鼻から投与する「経鼻ワクチン」、感染予防の新たな切り札に〜千葉大学とUCSDが最新動向を総まとめ

国立大学法人千葉大学

 千葉大学未来医療教育研究機構の清野宏卓越教授、千葉大学-UCSD粘膜免疫アレルギーワクチンセンター(cMAV) のPeter B. Ernst特命教授は、新型コロナウイルスやインフルエンザウイルスに代表される病原体が引き起こす呼吸器感染症に対する、鼻から投与するワクチン(経鼻ワクチン)の最新の研究開発の動向や将来展望をまとめた総説論文を発表しました。経鼻ワクチンの免疫学的メカニズムから、実用化に向けた最新技術、さらには安全性確保のための重要な視点について多角的にまとめた本論文は、経鼻ワクチンの研究・開発を加速させる上で重要な指針となるとともに、今後のワクチン戦略の構築に向け有益な知見を提供しています。

 本論文は、2025年5月8日に、学術誌Natureにて公開されました。

■論文のポイント

  1. 注射型ワクチンの課題:新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックを経験して、既存の注射型ワクチンではウイルスの主要な侵入経路である鼻や喉といった「呼吸器粘膜での感染防御が難しい」という課題が浮き彫りになりました。このため、呼吸器粘膜で直接免疫を誘導する経鼻ワクチンの重要性が一層高まっています。

  2. 感染を阻止する経鼻ワクチン:経鼻ワクチンは、鼻や喉など体の粘膜を守る「分泌型IgA抗体」と、血液の中で全身を守る「血清IgG抗体」の両方を誘導し、病原体の感染阻止と重症化予防という二重の防御効果が期待されます。

  3. 効果的な送達技術の開発:ワクチン成分の安定性を高め、鼻の粘膜の免疫系に効率よく届けるため、ナノゲルなどのナノ粒子技術を用いた薬剤送達システム(DDS)の開発が進められています。

  4. 安全性と長期的な有効性の検証:鼻腔は脳に近いため、ワクチン成分が意図せず脳へ移行し副作用を起こさないよう、安全性の検証が極めて重要です。また、mRNAワクチン(注1)など新しいワクチン抗原の鼻腔投与への応用、最適な免疫応答誘導機構の解明など重要な研究開発課題が残されています。

■研究の背景

 私たちの呼吸器は、鼻から始まる「粘膜」で被われており、日々吸い込む空気などに含まれる無数の病原体の脅威に常にさらされています。このため、粘膜には血液中などで働く「全身免疫」とは独立して機能する「粘膜免疫」が備わっています。この防御システムを効果的に活用し、感染症の被害を減らす試みは以前より続けられてきました。
 近年のCOVID-19パンデミックでは、新しく開発されたmRNAを用いた注射型ワクチンが重症化予防に大きく貢献しました。しかし、これらの注射型ワクチンは主に血液中に抗体(血清IgG抗体)を作り出すものであり、ウイルスが最初に侵入してくる鼻や喉といった呼吸器の粘膜部分では、感染を完全に防ぐことには限界があることも明らかになってきました。
 注射型ワクチンに対し、病原体の侵入門戸である鼻にワクチンを投与する「経鼻ワクチン」は、粘膜免疫を強力に刺激し、病原体の侵入を阻止する効果が期待されています(図1)。経鼻ワクチンは、血中に血清IgG抗体を誘導するだけでなく、粘膜で病原体を捕える抗体(分泌型IgA抗体)や、粘膜組織に長期間とどまり病原体を記憶・攻撃する免疫細胞も誘導・活性化させることが分かっています。このため、経鼻ワクチンは、感染阻止・重症化の抑制といった「二段構え」の免疫による包括的な防御効果が期待されています。

 呼吸器感染症の多くの病原体が粘膜から侵入することを考えると、経鼻ワクチンはその病原体に対する極めて合理的な予防手段であるため、開発と実用化への期待が高まっています。さらに、経鼻ワクチンは未知なる新興・再興感染症による将来のパンデミックに備えるための強力なツールとなる可能性を有しています。

図1 注射型ワクチンと経鼻ワクチンによる免疫応答

■世界でも進む実用化

現在、千葉大学未来粘膜ワクチン研究開発シナジー拠点(cSIMVa)をはじめとして、世界各国で新型コロナウイルスやインフルエンザウイルス・RSウイルス・肺炎球菌など呼吸器感染症を引き起こす病原体に対する経鼻ワクチンの研究開発が進められています。これらの経鼻ワクチンは、下記のような大きなメリットがあります。

接種時の痛み・精神的苦痛の軽減:注射針を使わないため、接種時の痛みや不安感を軽減できます。

自己投与の可能性:将来的には自己投与が可能になり、大規模な集団予防接種をより簡単に行えるよ 

  うになることが期待されます。

「真の予防」ワクチン:気道の粘膜で免疫を活性化させ、血液中にも抗体を作るなど全身免疫も誘導

 することで、病原体の侵入するのを防ぎ、さらに重症化も抑えるという二重の防御効果が期待できま 

 す。

広範囲にわたる防御効果の可能性:特定の病原体株だけでなく、類似した他の株にも効果を示す「交

 差反応性のあるIgA抗体」を誘導することが明らかになっています。この交差反応性により、様々な 

 変異株や異なる種類のウイルスに対しても一定の防御効果が期待できる可能性があります。

 一方で、経鼻ワクチンの研究開発において、鼻腔が兼ね備えている特有の防御システムが、逆にワクチン接種時に課題(分泌液による希釈・排出、粘膜の酵素によるワクチン成分の分解、投与できる液量の検討)となり、その対応が不可欠です。これらを克服するため、免疫学に加え、生体材料科学やナノテクノロジーなど様々な分野の知見を結集し、ワクチン抗原を効率よく免疫細胞へ届ける革新的な送達システム「経鼻ワクチン製剤」の開発が進められています(図2)。鼻腔の課題を念頭に、対象疾患や目的に応じ、これらのデリバリー技術の特性を理解し最適な方法で経鼻投与することが、実用化への道筋となります。

図2 経鼻ワクチン製剤の比較

 前述の通り、mRNAワクチンは疾患の重症化予防に大きく貢献しましたが、感染阻止・他者へのウイルス伝播の抑制には不十分でした。そのため、新型コロナウイルスが最初に感染する気道粘膜で免疫を働かせる「経鼻ワクチン」の重要性が急速に高まっており、世界中で様々なアプローチによるCOVID-19経鼻ワクチンの開発が進められています。WHOによると2023年3月時点で、16種類の新型コロナウイルスに対する経鼻ワクチンの臨床試験が行われており、その多くはウイルスベクターワクチンや弱毒生ワクチンです。既に中国、インド、イラン、ロシアでは、複数のCOVID-19経鼻ワクチンの使用が承認され、実用化に向けた動きが進んでいます。COVID-19に対する経鼻ワクチンは、ウイルスの感染経路を直接ターゲットにすることで、既存の注射型ワクチンを補完し、より効果的な感染防御に貢献する可能性を秘めています。しかし、ヒトでの確固たる有効性と安全性の確立、変異株への対応、そして最適な投与方法や組み合わせなど、解決すべき課題も残されており、継続的な研究開発が不可欠です。

■今後の展望

論文では、経鼻ワクチンの実用化に向けて、次のような課題を挙げています。これらをクリアできれば、経鼻ワクチンは呼吸器感染症の予防戦略に大きな変革をもたらし、将来のパンデミック対策においても重要な役割を果たすことが期待されます。

①安全で安定した「mRNAワクチン」および「サブユニットワクチン」の製剤技術、およびそれらを鼻 

 腔粘膜へ効率的に送り届けるための「送達システム」の研究開発

②免疫細胞の種類や数、抗体の種類や量などを網羅的に測定・解析したデータである「ヒト免疫プロフ

 ァイリングデータ」に基づいた、効果的な免疫応答の解明

③安心・安全で効果的なアジュバント(注2)の選択や開発

④経鼻ワクチンの成分やアジュバントの長期的な安全性の確認と評価

■用語解説

注1)mRNAワクチン: 体にウイルスの設計図を送り込み、免疫の準備をさせる新しいタイプのワクチン。COVID-19ワクチンがその代表例。

注2)アジュバント: ワクチンと一緒に入れることで、免疫反応をより強く、長く持続させる補助成分のこと。細胞成分由来のものや無機化合物など、さまざまな種類がある。

■研究プロジェクトについて

本研究は、以下の支援を受けて実施しました。

・AMED SCARDA「ワクチン開発のための世界トップレベル研究開発拠点の形成事業」(ワクチン開発のための世界トップレベル研究開発拠点群 千葉シナジーキャンパス, 千葉大学 未来粘膜ワクチン研究開発シナジー拠点)JP223fa627003

 ・AMED「次世代治療・診断実現のための創薬基盤技術開発事業」(NeDDTrim) JP23fk0108668, JP24fk0108668, JP233fa827014, JP243fa827014, JP233fa827016, JP243fa827016, JP233fa827016, JP243fa827016, JP233fa827014, JP243fa827014, JP24ae0121040

 ・日本学術振興会 科学研究費助成事業 20K20495, 20H03856, 23K274291, 24K02659

 ・東京大学医科学研究所 国際共同利用・共同研究拠点K22-3045

 ・国際研究拠点粘膜免疫治療学・ワクチン開発研究センタープログラム(The Chiba University-UC S 

  an Diego Center for Mucosal Immunology, Allergy and Vaccines: cMAV Program)

 ・千葉大学 塩野義製薬 ヒト粘膜ワクチンプログラム

 ・NIH and NIH NIDDK grants P30 DK120515 and R01 DK051677

 

■論文情報

タイトル:Nasal vaccines for respiratory infections

著者:Hiroshi Kiyono, Peter B. Ernst

雑誌名:Nature 

DOI:10.1038/s41586-025-08910-6

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未上場
資本金
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設立
2004年04月