映画「じょっぱり―看護の人花田ミキ」(監督:五十嵐匠)クランクアップ、来年春の公開予定
この時代を生きる一人ひとりの命の大切さ、生きる尊さを伝える
映画「じょっぱり-看護の人花田ミキ」は、自分の身を顧みず「保健と看護という職業」に命を捧げた実在した保健師の花田ミキさんのたくましさと、やさしさ、そして命の尊さを伝える作品です。 コロナ禍の現在、花田ミキさんの看護に命をかけた波乱万丈の生きざまを映画化し、戦争の悲劇、命を守る保健師の原点、そして「この時代を生きる」ことの大切さを提示します。
青森県弘前市出身。青森県立弘前高等女学校(現在の青森県立弘前中央高等学校)卒業後、盛岡赤十字看護婦養成所に入学。卒業後、日本赤十字社青森県支部の看護婦となります。
戦争時代は従軍看護婦として戦場で負傷兵の看護にあたり、終戦後は青森県で、看護教育の基礎を築き上げるため青森県立高等看護学院(いまの青森県立保健大学)の立ち上げ、保健行政の立場から無保健婦町村の解消、僻地救護看護の確立に努めました。
従軍看護婦として3回召集され、20代のほとんどを戦場で過ごす。多くの兵隊の死、治療をして動けるようになるとまた戦場に送られてしまう矛盾に「命を阻むものはすべて悪」との考えに至り、生涯にわたりその思いを実践に移す。
【1947年】青森県看護協会設立
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の看護改革の一つである日本産婆看護婦保健婦協会設立に際して、日本産婆看護婦保健婦協会青森支部(現在の青森県看護協会)設立に着手。
【1949年】ワクチンなき時代 ポリオとの戦い
1949年6月、八戸市でポリオの集団感染がおこる。ワクチンがない時代、花田ミキは単身上京し、GHQのナースから治療法「ケニー療法」の情報を得る。看護チームをつくり八戸赤十字病院でその療法を続けるとともに、新聞にその方法を掲載し人々に分かりやすく紹介する。
【1952年】青森県立高等看護学院(現在の青森県立保健大学)が開校
1950年、青森県庁に創設された衛生部看護係の係長として着任。青森県庁としては女性の係長は初めてであった。日本の看護教育がアメリカなどよりもはるかに遅れていることや、看護婦を社会的に専門職として認められていない状況を変えるため、看護教育施設の設立を目指した。1951年に設立が認められ、翌1952年に青森県立高等看護学院(現在の青森県立保健大学)が開校した。
【1964年】 「もったらころすな運動」全国最悪の乳児死亡率の減少に挑む
保健婦・助産婦団体による「もったらころすな運動」を展開。1950年、青森県の乳児死亡者の割合は1,000人中95.5人と全国で最悪を記録。保健婦の地域密着の家庭訪問、早期に役場に届けを出した妊婦へさらしを配るなどして、乳幼児死亡率の改善に取り組む。
【1965年】保健婦の不在の町村をなくす「派遣保健婦制度」の確立
青森県内の約半分の自治体では保健婦が不在であった。そこで、県立高等看護学院の卒業生を青森県職員として採用し、派遣することで保健婦不在の自治体をなくした。1971年には2人以上の保健婦が在勤する体制を確保した。
【1973年】青森県庁退職
退職後は、保健看護研究家として活動。また戦争体験を伝えるため戦中記録集『語り継ぎたい』(1994年)、戦争体験短歌集『燠なお消えず』(1997年)などを自費出版。
2006年、死去。本人の遺志に基づき、遺体は弘前大学医学部へ献体された。
王林(おうりん) 小泉ちさと役
伊勢佳世(いせ かよ) 花田ミキ役
撮影は関東と、花田ミキさんが保健活動をした青森県佐井村で行われました。
劇映画
時間:90分
監督/脚本:五十嵐 匠
制作プロダクション:株式会社ストームピクチャーズ
【監督作品】
長編ドキュメンタリー映画「SAWADA」(1996)毎日映画コンクール文化映画グランプリ。
映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」(2000)(浅野忠信主演)毎日映画コンクール 主演男優賞
映画「HAZAN」(2003)(榎木孝明主演)ブルガリア・ヴァルナ国際映画祭グランプリ。
映画「長州ファイブ」(2007)(松田龍平主演)ヒューストン国際映画祭 グランプリ。
映画「二宮金次郎」(2019)(合田雅吏主演)他、国内外で高い評価を得ている。
新作は、映画「島守の塔」(2022)(萩原聖人、村上淳、吉岡里帆、香川京子・監督脚本)。
<五十嵐匠監督からメッセージ>
【私は、一人の保健師に命を助けられた】
1960年5月25日の午後5時50分。青森県弘前市から青森市に向かう奥羽線の列車の中で一人の母親が赤子を抱き、「お医者さんがいませんか」と泣き叫んでいました。抱かれたその子はハシカで高熱を出し、すでに呼吸は停止。
その子は乗り合わせていた保健師の手当てと適切な処理で、浪岡駅で降ろされ、自衛隊ジープに乗り浪岡病院、青森市へとリレーされ一命をとりとめました。
その男の子の命を救ったその保健師は花田ミキと名乗りました。
そして、死にかけたその子が私でした。
映画「じょっぱりー看護の人花田ミキ」を通じて、自分の身を顧みず「保健と看護という職業」に命をささげた女性のたくましさと、やさしさ、そして命の尊さを綴ります。
私はコロナ禍で命を顧みず必死に戦っている医療従事者の皆さんにエールを送ろうと思い、命の恩人花田ミキさんの映画を企画・制作することを決意します。
五十嵐匠監督からのメッセージ 映画「じょっぱりー看護の人花田ミキ」制作に向けて(YouTube)
川口 浩史(かわぐち ひろふみ)
東京都出身。日本映画学校(現日本映画大学)脚本科卒業。2010 年、日本・台湾合作の長編映画映画『トロッコ』で劇映画監督デビューを果たす。さらに、2011 年、韓国・全羅南道で撮影した長編映画『チョルラの詩』を韓国スタッフ・キャストの中に単身乗り込み監督を務める。2020年テレビ東京金曜サスペンス「警視庁強行犯係・樋口顕」で監督する一方、2021年福井県鯖江市の眼鏡産業興隆を描いた劇場用映画「おしょりん」のプロデュース。2022年五十嵐監督とタッグを組んで製作した映画「島守の塔」でプロデューサーを務めた。
鎌倉 幸子(かまくら さちこ)
青森県弘前市出身。青森県立弘前中央高等学校卒業後、渡米。アメリカの大学で青少年福祉学、国際情勢学を学ぶ。バーモント州School for International Trainingで異文化経営学を修士課程修了。1998年6月より2007年3月までカンボジアに駐在し、内戦終了後の国で、小学校に図書室をつくるプロジェクトに従事。
2023年3月16日(木)23:00まで、目標金額1,000万円で、クラウドファンディングに挑戦中です。
すでに500人をこえる皆さまにご支援をいただいています。
この時代を生きる一人ひとりの命の大切さ、生きる尊さを伝える映画「じょっぱりー看護の人花田ミキ」の制作にお手伝いをいただけませんか?
■クラウドファンディングプロジェクト概要
タイトル:「じょっぱりー看護の人花田ミキ」命の尊さを綴る映画制作プロジェクト
URL: https://readyfor.jp/projects/hanadamiki
最終目標金額:1,000万円
募集期間:3月16日(木)23:00まで
資金使途:映画制作にかかる費用費
- 花田ミキさんの経歴
青森県弘前市出身。青森県立弘前高等女学校(現在の青森県立弘前中央高等学校)卒業後、盛岡赤十字看護婦養成所に入学。卒業後、日本赤十字社青森県支部の看護婦となります。
戦争時代は従軍看護婦として戦場で負傷兵の看護にあたり、終戦後は青森県で、看護教育の基礎を築き上げるため青森県立高等看護学院(いまの青森県立保健大学)の立ち上げ、保健行政の立場から無保健婦町村の解消、僻地救護看護の確立に努めました。
【1937~1943年】救護看護婦として戦争への3度の召集
従軍看護婦として3回召集され、20代のほとんどを戦場で過ごす。多くの兵隊の死、治療をして動けるようになるとまた戦場に送られてしまう矛盾に「命を阻むものはすべて悪」との考えに至り、生涯にわたりその思いを実践に移す。
【1947年】青森県看護協会設立
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の看護改革の一つである日本産婆看護婦保健婦協会設立に際して、日本産婆看護婦保健婦協会青森支部(現在の青森県看護協会)設立に着手。
【1949年】ワクチンなき時代 ポリオとの戦い
1949年6月、八戸市でポリオの集団感染がおこる。ワクチンがない時代、花田ミキは単身上京し、GHQのナースから治療法「ケニー療法」の情報を得る。看護チームをつくり八戸赤十字病院でその療法を続けるとともに、新聞にその方法を掲載し人々に分かりやすく紹介する。
【1952年】青森県立高等看護学院(現在の青森県立保健大学)が開校
1950年、青森県庁に創設された衛生部看護係の係長として着任。青森県庁としては女性の係長は初めてであった。日本の看護教育がアメリカなどよりもはるかに遅れていることや、看護婦を社会的に専門職として認められていない状況を変えるため、看護教育施設の設立を目指した。1951年に設立が認められ、翌1952年に青森県立高等看護学院(現在の青森県立保健大学)が開校した。
【1964年】 「もったらころすな運動」全国最悪の乳児死亡率の減少に挑む
保健婦・助産婦団体による「もったらころすな運動」を展開。1950年、青森県の乳児死亡者の割合は1,000人中95.5人と全国で最悪を記録。保健婦の地域密着の家庭訪問、早期に役場に届けを出した妊婦へさらしを配るなどして、乳幼児死亡率の改善に取り組む。
【1965年】保健婦の不在の町村をなくす「派遣保健婦制度」の確立
青森県内の約半分の自治体では保健婦が不在であった。そこで、県立高等看護学院の卒業生を青森県職員として採用し、派遣することで保健婦不在の自治体をなくした。1971年には2人以上の保健婦が在勤する体制を確保した。
【1973年】青森県庁退職
退職後は、保健看護研究家として活動。また戦争体験を伝えるため戦中記録集『語り継ぎたい』(1994年)、戦争体験短歌集『燠なお消えず』(1997年)などを自費出版。
2006年、死去。本人の遺志に基づき、遺体は弘前大学医学部へ献体された。
- キャスト紹介
青森県出身。弘前大学教育学部美術学科を卒業後、中学校の美術教師となるが、1年で退職、上京して演劇の世界に入る。1974年に東京演劇アンサンブル養成所時代の仲間5人と、女性だけの劇団「青い鳥」を結成。翌年に旗揚げ公演を行い、80年代の小劇場ブームの旗手的な存在になる。86年、同劇団を退団。現在は、女優・演出家として活躍中。 2019年、映画「愛しのアイリーン」(吉田恵輔監督)での演技を高く評価され、第92回キネマ旬報助演女優賞を受賞。
王林(おうりん) 小泉ちさと役
1998年青森県弘前市生まれ。小学3年から「弘前アクターズスクール」に入り、2007年から『アルプスおとめ』・2013年に姉妹グループの『りんご娘』に7期メンバーとして加入し、2022年3月までリーダーとして活動。故郷、青森県をこよなく愛し、第一次産業や地方活性化のために芸能活動に情熱を注いでいる。
伊勢佳世(いせ かよ) 花田ミキ役
神奈川県出身。法政大学在学中に劇団俳優座養成所に入所し、芝居の基礎を学ぶ。 2008年より2016年まで前川知大主宰の劇団イキウメに参加。『散歩する侵略者』『太陽』『聖地X』など劇団代表作に出演。近年の主な舞台にNODA・MAP「Q:A Night At The Kabuki」(作・演出:野田秀樹)、風姿花伝プロデュース『ダウト〜疑いについての寓話』(演出:小川絵梨子)、こまつ座『父と暮せば』(演出:鵜山 仁)など。
- 撮影
撮影は関東と、花田ミキさんが保健活動をした青森県佐井村で行われました。
- 映画概要
劇映画
時間:90分
監督/脚本:五十嵐 匠
制作プロダクション:株式会社ストームピクチャーズ
- 脚本・監督 五十嵐匠(いがらし しょう)
日本映画監督協会所属。1958年、青森市生まれ。青森県立弘前高等学校、立教大学文学部卒。岩波映画・四宮鉄男監督に師事。TBS「兼高かおる世界の旅」制作のため、アラスカをはじめ、世界各国を回る。以後フリー。
【監督作品】
長編ドキュメンタリー映画「SAWADA」(1996)毎日映画コンクール文化映画グランプリ。
映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」(2000)(浅野忠信主演)毎日映画コンクール 主演男優賞
映画「HAZAN」(2003)(榎木孝明主演)ブルガリア・ヴァルナ国際映画祭グランプリ。
映画「長州ファイブ」(2007)(松田龍平主演)ヒューストン国際映画祭 グランプリ。
映画「二宮金次郎」(2019)(合田雅吏主演)他、国内外で高い評価を得ている。
新作は、映画「島守の塔」(2022)(萩原聖人、村上淳、吉岡里帆、香川京子・監督脚本)。
<五十嵐匠監督からメッセージ>
【私は、一人の保健師に命を助けられた】
1960年5月25日の午後5時50分。青森県弘前市から青森市に向かう奥羽線の列車の中で一人の母親が赤子を抱き、「お医者さんがいませんか」と泣き叫んでいました。抱かれたその子はハシカで高熱を出し、すでに呼吸は停止。
その子は乗り合わせていた保健師の手当てと適切な処理で、浪岡駅で降ろされ、自衛隊ジープに乗り浪岡病院、青森市へとリレーされ一命をとりとめました。
その男の子の命を救ったその保健師は花田ミキと名乗りました。
そして、死にかけたその子が私でした。
映画「じょっぱりー看護の人花田ミキ」を通じて、自分の身を顧みず「保健と看護という職業」に命をささげた女性のたくましさと、やさしさ、そして命の尊さを綴ります。
私はコロナ禍で命を顧みず必死に戦っている医療従事者の皆さんにエールを送ろうと思い、命の恩人花田ミキさんの映画を企画・制作することを決意します。
五十嵐匠監督からのメッセージ 映画「じょっぱりー看護の人花田ミキ」制作に向けて(YouTube)
- プロデューサー
川口 浩史(かわぐち ひろふみ)
東京都出身。日本映画学校(現日本映画大学)脚本科卒業。2010 年、日本・台湾合作の長編映画映画『トロッコ』で劇映画監督デビューを果たす。さらに、2011 年、韓国・全羅南道で撮影した長編映画『チョルラの詩』を韓国スタッフ・キャストの中に単身乗り込み監督を務める。2020年テレビ東京金曜サスペンス「警視庁強行犯係・樋口顕」で監督する一方、2021年福井県鯖江市の眼鏡産業興隆を描いた劇場用映画「おしょりん」のプロデュース。2022年五十嵐監督とタッグを組んで製作した映画「島守の塔」でプロデューサーを務めた。
鎌倉 幸子(かまくら さちこ)
青森県弘前市出身。青森県立弘前中央高等学校卒業後、渡米。アメリカの大学で青少年福祉学、国際情勢学を学ぶ。バーモント州School for International Trainingで異文化経営学を修士課程修了。1998年6月より2007年3月までカンボジアに駐在し、内戦終了後の国で、小学校に図書室をつくるプロジェクトに従事。
- クラウドファンディングに挑戦しています<目標金額:1,000万円>
2023年3月16日(木)23:00まで、目標金額1,000万円で、クラウドファンディングに挑戦中です。
すでに500人をこえる皆さまにご支援をいただいています。
この時代を生きる一人ひとりの命の大切さ、生きる尊さを伝える映画「じょっぱりー看護の人花田ミキ」の制作にお手伝いをいただけませんか?
■クラウドファンディングプロジェクト概要
タイトル:「じょっぱりー看護の人花田ミキ」命の尊さを綴る映画制作プロジェクト
URL: https://readyfor.jp/projects/hanadamiki
最終目標金額:1,000万円
募集期間:3月16日(木)23:00まで
資金使途:映画制作にかかる費用費
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