RNAの“書き換え”がDNAを守る! ~エピトランスクリプトーム解析が示すゲノム防御の新たな仕組み~
■研究の概要
千葉大学大学院理学研究院の佐々彰准教授と同大融合理工学府博士後期課程1年の吉田昭音氏らは、ヒト細胞を用いた最新の網羅的解析(エピトランスクリプトーム(注1)解析)により、遺伝子の伝言役であるRNA(注2)の文字が化学的に「書き換え」られる現象、A-to-I編集(注3)が、DNA修復やゲノム維持に関わる重要なタンパク質をコードするRNAで広く起きていることを明らかにしました。さらに、このA-to-I編集機能を失わせた細胞では、DNAの傷に対する応答にも様々な異常が生じることを見出しました。これらの成果は、RNAレベルの「書き換え」がDNA修復の制御と深く関与し、ゲノム恒常性の維持に不可欠であることを示しており、今後がんや老化研究や環境リスク評価、創薬標的の探索に貢献することが期待されます。
本研究成果は、科学雑誌Frontiers in Genetics誌にて10月15日に公開されました。

■研究の背景
生命の設計図であるDNAの情報は転写によってRNAに写し取られ、さらに翻訳によってタンパク質合成へと繋がります。この一連の流れは、生物学の基本原理として知られていますが、この枠組みに加えて、RNA自身が生体内で化学修飾という“書き換え”を受けることで、遺伝子機能が精密に調節されることが明らかになりつつあります。なかでも、アデノシン(A)(注4)をイノシン(I)(注5)へ変換するA-to-I編集(図1)は、転写後にRNAの情報を改訂する代表的な修飾です。
しかし、A-to-I編集が生体内のどのような生理機能に寄与するのかは十分に明らかになっていませんでした。そこで本研究ではこの真相を解明するために、ヒトリンパ芽球細胞株TK6(注6)をモデルとしてRNA修飾の全体像を読み取る「エピトランスクリプトーム解析」を実施しました。

■研究の成果
本研究では、米国Alida Biosciences社との共同研究により、最新のRNA修飾解析技術EpiPlex™プラットフォームを用いて、ヒト細胞内で起こるA-to-I編集イベントを高感度・定量・網羅的に解析しました。
その結果、合計870個の遺伝子の転写産物にA-to-I編集が観測され、特に傷ついたDNAの修復やクロマチン(DNAの折りたたみ)の構造を整える働きに関わる因子をコードする「ゲノム維持経路」に強く集中していることが明らかになりました。さらに、A-to-I編集をおこなう酵素のひとつ「ADAR1」を遺伝学的に欠損させた細胞では、DNA修復の主要な因子であるXPA(注7)の設計図のつなぎ方「スプライシング(注8)」に変化が生じ、DNA 損傷に対する応答にも様々な異常が現れることを確認しました(図2)。これらの結果は、RNAレベルでの「書き換え」がDNA修復の制御と結びつき、ゲノムの恒常性維持に寄与していることを示唆します。
■今後の展望
今回得られた知見は、A-to-I編集がどの遺伝子において、どのような場面で機能を制御するのかを、精密に解き明かすための出発点となります。今後は、編集位置ごとの翻訳効率やスプライシング、タンパク質機能への影響を因果関係まで踏み込み、細胞から組織・個体レベルへと検証の範囲を広げます。これにより、生物のゲノム維持の仕組みに新たな視点を提供するとともに、がんや老化に関わるバイオマーカー開発、薬剤応答予測や創薬標的の探索、さらには環境リスク評価への応用につながることが期待されます。
■用語解説
注1)エピトランスクリプトーム:RNAに付加される化学修飾の総体、またはその研究分野。主に転写後に酵素によって付与され、RNAの安定性・翻訳・輸送などを制御する。
注2)RNA:「リボ核酸」の略称で、DNA(デオキシリボ核酸)と同様に生体内での遺伝情報の伝達や発現に関わる分子。
注3)A-to-I編集:RNA中のアデノシン(A)がイノシン(I)に変換される化学修飾。生体内の酵素ADARが担い、イノシンは細胞内で多くの場合グアノシンとして読み取られる。
注4)アデノシン (A):RNAを構成する4種類の基本的なヌクレシオド(文字)の一つ。DNAの情報をコピーし、正確にタンパク質を作る工場(リボソーム)へ情報を伝える役割を担う。
注5)イノシン (I):アデノシンが酵素によって書き換え(脱アミノ化)られて生じる新たな文字となるヌクレオシド。RNAの元々の構成文字の一つであるグアノシン(G)として「読み換え」られる。
注6)TK6:ヒトBリンパ芽球様の細胞株。安定な染色体型を持ち、化学物質の毒性試験やDNA修復の研究で広く用いられる。
注7)XPA:Xeroderma pigmentosum group A。ヌクレオチド除去修復という修復経路の中核を担うタンパク質で、DNAの傷を修復するためのタンパク質複合体の足場形成を担う。
注8)スプライシング:DNAから転写された長いRNAから、いらない部分(イントロン)を抜き、必要な部分(エクソン)をつないで「完成版=成熟RNA」にする細胞の編集作業。
■研究プロジェクトについて
本研究は、以下の支援を受けて実施しました。
• 日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(B) 22H03748
• 公益財団法人武田科学振興財団 ライフサイエンス研究助成
■論文情報
タイトル:Epitranscriptome-wide profiling identifies RNA editing events regulated by ADAR1 that are associated with DNA repair mechanisms in human TK6 cells
著者:Akito Yoshida, Yuqian Song, Hotaru Takaine, Sujin Song, Nonoka Konishi, Yu-Hsien Hwang-Fu, Zachary Johnson, Kiyoe Ura, Akira Sassa
雑誌名:Frontiers in Genetics
DOI:10.3389/fgene.2025.1663827
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