小説『弁護士サマンサ・ブリンクマン 宿命の法廷』レビュー。法律家作家が生み出した、光も闇も抱えた新たなヒロイン
文/温水ゆかり
3月28日に扶桑社より発売された『弁護士サマンサ・ブリンクマン 宿命の法廷』。世紀の裁判と言われた「O・J・シンプソン事件」の元検察官マーシャ・クラークが描く女性弁護士が主役のリーガル・サスペンスを、ライター温水ゆかりがレビューする。(『弁護士サマンサ・ブリンクマン 宿命の法廷』解説より抜粋)
■ 崖っぷち女性弁護士のシスターフッド小説
めげない、くじけない、あきらめない。太平洋のかなたの対岸から、小気味いいシスターフッドの風が吹いてくる。
これがこの『弁護士サマンサ・ブリンクマン 宿命の法廷』を読み終えたとき、まっさきに頭に浮かんだ感想。著者のマーシャ・クラークも彼女の著作も、日本では初紹介。本書は新シリーズの記念すべきスタート作でもあり、こうして日本語で読めることになって、とても嬉しい。
「わたし」という一人称の主人公になるのは、愛称サムことカリフォルニア州の弁護士サマンサ・ブリンクマン、 33歳。ロサンゼルスの裁判所近くで個人法律事務所「ロー・オフィス・オブ・ブリンクマン・アンド・アソシエイツ」を営んでいる。が、事務所自体はまったく潤っていない。気前よくお金を払ってくれる依頼人とは縁がなく、公費選任弁護人や無料奉仕の仕事ばかり引き受けているからだ。幼い頃からの親友で唯一のアソシエイトである相棒のミシェル(愛称ミッチー)は、どうにかしてこの事務所を軌道に乗せようと必死だ。彼女自身、給料を二ヶ月もらっていないうえ、電気はとめられそうだし、家賃も滞納している。
そこに、ケーブルテレビやネットニュース、タブロイド紙などがハイエナのように食らいつき、連日派手な報道合戦を繰り広げそうな事件が起こる。ミシェルは、弁護人として名乗りを上げろ、有名になれば仕事も増える、とサムをたきつける。
■ 遊び心にニヤリ。作中に散りばめられた小ネタ
本書が書かれた背景を少しマニアックに深掘りする形にはなるけれど、こんな細部も楽しめますよ、という意味で書いておきたい。
著者のマーシャ・クラークは、実は世紀の裁判と言われたO・J・シンプソン裁判で主任検事を務めたことで全米に知られた女性だ。さまざまな書籍の中に、法廷に立つ彼女の写真もたくさん残っている。報道が過熱する中、クラーク自身も服装や髪型、私生活までネタにされた。毎晩遅い時間にしか家に戻れず、ベビーシッターの費用もかさめば、子供達と触れ合う時間もほとんどない。それを離婚係争中の夫に言い立てられ、ふたりの息子の親権も奪われそうになるという余計な心労までついてきた。仕事か子供かという理不尽な選択を迫られる状況はシングルマザーあるあるとはいえ、あってはならない選択。どんなに口惜しく辛かったことだろう。
閑話休題。検察側は「オフェンシブ」、弁護側は「デフェンシブ」と言う。本書にはクラークがシンプソン裁判でオフェンシブとして味わった惨めな経験が、ちょうど反転した形で描かれているように見える。例えば鬼畜野郎に思いもしなかった判決が下る場面。「無罪とする」という裁判長の言葉の後、シ〜ンと静まりかえる法廷、その静寂を破るかのように「あり得ない!」と響き渡る被害者側の悲痛な声。シンプソン裁判でまさかの無罪判決が出たとき、同じ光景が繰り広げられた。
その一方で、お腹を抱えて笑ってしまうシーンもある。デイルの裁判中、なぜか宿敵のイケメン検事が「DNAとはなんでしょう?」と突然の独演会を始める。陪審員など法廷内の誰もが起きているのに苦労し、「その日が終わるころには、通風孔から催眠ガスが注入されたかのような有様だった」。これもシンプソン裁判でDNA鑑定に絶対の自信をもっていたマーシャ・クラーク検事がやらかしたこと。法廷で泣き崩れることもあった彼女は裁判終了後、検事の職に戻る気力をなくすほど痛手を被ったが、いまは当時の自分をギャグにできるほど心の健康を取り戻したということだろう。
■ 同志30代女子よ、これお薦めですよ!
サマンサ・ブリンクマン・シリーズは、これまで4作発表されている。
『Blood─Defense』(2016)本書
『Moral─ Defense』(2016)一家惨殺事件で生き残った15歳の養女の弁護を引き受ける
『Snap─Judgment』(2017)恋人殺害の容疑をかけられた男子大学生の弁護に立つ
『Final─Judgment』(2020)サマンサの恋人に殺人容疑がかかる
最後にもう一個だけ。
元厚労省の村木厚子さんが(冤罪で)5カ月も勾留中されていたとき、差し入れの本に励まされたとして、シカゴの女私立探偵V・I・ウォーショースキー(愛称ヴィク)シリーズの開幕作を挙げていた。霞ヶ関のお堅い女性キャリアでも、女私立探偵もののようなエンタメ本を読むんだ、そういう本を差し入れしようと考える人がいるんだ、と驚いた。と同時に、女性の手になる女性が主人公の本には、絶望のさなかにある女性を励ましたり勇気づけたりする力があるのだなあと、あらためて感じ入った。
ヴィクのデビューは32歳、本書がデビューとなるサムは33歳。私は遠い目で、自分の30代を振り返る。自分の芯になるものを探して生きるのに必死だったが、もう居なくなったと思っていた臆病で泣き虫だった頃のリトル自我が、なにかの刺激に反応して顔を出すこともあった。むやみに誰かを蹴飛ばしたくなったり、静かに頭を撫でてくれる手を無性に欲したり、自分で自分をコントロールしきれなかった30代前半......。
志しに燃える快晴の日もあれば、闇夜もあるサムのこのシリーズも、どこかで打ちひしがれている女性達をこれから励ますことになるだろう。
同志30代女子よ、これお薦めですよ!
温水ゆかり(ぬくみず・ゆかり)
フリーランス・ライター。新聞・雑誌等で、書評やインタビュー記事、紀行文などを幅ひろく手がける。
- 書誌情報
発売:2023/3/28
定価:1,320円(本体1,200円+税)
判型:文庫判
ISBN:978-4-594-09089-0
購入リンク:https://www.amazon.co.jp/dp/4594090893
『弁護士サマンサ・ブリンクマン 宿命の法廷(下)』
発売:2023/3/28
定価:1,320円(本体1,200円+税)
判型:文庫判
ISBN:978-4-594-09210-8
購入リンク:https://www.amazon.co.jp/dp/4594092101
- 著者プロフィール
米国カリフォルニア州生まれ。公選弁護人として経験を積んだ後、ロサンゼルス郡の検察局に入る。1995年に元フットボール選手で俳優のO・J・シンプソンが殺人容疑で逮捕された事件の主任検事となり、注目を浴びる。のちに検事局を退職し、さまざまなメディアに出演する。2011年に小説家デビュー。16年に本書を発表し、シリーズは4作を数える。
髙山祥子
東京生まれ。成城大学文芸学部卒。出版社勤務後、英米文学翻訳家。主訳書:M・A・ロースン『奪還』(扶桑社海外文庫)、ハワード『56日間』(新潮文庫)、ソログッド『マーロー殺人クラブ』(アストラハウス)、クリントン『WHAT HAPPENED 何が起きたのか?』(集英社)他、多数。
- 本書に関するお問い合わせ
senden@fusosha.co.jp
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