歴史上初の試み!バチカンと日本の交流史に新たな地平!「バチカン文書館等日本関係文書目録」 イタリア・ルッカ市で開催の国際シンポジウムにて発表!
去る5月6日、7日の2日間にわたり中世の街並みが残るイタリアのルッカ市ドゥカーレ宮殿にて、国際シンポジウム「Thesaurum Fidei(道信)」(信仰の宝)が開催され、バチカン、日本、アメリカ、ドイツ、イタリアの大学などの文化機関から20名以上の著名な学者が参加し、研究成果を発表しました。テーマとしては、1500年代に始まった日本における宣教師による布教活動と迫害、隠れキリシタンの現象などに大きく焦点が当てられました。
また、本シンポジウムは、長崎で1622年に殉教したルッカ市出身のドミニコ会宣教師アンジェロ・オルスッチ氏の生誕450年(1573~)となった5月8日を記念しての開催となりました。
- プッチーニが生まれたルッカは、長崎と深いつながり。彼の 『蝶々夫人』 は、実は長崎を舞台にしています。
- 【挨拶】
ルッカ大司教 パオロ・ジュリエッティ氏
隠れキリシタンにとって、信仰は宝物のようなものでした。私たちの宣教師のように危険にさらされながら何ヶ月も旅をする者もいれば、日本の多くの殉教者のように信仰のために命を犠牲にする者さえいました。そして、このシンポジウムをルッカ出身の宣教師、福者アンジェロ・オルスッチに捧げます。
長崎名誉大司教 高見三明氏
長崎は、信仰のために多くの人が命を犠牲にした土地です。ジャコモ・プッチーニが生まれたルッカは長崎と深いつながりがあります。彼の『蝶々夫人』は、実は長崎を舞台にしています。カトリック文化はこの街の歴史に大きな影響を与え、その時代の証拠が今も生きています。
ドミニコ会管区長 アントニオ・ココリッキョ氏
1618年、アンジェロ・オルスッチはスペイン商人に扮して日本に到着しました。彼は日本文化から多くを学びましたが、1622年に火あぶりの刑に処されています。福者オルスッチは、自分達とはまったく違う文化と結びつきました。彼は人里離れた地域を訪れ、信仰に導かれた日本のキリスト教徒を支援していました。
駐バチカン日本国特命全権大使 千葉明氏
バチカンと日本との関係は、イタリアの統一や日本の統一以前から発展していました。 この関係は、17世紀の迫害によって中断されましたが、19世紀後半に再開されています。隠れキリシタンは、今回のシンポジウムが指摘するように、信仰を宝物としてきたのです。隠れキリシタンが使用した多くのシンボルの中で、牡丹はキリストを表しています。日本のカトリック信者の数はイタリアより少ないですが、日本文化におけるカトリック文化の存在感は明らかです。学校では、フランシスコ・ザビエルやキリシタンの迫害について勉強しています。日本で一般的に使われている表現には(豚に真珠、目から鱗が落ちるなど)、隠れキリシタンやカトリック文化に由来するものが多く見られます。
ルッカ市長 マリオ・パルディーニ氏
カトリック文化は、過去においても、現在も日本とイタリアを結びつけています。ルッカの地と日本をつないでいるこの国際会議がその証拠といえます。
ルッカ県長 ルーカ・メネシーニ氏
2022年に長崎へ行きました。その時にルッカでの歴史的なイベントの構想が生まれ、ここまで準備を進めてまいりました。忘れられていた両国の歴史、人物をこのルッカで発掘することはとても重要です。こうした文化交流によって日本とバチカンの関係が深まっていくことは非常に価値があると思っています。
- バチカンと日本の今後のさらなる真実の解明に貢献!「バチカン文書館等日本関連文書目録」作成の成果とは?
450年以上にわたるバチカンと日本の秘められた歴史を紐解くことを目的のひとつとしてスタートした「バチカンと日本 100年プロジェクト」。日本では長年にわたる禁教時代にあって、その交流の証となる史料のほとんどが失われてしまいましたが、バチカン図書館やバチカン文書館などには、その間の様々な文献が存在し、その多くが未整理、未解明のままの状態でした。
本プロジェクトでは、バチカンに眠る膨大な交流史料を整理、分類し、研究者が史実の発見、解明にむけて効率的な調査研究ができるように、「バチカン文書館等日本関連文書目録」を作成することが重要なテーマのひとつとなりました。それによって、潜伏キリシタン時代の日本に関する報告史料の解明や、20世紀前半のローマ教皇庁と日本政府の外交関係史料の発見など、大きな成果にもつながったのです。シルヴィオ・ヴィータ先生
長年、日本におけるカトリック文化の存在は過小評価されてきました。しかし、近年、その存在は、日伊の間に重要かつポジティブな影響を与えてきたことが分かってきました。私たちはバチカン文書館に所蔵されている日本関係文書の目録の作成を進めてきました。この成果は、日伊関係を研究するすべての世代の研究者にとって貴重な研究の基本資料といえます。
バチカン文書館を中心とした3カ所の施設を中心に行われたこの研究は、日本におけるカトリック文化の影響についてさらなる考察をもたらすことができます。それとともに、何よりも、迫害によって消されてしまった日本のキリスト教徒の声を、この資料を通して伝えることができるのです。
現地アーキビスト フェデレィカ・ジョウルダーニ氏
バチカン文書館、福音宣教省文書館、教皇庁教理省文書館などに所蔵されている日本関係の資料を整理しました。今までのやり方では、すべての宣教師活動とバチカンの関係に深くはアクセスできませんでした。
この目録を有効に活用するために、本の形態で刊行する予定です。今回は1549年から18世紀までの目録です。いくつかの文書から数百の資料を分析しました。
現在まで公式な資料だけを目録に収録してきましたが、未確認の文書については、これまで見つけられなかったメモや余白の書き入れを通して、本格的な問題研究を行うことができるようになりました。”潜伏している資料”の存在を知ることによって、研究者がそうした資料の深い研究ができる状況になりました。
- ルッカ市内4カ所にて展示会を開催!101点のバチカンと日本の関係文書を披露!
5月6日~7日の国際シンポジウムの後、5月8日からはルッカ市内の聖クリストファー教会を始め、州立図書館、州立公文書館、教区歴史文書館ホールの4カ所にて、宣教師による布教活動や迫害による殉教者、隠れキリシタン関連の300年にわたる史料を展示するイベントが開催されました。そこでは、フィレンツェで最近発見された、禁教に苦しむ日本のキリシタンが教皇パウロ5世宛に送った奉答書なども展示されました。
初日の5月8日には、長崎で殉教したルッカ市出身の宣教師アンジェロ・オルスッチ氏とゆかりの深い旧ドミニコ会修道院であるサン・ロマーノ複合施設内にて、オルスッチ氏生誕450年を記念した盾の除幕式が執り行われ、長崎名誉大司教の高見三明氏と日本の代表団が参加しました。
さらに高見名誉大司教は日本の代表団とともに守護天使礼拝堂を訪れて荘厳なミサを行い、イタリアのルッカ市と長崎の2つの都市、2つの教区が信仰によるつながりを益々強くしていくことを祈念しました。
このイベントは、5月6日の国際シンポジウムを皮切りに、5月31日まで開催される予定です。
https://www.diocesilucca.it/thesaurumfidei/
- 「バチカン文書館等日本関連文書目録」(16~18世紀編)の出版について
編纂者はフェデレィカ・ジョウルダーニ(現バチカン文書館のアーキビスト)およびアンドレア・チッチェルキア(アーキビストの専門調査員として、バチカン・スペイン・ポルトガルで豊富な業績がある)両氏。二人ともアーキビストの専門知識を持ちながら、歴史研究者として名をあげています。日本関係史料という特徴を考え、日本研究分野の専門家の監修が必要になるので、最終的な確認においてシルヴィオ・ヴィータ氏および角川チームメンバーの何人かが加わります。
以上のような総合目録は歴史上最初の試みであり、21世紀の研究者にとって貴重な参考書となります。まさしく、角川文化振興財団の力で、数年の間、現地の専門調査員が研究と目録作成に従事し、教皇庁と日本の交渉史研究に新しい地平を開くものとなるでしょう。史料を網羅した調査や現時点における各文書館内の配置番号の正確な情報を調査し、本目録はそれぞれの史料について詳細な解説を掲載しています。文書の由来や他の所蔵文書の関連性についても記載しており、その歴史や作成過程がかなりの程度まで浮き彫りになります。
上記の特徴に比べると、過去において発表されてきた同類の史料紹介は、リストに過ぎず、文書分析に基づいたアーカイブ学的な分析はほぼ行われていません。なお、バチカン文書館所蔵文書の内容はある程度知られたとしても、福音宣教省文書館所蔵資料は部分的に知られているのみで、教皇庁教理省文書館所蔵文書は未知の領域であり、紹介されたことがありません。
バチカン文書館の規定により、目録の使用言語はイタリア語となりますが、「目録」という性質上これは専門研究者の利用には大きな妨げとならないと思われます。しかし、バチカン文書館との話し合いの結果、少しばかりの英語解説も加わることとなりました。
※なお、「バチカン文書館等日本関連文書目録」は、2024年春にバチカンにて出版予定となります。
(オンラインでも購入が可能です。出版の詳細については、後日発表いたします。)
このプレスリリースには、メディア関係者向けの情報があります
メディアユーザー登録を行うと、企業担当者の連絡先や、イベント・記者会見の情報など様々な特記情報を閲覧できます。※内容はプレスリリースにより異なります。
すべての画像