大型新人バンド「SKYE」、荒井由実・奥田民生・尾崎亜美ら豪華ゲストを迎えた初ツアー開催!卓越したパフォーマンスを盟友達と繰り広げ、歴史的な公演に!
SKYEのコンサート・ツアーの最終公演が7月26日(火)に東京・渋谷Bunkamuraオーチャードホールで開催され、2時間20分超に渡って22曲を演奏。ゲストに荒井由実、奥田民生、尾崎亜美が参加し、集まった2000人の観客を沸かせた。
SKYEは日本の音楽業界を支え続けてきた鈴木茂(G)、小原礼(B)、林立夫(Ds)/松任谷正隆(Key)の4人が結成した全員70歳の新人バンド。昨年、10月にデビュー・アルバムを発表。7月14日の名古屋を皮切りに大阪、東京と周り、この日ツアーの最終公演を迎えた。
THE BANDの"The Weight"が場内に流れる中、定刻の19時過ぎ、メンバーがゆっくりとステージに現れる。林立夫のドラム、小原礼のベース、鈴木茂のギターに松任谷正隆のキーボードが順に音を重ねていき「Less Is More」でSKYEのステージが静かに幕を開けた。同曲はSKYEのセッションでいちばん最初に誕生した楽曲で、アルバムの1曲めに収められている。SKYEはメンバー全員が曲を書き、全員がリードヴォーカルを取れるバンド。1曲めは小原、2曲めの「Dear M」は松任谷正隆、3曲めの「Daydream」では林立夫がリードヴォーカルを聴かせる。
アルバム収録曲3曲の演奏を終え松任谷正隆から『あらためてSKYEです。僕らのデビューツアーのファイナルにようこそ!』と先ずは客席に向けて挨拶。このツアーにはゲストに荒井由実、奥田民生、尾崎亜美の3人が参加している。『ゲスト目当てにいらっしゃった方も多いと思いますが(笑)、今日はそれを裏切らないショウにしました』と客席の期待を煽りながらアルバム収録曲の「Reach Out To The Sky」、「どちらのOthello」を続ける。SKYEの4人のメンバーは半世紀に渡って日本の音楽界の第一線で活躍してきたミュージシャン揃い。ブラス&コーラス3人のサポートこそあるが、基本は4人のメンバーだけで音を出す。時には抑えながら、時には激しくとSKYEが弾き出すサウンドは変幻自在。マニピュレータなんぞに頼らず重厚かつ華やかな音を出し続け客席を圧倒する。
ゲスト①:奥田民生
小原礼はこの日の3人のゲストを三段ロケットに例え、彼らの推進力がこのツアーを支えてくれていると称賛。『先ずは3段ロケットの一番下から火が出ます!ミスター・ロックンロール、タミオ・オク----ダ!』と奥田民生をステージに招き入れる。今回の出演メンバーの中では奥田民生は若手。小原のロケットの例えを受け『どうも、燃料です(笑)。今日は下っ端のペーペーです』と謙遜しながら奥田のファースト・ソロ収録の「BEEF」に「イージュー★ライダー」をSKYEのメンバーと共に演奏。ここでステージには『家族枠で出てきました!三段ロケットの二段目です!』と小原の妻、尾崎亜美がジョイン。『私たち燃料としては、割といい働きするよね』と奥田に話しかけ2人で「さすらい」を歌う。このあと、奥田はロケットが離脱するように、ふわふわ〜と揺れながらステージを降り、場内の笑いを誘う。
ゲスト②:尾崎亜美
ここからは尾崎亜美のゲスト・コーナーに。『私のデビューのときに、プロの音楽家の扉を開けてくれた皆さんと、今日はご一緒してます』と1曲めに歌ったのは尾崎のファースト・アルバム「SHADY(1976)」に収められた「私は何色」。当時のレコーデイングには松任谷正隆、鈴木茂、林立夫が参加した。松任谷は1枚めと2枚めのアルバム・プロデュースも担当。尾崎にとって想い出深いメンバーが再結集した。続いても3人が関わったセカンド・アルバム「MIND DROP(1977)」収録の「初恋の通り雨」を歌う。『この3人は、私の歴史の中でもとっても大事なひとたち』ですと改めて紹介。いちばん最後に尾崎の前に現れたのが夫でもある小原礼。尾崎の海外録音時、小原に参加を依頼したが断られたエピソードを披露。『でも、この4人は私の中でめちゃめちゃ濃い人たちなんです!』とSKYEのメンバーを称えラストは『19歳の頃に作った歌です。この歌で皆さんに知ってもらえるようになりました』と松任谷プロデュースのサード・シングル「マイ・ピュア・レディ」を歌って、『二段目、離脱します!』と、ロケットが回転するようにクルクル回りながらステージを降りた。
ゲスト③:荒井由実
松任谷正隆の奏でるピアノのイントロに乗ってステージには3人目のゲスト、荒井由実が登場。曲は荒井由実が1972年にリリースしたデビュー・シングル「返事はいらない」。いきなりのレア曲演奏に客席のユーミン・ファンが湧く。『こんばんは、荒井由実です。さっき一段ロケットとか二段ロケットとか言ってましたが、ようは飛び道具としてやってまいりました!』と話すと場内は大爆笑。「返事はいらない」のレコーディングに参加したのが鈴木茂と小原礼。鈴木とは荒井由実が15歳の頃、デモ・テープの録音にギターで参加して以来、SKYEのメンバーの中ではいちばん付き合いが長い。小原は『ユーミンがザ・フィンガーズの追っかけやってる頃から知ってるよ!』と思い出話しに花が咲く。SKYEは半世紀以上も前、青学高校時代に鈴木と小原と林の3人で結成したバンド。荒井由実はその頃から彼らを知っており『東京のスタイリッシュ・キッズの集まり!』と憧れの存在だったそう。続いて歌ったのは75年に発表した6枚目のシングル「あの日にかえりたい」。この曲の録音には林立夫、鈴木茂にキーボードで松任谷正隆が参加した。『(鈴木)茂さん、小原くん、みっち(林)に続いて最後に出会ったのが、残り物に福っていうんですか(笑)』と松任谷正隆を紹介。ユーミン・コーナー最後の曲を歌う前に『これでファイナル。ちょっとね、おセンチになっちゃってるんです。これもいい思い出になっていくね、ファースト・ツアーは1回しかないから』と感傷気味に、この日のステージを振り返る。松任谷は『なるべく普通では聴けない曲やろうかと。次にやる曲は、一緒にやることは2度とないと思います』と紹介したのは「Hong Kong Night Sight」。松任谷のファースト・アルバム「夜の旅人(1977)」に収められた楽曲で詞は荒井由実が書き、後に自身のアルバム「水の中のASIAへ(1981)」でカバーした。荒井は『自分でも、とっても気に入ってる曲です。さっきおセンチになってるって言いましたけど、この曲にも同じ気持ちを載せて歌います』と、エキゾチックなサウンドに荒井が情感込めて歌う。2コーラスからは松任谷がボーカルをとる。演奏前に『せっかくだから、小原んちを真似してデュエットやろうかと』と宣言した通り、夫婦でのデュエットを披露。この滅多に見れないサプライズに2000人のオーディエンスも大喜び。
レアな選曲の連打で客席を大いに沸かせたゲスト・コーナーが終わると、再びSKYEのメンバーの演奏に戻る。鈴木茂から『"風街ろまん"(1971)を作るときに、松本隆さんから詞を頂いて書いた曲です。ライブでは何回か演奏してましたが、録音することはなかった曲です』とギターを弾きながら歌ったのは、はっぴぃえんどの未発表曲「ちぎれ雲」。50年の時を経て今回のSKYEのアルバムで初めて録音された幻の曲だ。
SKYEのコンサートでは演奏の合間にそれぞれのメンバーが制作時のエピソードを話していく。「どちらのOthello」は林立夫がドラム・パターンを最初に考え、そこに松任谷が曲をつけた。林立夫はSKYEのサウンド作りを、各々が食べ物を持ち寄る"ポットラック・パーティー"に例える。メンバーみんなが持ち寄って、ひとつのものを作るというスタイルで”整った"曲が「マイミステイク」。仕上げにメンバーが大好きなメンフィス・サウンドのフレーバーを、ちょっとふりかけた。コロナ禍のじれったさに加え、小原が自身の生き方を深く懺悔して書いた曲だ。ここでは松任谷、林、鈴木の3人が美しいハーモニーのコーラスを聴かせる。
荒井由実+奥田民生+尾崎亜美が登場
ここでステージには再び、荒井、奥田、尾崎の3人がジョイン。荒井はこのメンバーを見て『こうやって、ありえない取り合わせが揃うと、フェスのようですね!』と感激。松任谷から『最初にお話したように、このショウでしか見られないのをいくつか用意しました。次の曲でみなさんがリラックスしてくれないと、ボクの立場がないんです』と話すと、奥田は『名古屋、大阪ではこの曲をきっかけにお客さんと打ち解ける感はありましたしね』と受け、演奏されたのは「アジアの純真〜これが私の生きる道〜渚にまつわるエトセトラ」と続くPuffyメドレー。ご本家のAmiYumiならぬ、尾崎&荒井版での"亜美由実"の登場に客席もオール・スタンディングで応える。圧巻は後半。各々がひとつの曲の中で「アジア〜」「これが私の〜」「渚にまつわる〜」の歌詞を歌うマッシュ・アップを披露。奥田が『隣に釣られないよう気を使った』というほど、超高等テクニックだが、見事にこれを決め、エンディングになだれ込む。ラストは小原の『コロナに負けず突っ走りましょう!』と新アルバムのリード曲「ISOLATION」。豪快なロックンロール・ブギで場内をヒートアップさせ、そのまま奥田の「マシマロ」、尾崎の松田聖子提供曲「天使のウィンク」に荒井由実の「14番目の月」をメドレーで畳み掛け、最後は「ISOLATION」に戻って、大きな拍手の中、本編はここで終了。
アンコールでは荒井由実と一緒にエバーグリーン・ナンバーの「卒業写真」を演奏。小原から『2021年10月にCDデビューが出来て、2022年にこんなにたくさんのお客さんに来てもらって、素晴らしいアーティストの人たちと一緒に出来るなんて感無量です。幸せな気持ちがずっと続くように、もう1曲』とSKYEのメンバーだけで壮大なナンバー「Always」を演奏。ここでメンバーはステージを降りるも、観客の拍手は鳴り止まずセカンド・アンコールに応える。松任谷正隆から『このツアーの事、今夜のことは一生忘れないと思います』とアルバムのラストに収められたバラード曲「BLUE ANGELS」を歌い、2時間20分超に及んだSKYEのツアー最終日を締めた。
このあと、SKYEは、本日7月29日(金)にFUJI ROCK FESTIVAL '22に出演する。また、この日の模様はスペースシャワーTVにて9月30日(金)20:00より放送される。
◆ライブ情報/セットリスト
SKYE TOUR 2022
会場: Bunkamura オーチャードホール
日時:7月26日(火)
開場/開演:18:00/19:00
<SKYE 2002年7月26日@渋谷Bunkamuraオーチャードホール/セットリスト>
01.Less Is More
02.Dear M
03.Daydream
04.Reach Out To The Sky
05.どちらのOthello
06.BEEF / with 奥田民生
07.イージュー★ライダー / with 奥田民生
08.さすらい/ with 奥田民生、尾崎亜美
09.私は何色 / with 尾崎亜美
10.初恋の通り雨 / with 尾崎亜美
11.マイ・ピュア・レディ / with 尾崎亜美
12.返事はいらない / with 荒井由実
13.あの日にかえりたい/ with 荒井由実
14.Hong Kong Night Sight / with 荒井由実
15.ちぎれ雲
16.川辺にて
17.マイミステイク
18.Puffyメドレー / with 奥田民生、尾崎亜美、荒井由実
19.ISOLATION〜マシマロ〜天使のウィンク〜14番目の月
/ with 奥田民生、尾崎亜美、荒井由実
ENCORE
20.卒業写真 with 荒井由実
21.Always
22.BLUE ANGELS
◆リリース情報
『SKYE』
【CD】 COCB 54336 ¥3,300 税込
【LP(2 枚組・重量盤)】COJA 9430/1 ¥4,950 税込
<収録楽曲>
M1. Less Is More 作詞:林立夫 小原礼 作曲:小原礼
M2. Dear M 作詞:林立夫 作曲:松任谷正隆
M3. ISOLATION 作詞:林立夫 作曲:小原礼 松任谷正隆
M4. どちらの Othello 作詞:松任谷正隆 作曲:松任谷正隆 林立夫
M5. Daydream 作詞:林立夫 作曲:松任谷正隆
M6. ちぎれ雲 作詞:松本隆 作曲:鈴木茂
M7. マイミステイク 作詞:小原礼 作曲:小原礼
M8. 川辺にて 作詞:松任谷正隆 作曲:松任谷正隆
M9. Reach Out To The Sky 作詞:小原礼 作曲:小原礼
M10. ROCK'N PINO BOOGIE 作曲:鈴木茂
M11. Always 作詞:小原礼 作曲:小原礼
M12. BLUE ANGELS 作詞:松任谷正隆 作曲:松任谷 正隆
◆HP
https://columbia.jp/artist-info/skye/
◆Profile(五十音順)
■小原礼(おはら れい)
1951年11月17日東京生まれ。3歳の頃からピアノをはじめる。青山学院高等部在学中、鈴木茂、林立夫らと「SKYE」を結成し、そこではじめてベースを手にする。72年、「サディスティック・ミカ・バンド」に参加。その後渡米し、「イアン•マクレガン・バンド」に参加。ロン・ウッド、キース・リチャーズ、ジム・ケルトナー、ボニー・レイットらとも共演。坂本龍一のツアー参加のために帰国。97年尾崎亜美と結婚。以降、屋敷豪太と結成したロック・デュオ「The Renaissance」などのほか、奥田民生、矢野顕子、尾崎亜美、との共演等、精力的に展開している。ソロアルバムとして88年に『ピカレスク』を発表。ロック専門誌で年間ベストアルバムに選ばれている。
■鈴木茂(すずき しげる)
1951年12月20日東京都生まれ。アマチュア・バンドのサークルで細野晴臣と知り合い、69年「はっぴいえんど」に参加。繊細にして大胆なギター・ワークで注目を集める。「はっぴいえんど」解散後、細野晴臣、林立夫、松任谷正隆ともに「キャラメル・ママ」(その後「ティン・パン・アレイ」に改名)を結成。数多くのレコーディングに参加。並行してソロ活動も開始。75年、L.A.レコーディングのソロ・デビュー・アルバム『BAND WAGON』が高い評価を得る。帰国後「ハックルバック」を結成。2000年には細野、林とともに「Tin Pan」を結成。これまでに膨大な数のレコーディングやコンサートへの参加、アレンジャーとして活躍。
■林立夫(はやし たつお)
1951年5月21日生まれ。東京都出身。12才から兄の影響でドラムを始める。72年より細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆と「キャラメル・ママ」で活動を開始。その後、「ティン・パン・アレイ」と改名し、荒井由実、南佳孝、吉田美奈子、いしだあゆみ、大瀧詠一、矢野顕子、小坂忠、雪村いずみ等の作品に携わる。70年代、「パラシュート」、「アラゴン」などのバンドで活躍するが、80年代半ばに音楽活動休止。96年、「荒井由実The Concert with old Friends 」で活動再開。現在は細野晴臣、小坂忠、大貫妙子、矢野顕子、尾崎亜美、等の作品・ツアーに参加。2020年2月、初の書籍「東京バックビート族 ― 林立夫自伝 ― 」を発売。
■松任谷正隆(まつとうや まさたか)
1951年11月19日生まれ。東京都出身。4歳の頃からピアノを習う。74年慶応大学卒業。学生時代よりバンド活動 を始め、細野晴臣、林立夫等と伝説的グループ、「キャラメル・ママ」を結成。「ティン・パン・アレイ」を経て、数多くのセッションにプレイヤーとして関わるようになる。76年、荒井由実と結婚。その後、プロデューサーとしての仕事がメインになり、尾崎亜美、杉真理等の作品を手がけ、松任谷由実をはじめ、様々なアーティストのコンサートの構成・演出も行ない、総合的なプロデュースをしている。
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