「新しい戦前」の今こそ読むべき!『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人々は何を語ったか』発売!!
28年間、500人以上の旧軍人、遺族に取材してきたジャーナリストが、膨大な取材ノートから抽出した金言集!
【著者・神立尚紀氏のまえがきより】
令和4(2022)年2月、ロシアによるウクライナ侵略で始まった戦争は、誰かが悪意を持ってボタンをかけ違えれば、どれほど平和を希求しようとも戦争が始まってしまうという現実を、日本にも否応なしに突きつけてきた。
この戦争は、遠い異国の出来事ではない。ロシアは領土問題を抱えた日本の隣国でもあるし、アジア、太平洋に勢力を拡大しようとしている中国は、沖縄、尖閣諸島を中心に、連日のように日本の領海、領空を侵犯している。稀代の「ならず者」国家である北朝鮮は、ことあるごとに日本海に向けミサイルを発射している。
――こんな情勢で、日本だけが未来永劫、平和でい続けられるという保証はどこにもないのではないか。
戦争はそもそも理不尽なものだから、いざ戦争になれば弾丸やミサイルが理不尽に飛んできて、前線で戦う将兵だけでなく無辜の一般民衆までもが犠牲になるのは、昔もいまも変わりはない。
そして、戦争を始め、遂行する国家の中枢や多くの軍上層部の者たちは戦場に出ることなく、人命をただ「数字」として見て犠牲を顧みないということも、おそらく昔もいまも変わらないところだろう。
ロシアによるウクライナ侵略戦争の戦況をみる限り、戦争の戦い方そのものも、ドローンや精密誘導ミサイルをはじめとするハイテク兵器が投入されたところで、本質は第一次、第二次大戦とそれほど変わっていない。ならばなおのこと、いまを生きる私たちは、過去の戦争から学ぶことは大きいのではないか。
私がこれまで28年を費やしてインタビューを続けてきた戦争体験者の取材ノートを見返したり、取材テープを聞き返すと、ときどき、ハッとする言葉に再会することがある。
そこには、これまで表に出ることのなかった、そして、私自身も取材時には気づいていなかった、当事者ならではの本音や「想い」が刻まれている。なかには、現代にも通じる「金言」も含まれていると思う。
それらの言葉は、どこかで世に出さなければ、誰にも知られることのないまま埋もれ、消え去ってしまうことだろう。――本書は、そんな思いから書いた1冊である。
【本文中の証言よりの抜粋】
真珠湾攻撃に爆撃機搭乗員として参加した大淵珪三(本島自柳)海軍中尉の証言
「私はね、攻撃の前の晩寝るまで「引返セ」の命令があると思っていました」
「真珠湾作戦の計画を聞かされたときには、私なんか作戦の中枢にいるわけではありませんから、ああ、いよいよやるのか、ずいぶん訓練やったからな、とそれだけでした。しかし、日米の外交交渉がうまくいったら引き返すこともあり得ると聞かされていたし、こんな簡単に大いくさを始めていいんだろうか、そういう感じは持っていましたからね」
「戦争が終わったときは、それまで、あんまりこちらのお粗末なところを見てきたから、なんでこんな戦争を始めたんだと、そういう気持ちが強かったですね。子供だって喧嘩するときは止めどきを考えてやるでしょう。それが全くなかったわけですからね」
4度撃墜されてもその度に生還し戦い続けた水上観測機の偵察員・大西貞明海軍中尉の証言
「明日は出撃という前の晩、若い搭乗員が部屋の隅で、机に向かって何かを書いている。『何をしてる?』と声をかけたら、三角函数を懸命に解いていました。『死ぬまで勉強したいんです』と。そのあどけない顔が忘れられません」
フィリピンでの激戦を経て、ベトナムに脱出した頃、第一線に立つことのない一人の参謀が大西に、
「大西少尉、戦争は人類最大の遊戯と言えないかね」
と話しかけてきた。参謀は頽廃を気取ったつもりだったのかも知れないが、大西は、思わず拳銃に手をかけるほどの憤りを感じた。
「私の隊では、毎日若い搭乗員が戦死している。遊びで死ねるなら貴方が先に死になさい!」
そのとき初めて、上層部の無責任さを感じ、戦うことに疑問を覚えたのだという。
ソロモン諸島での空戦中、エンジンの不調により不時着、捕虜となって米本土の収容所で終戦を向けた中島三教元海軍飛行兵曹長の証言
「捕虜になって帰ってきたのに、まわりはみんな歓迎してくれる。みんな喜んでくれる。しかし私は、なんだかそらごとのような気がして、ほんとうは蔑まれてるんじゃないかと、相当悩みましたよ。いつまでも長い間、『恥』という感覚は消えませんでしたなあ。
日露戦争でロシア軍の捕虜になった人が、日本に帰れずアメリカに渡って浄土真宗の僧侶になっていて、マッコイに面会に来たことがありました。立派な人でしたが、我々も日本がもし勝ってたら帰れなかったでしょうな。負けて、日本の軍隊がなくなったから帰ってこられたようなもんですよ」
「特攻の生みの親」と称された大西瀧治郎中将の副官として、特攻作戦の一部始終を見届けた門司親徳元海軍主計少佐の証言
「中央で特攻が既定路線となっていたことを知ったのは戦後のことですが、いずれにしても、ずっと前線にいた目から見て、トラック空襲で司令部が見せた失態が尾を引いて、坂道を転げ落ちた果てに特攻に行きついた面があることは間違いない。
そして、その一連の流れにあった上層部の指揮官で、終戦の詔勅翌日(昭和20年8月16日)に自刃した大西中将をのぞき、部下を死地に追いやった責任を、自ら死をもって償った人は一人もいませんでした。
軍令部作戦部長として特攻作戦を採用した中澤佑少将は、終戦時、台湾の高雄警備府参謀長で特攻を命じる立場でしたが、大西中将自決の一報が届いたとき、中澤少将も責任を感じて自決するのでは? とそれとなく様子をうかがう幕僚たちを前に、『俺は死ぬ係じゃないから』と言い放った。
それが特攻を命じた側の多くの本音だったのかもしれません。
そんなこともあって、『安全地帯にいる人の言うことは疑え』というのが、大東亜戦争(太平洋戦争)の大教訓だと思っています」
【目次より】
戦争に熱狂する国民・メディアに対する一兵学校生徒の冷静な目
霞ケ浦海軍航空隊の教官が練習生たちに示した戦闘機乗りの心意気
空戦の指揮官たる若き海軍航空士官たちの反骨心
戦勝に沸く中国戦線で戦争の行く末を案じた戦闘機隊隊長の懸念
真珠湾攻撃に参加した爆撃機搭乗員が明かした、攻撃前夜の意外な胸の内
日米開戦の日の朝、聯合艦隊に所属する艦長が発した怒り心頭のひと言
日々命がけで戦う凄腕下士官搭乗員が激戦の最中に実践していたこと
日本海軍のサラブレッドが惨敗の海戦で知った日本海軍の驕り体質
剛毅で知られた戦闘機乗りが劣勢の空戦の最中に感じた心境の変化
政治と軍事を独裁する東条英機首相に正面から楯突いた新聞記者の気骨
大惨事となったカウラ捕虜収容所暴動に参加した元海軍下士官の悔恨
乗艦が撃沈され漂流する乗組員百九十三名の命を救ったリーダーの決断
「海軍の墜落王」が、ある参謀の暴言に激高して発した言葉
撃沈された戦艦「大和」の生存士官が公式記録に残した、戦友たちへの思い
特攻隊員たちの出撃後、兵舎だった小学校の黒板に残されていた辞世
終戦直後、上官からのある「指令」に反発した、歴戦の戦闘機乗りの矜持
捕虜となった凄腕パイロットが米本土の収容所で知った衝撃の事実
終戦後、開拓農民となった名パイロットが抱いた戦争指導者たちへの怒り
海軍兵学校と東京大学。凄惨な戦場から生還したが海軍士官が学んだこと
銃後を守り続けた戦闘機乗りの妻が、戦後、涙ながらに訴えたこと
戦後、撃墜した敵パイロットと奇跡の再会を果たした零戦搭乗員の感慨
徳川幕府直参の跡取りである学徒搭乗員が晩年に残した達観の言葉
日本海軍きっての名戦闘機隊長が晩年に語った戦争への苦い思い
特攻の一部始終を見届けた主計将校が語ったあの戦争の真実
夫が戦死、戦後再婚した妻たちは、六十年の時を経たとき、何を語ったか?
【著者プロフィール】
神立尚紀(こうだち なおき)
1963年、大阪府生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒業。1986年より講談社「FRIDAY」専属カメラマンを務め、主に事件、政治、経済、スポーツ等の取材に従事する。1997年からフリーランスに。1995年、日本の大空を零戦が飛ぶというイベントの取材をきっかけに、零戦搭乗員150人以上、家族等関係者500人以上の貴重な証言を記録している。著書に、『太平洋戦争秘史 戦士たちの遺言』(講談社ビーシー)、『証言 零戦 生存率二割の戦場を生き抜いた男たち』『証言 零戦 大空で戦った最後のサムライたち』『証言 零戦 真珠湾攻撃、激戦地ラバウル、そして特攻の真実』『証言 零戦 搭乗員がくぐり抜けた地獄の戦場と激動の戦後』(いずれも講談社+α文庫)、『太平洋戦争 運命の瞬間』『太平洋戦争 空白の史実』(いずれも潮書房光人新社)などがある。
【商品概要】
商品名:『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人々は何を語ったか』
定価:本体1500円(税別)
発売日:2023年7月4日
判型/ページ:四六型/224ページ
ISBN:978-4-06-530405-1
発行:講談社ビーシー/講談社
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