美輪明宏 90年の生きざま秘話が満載! 卒寿の節目に書いた人生教則本が光文社より9月22日(月)発売!!

『ヨイトマケの唄』誕生秘話から三島由紀夫とのマル秘交流まで感動原稿を特別公開

株式会社光文社

 

 株式会社光文社(代表取締役社長:巴一寿)は今年5月に90歳を迎えた美輪明宏さんが書き下ろしたメッセージ本『令和を生きぬく貴方(あなた)たちへ 未来世代が輝くミワちゃま語り20』を9月22日(月)に出版いたします。

(C) 御堂義乘

 現在もテレビのレギュラー番組や、新聞や雑誌の連載などで精力的に発信を続けている美輪さん。長崎での被爆、ホームレス体験、同性愛公表、放送禁止楽曲トラブル、さらに三島由紀夫さんや瀬戸内寂聴さんら著名文化人との華麗なる交流など、その90年の人生は波乱万丈そのもの。その間、さまざまな偏見やバッシングにさらされながらも、独自のスタイルを貫き通し、エンタメの世界において確固とした地位を確立した唯一無二の存在です。

  本書はNBA公認イラストレーターで世界的に著名な画家である田村大さんの迫力ある精緻なイラストとともに、「夢」「仕事」「お金」「恋と愛」などの身近なテーマが、わかりやすい語り口調で20篇の短文にまとめられています。いま希望を失いかけている若者や、歯を食いしばって生きている大人たちに向けてエールをおくるとともに、人生を説く教則本ともいえる内容となっております。表紙カバーは田村さんが描いた「激動の昭和を生きぬいた美輪明宏14歳の肖像画」が印象的。

 不寛容で不確実な時代を迎えている今こそ、美輪さんの“人生の気づき”が、貴方の迷いや不安を解消してくれるきっかけになることでしょう。

原稿を少しだけチラ見せ!

 私が作詞作曲した『ヨイトマケの唄』は、シンガー・ソングライターとして初めて書いた楽曲になります。60年ほど前に行った九州の炭鉱町での公演が誕生のきっかけでした。すでに炭鉱不況が始まっており、町はどんどん寂れ、労働者は低賃金で苦しい生活を強いられていました。


 壊れかけの劇場の舞台は床が抜けそうなぐらいデコボコで、客席には椅子もなく、お客さんは筵(むしろ)を敷いて座っていました。でも、立ち見が出るほどぎっしり満員で。舞台の上からお客さんの顔を見ると、炭塵(たんじん)が皺(しわ)の中にまで入り込んでいるのです。衣食住にも不自由されてらっしゃるのに、たくさんの炭鉱労働者の方々がなけなしのお金をはたいて、私の歌を聴きに来てくださった……。もうありがたくて涙が出ました。

 いっぽう、私は絹やレースのヒラヒラした衣装でシャンソンを歌っている。なんか穴があったら入りたいぐらい、自分自身が恥ずかしかった。そのときに、「私にはこの人たちに聴かせる歌がない。彼らを励まし、慰める、わかりやすい歌が必要だ」そう直感したのです。それで作ったのが『ヨイトマケの唄』なんです。

 まだ建設機械が普及していないころ、人力で地固めするときに、数人がかりで重い槌(つち)を滑車で上げ下げする仕事や、その労働をする日雇い労働者の方たちのことを“ヨイトマケ”と呼んでいました。

 

 小学校のころの友達で、いじめられている子がいましてね。そのお母さんがヨイトマケでした。同級生から「貧乏人! 貧乏人の子供」と罵られ、ずっといじめられていました。私はクラスの委員長をしていたので、いじめっ子たちを逆に叱り、彼をよく助けていたのです。家まで送ることもありました。


 するとお母さんが彼に説教するのです。「金を持っているから偉いんじゃない。けんかが強いから偉いんじゃない。勉強ができるから偉いんじゃない。いちばん偉いのは、正直で真っ当に生き、お天道様(てんとうさま)に胸を張り、誰にも後ろ指を差されずに、一生懸命に働く。そういう人間がいちばん偉いんだよ」と。

 お母さんは息子が“貧乏人”と言われて、泣いて帰ってくるたびに、そう言い聞かせていたのです。「お前は偉いんだよ」と、優しく語りかけながら。そのころの情景や親子の深い愛情が『ヨイトマケの唄』となっているのです。

(第1章 日常編 仕事より抜粋)

『ヨイトマケの唄』で伝えたかったこととは (C)女性自身編集部

 作家の三島由紀夫さんとの出会いは、今から74年前の昭和26年。私が音楽学校に通いながら、銀座4丁目でアルバイトをしていたお店に、出版社の方たちとお見えになったのが最初でした。

 私は1階の喫茶店でウェイターをしていましたが、2階はきれいな女性がいるクラブ。三島さんがクラブのマスターに「チップを3倍あげるから、あの子を呼んでこい」と命じたそうで、私は「チップ3倍」と聞いて、「じゃあ、行きます」と(笑)。これが三島さんとの最初の出会いです。


 三島さんから「何か飲むか?」と言われましたが、「芸者じゃないから結構です」と断ったら、「生意気でかわいくない子だな」と。すぐさま私も「きれいだから、かわいくなくてもいいんです!」って。そして「1曲歌え」と言われたので、シャンソンをフランス語で歌いました。

 その後、シャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」に移ってからもお見えになって、何でも言い合えるお友達になりました。

 三島さんはもともと生真面目な方で、出会ったころは、買い物は三越。1カ月に1回は歌舞伎座と帝劇の鑑賞。背広は英國屋で仕立てて、羊羹はとらや、というブランド志向の人でした。これは当時の上流社会の生活パターンで、東京の人間はそうあるべきだというマニュアルでもありました。

 初めてお会いした日、私はルパシカというロシアの民族衣装を着ていて、三島さんは「なんだ、その格好は?」と驚かれていました。彼にしてみればとんでもない若者に見えたのでしょう。そのいっぽうで「こういう生き方をしている人間もいるのか」と考えさせられたみたいです。

 ある日、私から「三島さんだって、本当はなさりたい服装がおありになるのでは? おっしゃいましよ」と聞いてみたのです。そしたら、ボソッと「ジーンズをはいて、革ジャンが着たい……」って。

 それで三島さんを御徒町にあるお店にご案内して、革ジャンとジーンズを買いました。後日、三島さんのお母様から「公威さん(きみたけ・三島さんの本名)にあんな格好させたのはあなたでしょ」と、恨まれましたけどね(笑)。

 ボディビルで体を本気で鍛えるきっかけを作ったのも私でした。

 昭和30年ごろだったと思います。新宿に映画界、財界、スポーツ界の方々が集まるクラブがあって、そこで三島さんと二人でダンスをしていたのです。当時は肩にがっちりパッドが入った背広が主流で、踊りながら「どこもかしこもパッド、パッド、パッド。三島さんがいなくなっちゃった。パッドだらけね」って言ったら、急に顔色が変わり「俺は不愉快だ。帰る!」と怒って、お金も払わないで帰られたのです。その瞬間、私は「しまった! いちばん言っちゃいけないことを言ってしまった」と後悔いたしました。以降、三島さんからの連絡は途絶えました。

 三島さんは幼少の頃から虚弱体質で、肉体的なコンプレックスをお持ちだったのです。ところが半年後、三島さんから「出てこい!」と、突然電話が入りました。「どちらに?」と聞くと「後楽園だ」と。急いで行ってみると、そこはボディビルのジム。かなりトレーニングをされていたようで、あれだけ華奢(きゃしゃ)だった体が筋骨隆々になっていて、とてもビックリいたしました。

(第3章 人生編 親友より抜粋)

15歳の頃。激動の時代を生きてきた

本書の見どころとコンテンツ

☆見どころ☆ 

①美輪明宏が「美しい絵」と絶賛するアーティスト田村大の作品22点収録

②次世代を担う若者も岐路に立つ大人たちにも必読の人生指南書 

③美輪明宏「90年の生きざま」秘話を1冊に凝縮 

④田村大が描いた表紙カバー「激動の昭和を生きぬいた美輪明宏14歳の肖像画」

(C) 御堂義乘

(C) 御堂義乘

☆目次☆

はじめに 4

第1章 日常編

学ぶ 8  仕事 12  ほほ笑み 20  時間 24  言葉 28  ユーモア 32  仲間 36  ファッション 40

第2章 思考編

多様性 46  結婚 50  平和 55  行動力 58  信念 62  不満 68

第3章 人生編

幸せ 74  希望 78  恋と愛 82  親友 88  お金 94  夢 98

おわりに 102      

*目次の数字はページ数

【書籍詳細】

タイトル:『令和を生きぬく貴方たちへ 未来世代が輝くミワちゃま語り20』

著者:美輪明宏

絵:田村 大

発売:光文社

発売日:2025年9月22日(月)*電子書籍は同日発売予定

定価:本体2000円+税

版型:A4変形ソフト

ページ数:104ページ


【著者プロフィール】

(C) 御堂義乘

美輪明宏 Akihiro MIWA

1935年生まれ、長崎県出身。16歳でプロの歌手となり、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」を拠点にクラシック、シャンソン、タンゴ、ラテン、ジャズを歌い話題を集める。1957年に『メケ・メケ』が大ヒット。『ヨイトマケの唄』ほか多数の曲を作るシンガー・ソングライター。コンサート・舞台に加えて、映画・テレビにも多数出演。2012年には77歳で『NHK紅白歌合戦』に初出場。2018年秋には東京都より多方面での功績をたたえられ、平成三十年度東京都名誉都民の顕彰を受けた。

田村 大 Dai TAMURA

1983年生まれ、東京都八王子市出身。似顔絵制作会社に勤務し、7年間で累計3万人の似顔絵を制作する。2016年に似顔絵で世界一を競うISCAカリカチュア世界大会で総合優勝、2018年に独立する。NBA公認イラストレーターとなり、バスケットボールほか多くの有名アスリートを題材にした作品で人気を博す。2019年からはアートの分野でも精力的に作品を発表。2021年11月に東京都渋谷区・atmos千駄ヶ谷店にて初個展『ILLUSTART』、同年に初の作品集「DT」(主婦の友社)を上梓した。2025年3月には、東京都港区・増上寺で大規模な個展を開催。600年以上の歴史を持つ本寺での単独出展は初めてのことだった。

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会社概要

株式会社光文社

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URL
https://www.kobunsha.com/
業種
情報通信
本社所在地
東京都文京区音羽1-16-6
電話番号
-
代表者名
巴 一寿
上場
未上場
資本金
1800万円
設立
1945年10月