若冲を見出した日本美術史界の奇才が生涯を振り返る。『若冲が待っていた 辻󠄀惟雄自伝』
村上隆ほか、美術界の著名人からの辻󠄀氏に宛てた手紙も掲載!
日本美術史に新風を吹き込んだ独自の世界観を映し出す。
江戸中期の絵師・伊藤若冲を「奇想の画家」として再発見し、若冲ブームの扉を開いた日本美術史の大家・辻󠄀惟雄氏(1932年生まれ)。戦争と重なる少年時代、若冲との出会い、江戸絵画ブームの原点となる名著『奇想の系譜』上梓を経て、日本美術隆盛の今日までを綴る。
«若冲は人に見せるわけでもなく、ただ自分の好きな絵を好きなやり方で描き続けたのだ。見ていただきたかった相手は、仏様だけだったかもしれない。ちょうど、ラスコーやショーヴェ、アルタミラなど、旧石器時代の壁画制作者たちが、暗闇のなかで松明の灯りを頼りに、彼らの守り神に見せようと、素晴らしい表現を残したように……。
そうなると若冲は、私の知る江戸時代画家の中で、北斎とともに「絵を描くこと」の原点、あるいはその深みに到達した、当時の世界でも稀有な画家だった、ということになる。「私の履歴書」で取り上げた画家のなかにこんな人は他にない。タイトルに若冲の名を入れさせていただいた所以である。»(本書「あとがき」より)
こちらは本書の内容の一部です。
- 幼少時、あだ名は「めそめそピーピー」
- 幼稚園、かなわぬ恋の「事始め」
- 戦争に地震、恐怖が日常に
- 終戦の玉音放送はひとり自宅のラジオで
- 美術部で写生に励み、日比谷高校への編入をめざす
- 浪人覚悟も東大合格。しかしいきなりの留年
- 2年連続の留年で医学部断念。美術史学科に転部
- 「雪舟展」をきっかけに日本絵画に傾倒。卒論は浮世絵をテーマに
- 母、49歳で逝く。美術史の研究を生涯の仕事と決める
- 大学院進学。吉川逸治先生の講義で開眼〔ほか〕
«美術史とは「片目のだるまの、見えないもう片方の目に目を入れる」仕事なのだ。直感を何よりも重んじながら、描かれた時代、創作の意図や背景、表現の特徴などを可能なかぎり客観的に分析して人々の鑑賞の手助けをする。演者ではなく黒子だが、とても大事な役割を担っているのだ。直感や想像力もそこでは重要な役割を果たす。美学は私の苦手とする哲学の一分野だが、西洋の一流美術史学者たちの著作は、どれも美学を背景にして書かれている。画業に生涯を懸けた人たちの苦しみ、楽しさ、思いに寄り添うのだ。»
(本書「母、49歳で逝く。美術史の研究を生涯の仕事と決める」より)
従来の美術史を根底から覆し、斬新な美術史観で「奇人」と呼ばれながら、後進たちにディープインパクトを与えた辻󠄀氏の、ものの見方、考え方が垣間見える一冊。
美術界の著名人から辻󠄀氏に宛てた手紙も掲載!
- 「辻󠄀先生との思い出」――悦子プライス
- 「そのパトスだよ、君!と師は叫んだ」――泉武夫
- 「奇想の美術史家・辻󠄀惟雄先生への手紙」――山下裕二
- 「僕の芸術の師匠」――村上隆
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『若冲が待っていた 辻󠄀惟雄自伝』
著/辻󠄀 惟雄
定価:2200円(税込)
判型/頁:4-6/208頁
ISBN978-4-09-388889-9
小学館より発売中(2022年12月26日発売)
本書の紹介ページはこちらです▼▼▼
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388889
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【著者プロフィール】
辻󠄀惟雄(つじ・のぶお)
美術史家。
1932年名古屋市生まれ。東京都立日比谷高等学校、東京大学文学部美術史学科卒業。同大学院博士課程中退。東京国立文化財研究所技官、東北大学文学部教授、東京大学文学部教授、国立国際日本文化研究センター教授、千葉市美術館館長、多摩美術大学学長、MIHO MUSEUM館長などを歴任。東京大学・多摩美術大学名誉教授。1970年に刊行された『奇想の系譜』(美術出版社)で、岩佐又兵衛や伊藤若冲などを「奇想の画家」としていち早く再評価し、琳派や文人画、円山派などを中心に語られてきた近世絵画の見方を大きく変えた。2016年に文化功労者に選出され、2017年朝日賞受賞、2018年瑞宝重光章受章。
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