世界初 内側から光る真珠の養殖に三重県南伊勢町のチームが成功
御木本幸吉の真珠養殖成功から約130年。三重県のパールアート作家・上村栄司率いるチームが暗闇で蛍光する真珠「ほたる」を世界で初めて開発しました
株式会社パール(三重県南伊勢町、上村栄司社長)はこのほど、暗闇で赤や青の光を放つ真珠の養殖に世界で初めて成功しました。地元の養殖業者、蒔絵師らとチームを組んで開発し、5年かけて実現。「ほたる」と命名しました。真珠を用いた芸術作品の作家でもある上村栄司は「衰退の続く真珠養殖産業の立て直しや、過疎化の進む地元・南伊勢町で若い世代が夢を持てる未来をかなえたい」と期待しています。
光る真珠とは
真珠にはもともと蛍光性があります。紫外線を吸収して目に見える光を放つ性質のことで、鑑別のために以前から利用されてきました。例えば、アコヤ真珠は黄色がかった蛍光を放つ一方、淡水真珠は青白い蛍光を放ちます(注1)。ブラックライトで照らして光れば真珠であると見分けることができます。
「ほたる」はこの性質を利用し、真珠の元となる核に特殊な技術を施して母貝に入れ育てました。上村の発想を理解し協力してくれたのは地元の養殖業者、森真志氏・裕継氏兄弟です。
母貝が異物だと認識すると核を外に出してしまいます。長年の経験をもとに、母貝だけでなく核と一緒に入れる真珠層のもとになる細胞も選び抜きました。さらに、真珠全体が均等に光るよう蒔絵師・關敬介氏の協力を得てさまざまなパターンを試しました。
2019年から研究を始め、最初の1〜2年は光が弱く、すぐに消えてしまいました。 真珠層が巻く(大きくなる)と自然光が核に届きにくくなる分、真珠から出る光も弱まります。核入れや取り出しの時期を通常とは変更するなど、試行錯誤を重ねました。
2024年、ようやくこれだ!と思える真珠が出来上がり、5月に米国ニューヨークで開催した個展で披露いたしました(注2)。
注1:山本亮「真珠鑑別における蛍光観察および蛍光分光測定の検討」真珠科学研究所『マルガリータ』(2022年7月13日)
注2:ソーホーの「ギャラリー・マックス・ニューヨーク」で5月21〜25日に開催。様子は「光る真珠を開発」『週刊NY生活』(2024年5月29日付)でお読みになれます
「ほたる」開発の背景
稚貝を育て、核入れをした母貝から真珠をいただき、母貝は命の終わりを迎えます。一粒の真珠ができるまでには気の遠くなるような世話だけでなく、自然界の力、母貝の命の営みがあります。
以前は真円でテリや色の良い真珠ばかりが求められ、いびつなものや傷・凹みのあるものは“クズ珠”と呼ばれてはじかれていました。
上村栄司は三重県南伊勢町に生まれ、祖父の代から続いてきた上村真珠養殖の三代目として真珠の世界に飛び込みます。技術を習得し、多い時で1日に約1200個の核入れを行っていました。
母貝が命がけで育ててくれた真珠を一粒でも無駄にしたくないと考えた上村は、形を生かしたり傷の部分に蒔絵を施したり天然石を凹みに埋めたりしてジュエリーを作るようになり、アーティストとして活動を始めました。
ある時、完成してからデザインするのではなく真珠になる前にデザインするアイデアを思いつきました。真珠養殖に長年携わり、出来上がるまでをつぶさに見てきたからこそです。
真珠養殖産業を元気にしたい
御木本幸吉が1893年に半円真珠の養殖に成功し、さらに切磋琢磨のおかげで真円真珠の養殖にも成功して以来、日本は世界の真珠産業をリードしてきました。
しかし1993年以降、国内の真珠養殖業者数は減り続け、2018年までの25年間で約7割減少しました(注3)。1990年代に赤潮などの影響で母貝が大量に死んでしまったことが原因の一つです。2019年以降にはウイルス感染症による大量死も起きました。グローバル化でアコヤ貝以外の二枚貝を母貝とする淡水養殖が広がり、真珠の価格自体が下がったことも影響しています。
日本の誇る真珠養殖業に再び息を吹き込もうと2016年には真珠振興法ができ、経営の安定や漁場の改善、人材の育成などに動きが出始めました。三重県の真珠養殖業者は家族経営が多く、上村真珠養殖もその一つです。真珠養殖業者がどんどん減り過疎化する南伊勢町でも、若い世代が夢を持って過ごせる未来を作りたい。今までと同じことをしているだけではいけないと考え、たどり着いたのがこのプロジェクトです。
注3:水産庁「真珠養殖をめぐる情勢について」(2023年7月)p.6
上村栄司よりメッセージ
今、私は「ほたる」をどんな作品に仕上げるかワクワクしながら考えているところです。
明るいところでは普通の真珠に見え、暗くすると光り出す。今までにないサプライズです。プロポーズの時に、ライトを消して渡すサプライズリングなども夢があってすてきですね。
世界中の人に知ってもらい、楽しんでもらいたいです。真珠と言えば日本、ほたる真珠と言えば南伊勢町と言われるよう、町起こしの一つとなればうれしいです。
上村栄司経歴
特別な日に身に着けるだけではなく、カジュアルなファッションにも合うスタイルを意識し、斬新な発想で創作しています。また使わない時にも楽しめる“インテリアパール”やカトラリーにも力を入れ、外した時にはアートの一部となる作品も注目されています。
漆で文様を描き、純金・純銀などの金属粉を蒔きつけた「蒔絵シリーズ」や、表面に切子を施した「切子シリーズ」などの真珠アートを発表。真珠と伝統工芸を融合させた作品は国内はもちろん、世界の人々を魅了し高い評価を得ています。
https://ameblo.jp/eiji-uemura/
1968年 |
三重県南伊勢町で生まれる |
86年 |
上村真珠養殖三代目として家業を継承、養殖技術を習得。卓越した技術から生まれる高品質の真珠は地元でも評判になる |
88年 |
真珠の魅力と可能性を広げるべく、パールジュエリーアーティストとして独立。展示ディスプレイも自らデザインし、国内で真珠の展示・販売会を始める |
95年 |
自作のパールジュエリーに用いる新しい真珠を作るため、養殖技術の研究に没頭。試行錯誤の日々を送る |
2000年 |
新デザインパールの発表・展示会を国内各地で開催、評判となる |
02年 |
創作パールジュエリー「蒔絵シリーズ」の完成に向けて、蒔絵真珠の研究開始 |
04年~ |
国内展示会と並行して海外に進出。自作パールジュエリーの発表・展示会を開催し、現在に至るまで各地で高く評価 開催地:フランス/香港/中国(上海・北京・深圳)/マカオ/マレーシア/台湾/レバノン/アゼルバイジャン/タイ/ニューヨーク/シンガポール/ミャンマー 他 |
13年 |
マカオ・パールショー(テーマ・日本の伝統文化と真珠)に出展 クアラルンプール・ジュエリーフェア・パールショーに招待を受け参加 鳥羽国際ホテルで開催されたセミナーに講師として招かれ、香港から来日したMuseum Societyのメンバーに、日本の伝統文化と真珠について講演 台湾GIAから招待を受け、真珠の新しいデザイン技術を発表・講演 |
14年 |
アゼルバイジャンでの「日本とアゼルバイジャンの友好」イベント招待を受け作品展示 |
15年 |
上海でパールレクチャー開催 |
17年 |
三重県南伊勢町にパールギャラリーを建築 |
18年 |
ゲストハウスを増築 ニューヨークオフィスのオープン |
23年 |
熱海パールスターホテルにパールブティックをオープン。 初の常設店として宿泊者以外の方もお楽しみいただけるパールスターギャラリーを営業開始 |
株式会社パール
〒516-1305
三重県南伊勢町阿曽浦251-20
(伊勢志摩国立公園内・パールギャラリー)
https://eiji-pearl.net/
E-mail info@eiji-pearl.com
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