を開発しました(図2)。
tris(8-hydroxyquinolinato)aluminum (Alq3)分子や1,3,5-tris(1-phenyl-1H-benzimidazol-2-yl)benzene (TPBi)分子の薄膜の測定結果より、蒸着をシャッターで遮って蒸着を一時停止した直後から、表面層の配向が数十秒かけてランダム化している直接的な証拠を掴みました(図1右)。さらに、この時間を調整することで、薄膜の分極の大きさを制御することに成功しました。
この方法を研究チームは「間欠蒸着法」と呼ぶことにしました。Alq3膜では分極の向きを切り替えることにも成功し、Alq3単一の薄膜内に「V」字型のポテンシャルプロファイル(注3)を形成できることを実証しました(図3)。この結果は、同一の物質でできた層であるにもかかわらず、あたかも異なる材料を貼り合わせたかのような特性を持たせられることを示しています。さらに今回の研究成果は、V字だけでなく、より複雑なポテンシャルプロファイルを任意に形成するための基礎技術となり、新しい電気的特性を持つデバイスの構築につながる可能性があります。
また、より根源的な「なぜ真空蒸着するだけで分子が勝手に配向するのか」という問いに対しても、回転型ケルビンプローブ装置を用いて有機アモルファス膜の表面でランダム化する過程をより詳しく調べることで、その詳細なメカニズムの解明に近づくことができると考えられます。
今後の展望
本研究の成果を基に、まず有機層内に任意のポテンシャルプロファイルを内蔵することで、効率的な光の発光やキャリア注入の制御が可能なデバイスの設計が可能になることから、有機EL素子の効率や寿命の一層の向上が期待されます。さらに、キャリア蓄積特性などを応用することで、新たな動作機構を持つメモリ素子を開発することが考えられます。
提案した間欠蒸着法はAlq3だけでなく、TPBiなどの他の有機エレクトロニクス材料にも適用可能であることが示されました。今後は、他の材料においても同様の手法がどのように機能するかを検証し、広範な応用が可能かどうかを確認できれば、様々な有機デバイスで活用されていく可能性があります。
分子の配向をシミュレーションすることも必要になるでしょう。シミュレーションを通じて、基板温度や蒸着レートなども考慮した、より効率的な配向制御手法の探索や、分子そのものの設計が可能になれば、より優れた有機エレクトロニクスの開発に繋がっていくと期待されます。
用語解説
注1)配向:空間内で分子がどの方向を向いているか、またはどのような位置関係にあるかということを指す。配向にはさまざまな要因が影響を与える可能性があり、これには分子の形状、電荷分布、結合の性質などが含まれる。分子の配向に関する理解は、物質の性質や反応のメカニズムを探る上で鍵となる要素。
注2)有機EL素子(OLED):薄くて柔軟な素材を使い、電流で発光するディスプレイ技術。バックライト不要で自己発光し、高い色再現性と反応速度がある。主にスマートフォンやテレビに利用され、薄型で鮮やかな表示が可能だが、寿命と安定性の向上という課題がある。
注3)ポテンシャルプロファイル:薄膜内における膜厚方向のエネルギー変化を示すグラフ。厚み方向の位置に応じた電子のエネルギーを視覚的に表現。横軸が堆積した膜の厚みで、縦軸がエネルギーを示す。膜の堆積が進むにつれてエネルギーが上下する様子を捉え、有機デバイスの動作機構の理解に役立つ。
研究プロジェクトについて
本研究は以下の事業・研究課題の支援を受けて行われました。
日本学術振興会(JSPS)
科学研究費助成事業 基盤研究(B)
研究課題名:アモルファス有機薄膜の自発的配向分極現象の機構解明と応用(20H02810)
研究代表者:石井 久夫(千葉大学 先進科学センター 教授)
日本学術振興会(JSPS)
科学研究費助成事業 基盤研究(C)
研究課題名:補償電荷測定法による極性分子配向薄膜の光誘起脱分極機構の解明と長寿命化
(21K05208)
研究代表者:田中 有弥(群馬大学 大学院理工学府 知能機械創製部門 准教授)
日本学術振興会(JSPS)
特別研究員奨励費
研究科題名:回転型ケルビンプローブ法を用いた有機薄膜の自発配向分極の解明と新規制御法の開発(22KJ0487)
研究代表者:大原 正裕(千葉大学大学院 融合理工学府 先進理化学専攻 博士3年)
加えて、千葉大学先進科学センター及び大学院先進科学プログラムによる支援を受けました。
論文情報
タイトル:Impact of Intermittent Deposition on Spontaneous Orientation Polarization of Organic Amorphous Films Revealed by Rotary Kelvin Probe
著者:Ohara, Masahiro; Hamada, Hokuto; Matsuura, Noritaka; Tanaka, Yuya; Ishii, Hisao
雑誌名:ACS Applied Materials & Interfaces
DOI:https://doi.org/10.1021/acsami.3c12914
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