柔軟性に富む紙ベースの人工光電子シナプスを開発 ~生体モニタリングに適した物理リザバコンピューティングの実現に期待~
【研究の要旨とポイント】
エッジ人工知能(AI)センサの基盤技術として、低消費電力で高速リアルタイム情報処理が可能な物理リザバコンピューティング(PRC)が注目されています。しかし、生体モニタリングに適した特性を有するPRCの実現は困難でした。
今回、生体信号の処理に適したサブ秒オーダーの応答時間で光信号を処理できる、人工光電子シナプスデバイスを設計しました。
このデバイスはナノセルロースと酸化亜鉛(ZnO)ナノ粒子から構成されるため、通常の紙のように柔軟かつ焼却処分可能です。
フレキシブルかつ使い捨て可能な生体情報モニタリング用のウェアラブルエッジAIセンサの実現につながると期待されます。
【研究の概要】
東京理科大学先進工学部電子システム工学科の生野 孝准教授らの研究グループは、ナノセルロースと酸化亜鉛(ZnO)ナノ粒子から構成される、使い捨て可能で柔軟な紙ベースの人工光電子シナプスデバイスを設計・創製しました。このデバイスはサブ秒オーダーの応答時間で光信号を処理できることから、生体信号の処理に適した物理リザバコンピューティング(PRC)に応用でき、柔軟かつ使い捨て可能なウェアラブルエッジAIセンサ実現に向けた基盤技術として期待されます。
近年、ヘルスケア分野で生体情報モニタリングが大きな注目を集めており、市場の拡大が期待されています。その基盤技術として、人間の視覚システムを模した光センシング機能と認知機能を兼ね備えた低消費電力で動作する自己完結型のエッジAIセンサの開発が求められています。
現在、そうしたセンサを実現する有望な手法としてPRCが脚光を浴びています。PRCは、物理系のダイナミクスを計算資源として利用することで、時系列信号を低消費電力でリアルタイムに処理できます。PRCの応答時間は利用する物理系の反応特性に左右されますが、生体信号の処理に適したサブ秒オーダーの応答時間で情報処理できるPRCはまだ十分に研究が進んでいません。また、生体情報モニタリングにPRCを活用するためには、応答時間の最適化に加え、生体表面に接着できる柔軟性と、衛生上の観点から使い捨て可能であることが求められます。
そこで本研究では、サブ秒オーダーの時系列光入力に応答可能かつ、柔軟性をもつナノセルロースとZnOナノ粒子から構成される人工光電子シナプスデバイスを設計しました。本デバイスは短期記憶タスクおよび手書き文字認識タスクにおいて十分な性能を示し、1000回の曲げ試験実施後も精度に影響はありませんでした。また、このデバイスは通常のコピー用紙と同じように数秒で焼却処分でき、使い捨て可能です。本デバイスはヘルスモニタリングに利用できるPRCとして有望であると期待されます。
本研究成果は、2024年2月22日に国際学術誌「Advanced Electronic Materials」にオンライン掲載されました。
【研究の背景】
近年、生体情報の継続的なモニタリングとAIを用いたデータ解析の組み合わせが、さまざまな疾患の早期発見や予防につながることを示す研究結果が次々と報告され、ウェアラブルデバイスの需要は急速に拡大しています。しかし、現在一般消費者向けに発売されているウェアラブルデバイスは生体適合性や装着時の違和感、人の動きへの追従、簡単かつ迅速な給電システムの開発など、クリアすべき課題がまだ多く残されており、より広範な用途での使用に耐えうるウェアラブルセンサの開発が求められています。
また、ウェアラブルデバイスの多くはセンサで取得した情報をクラウドに集約してAI処理を行うため、大規模なデータ伝送を必要とすることも、実用化に向けた大きな障壁となっています。そのため、センシングだけでなく、AIによるデータ処理もエッジ領域で行うことができるデバイスを開発する必要があります。
そこで注目されているのが、人間の脳に着想を得たニューロモルフィックコンピューティングです。人間の脳は、非常に優れた認知機能を示すにもかかわらず、シリコンベースのコンピュータよりもはるかに低い消費電力で動作します。
ニューロモルフィックコンピューティングのなかでもPRCは、最小限の消費電力でセンシングとAI処理をシームレスに融合する技術として特に有望視され、研究開発が活発に行われています。PRCは物理系のダイナミクスを巨大なリカレントニューラルネットワーク(RNN)に見立てて演算を行います。RNNはニューラルネットワークの一種で、過去の入力信号がそれ以降の出力に影響を与えることが大きな特徴です。RNNを利用することで効率的な学習が可能になる反面、計算コストが高いという問題がありますが、PRCは、実際の物理系のダイナミクスをこのRNNと見立てるため、CPUでの演算が不要となり、低消費電力で時系列信号をリアルタイムで高速処理できます。
実際の物理系のダイナミクスを利用することから、PRCの応答時間は使用する物理系によって異なります。通常の光センサや撮像素子に高速動作が求められる一方、人間の目や脳の機能を模倣したシステムを実現するには、生体のシナプスのような緩慢な動作が必要です。具体的には、生体信号のモニタリングに特化したPRCを実現するためには、0.1~1.8Hzの生体信号に対応するサブ秒の応答時間を示すデバイスを開発する必要があります。そこで生野准教授らは、これまでの研究から極めてゆっくり電子が動くことがわかっていた酸化物半導体微粒子アレイを、シナプスを人工的に模倣したシナプスデバイス(ニューロンとニューロンを接合する部位)として利用し、物理リザバコンピューティングに適用しました。
また、デバイスへの入力信号は、生体に負担を与えないものであることが必須であり、現実的には光を入力信号として扱える必要があります。さらに、快適性・追従性等の観点から、人間の皮膚にピッタリと接着できるように柔軟であること、衛生上の観点から頻繁に交換する必要があるため、簡単に作製でき、廃棄できること(使い捨て可能であること)が求められます。
今回、上記の条件をすべて満たすデバイスとして、ナノセルロースとZnOナノ粒子から構成される紙ベースの光‧電子人工シナプスデバイスを設計しました。
【研究結果の詳細】
本研究では、ZnOナノ粒子をセルロースナノファイバ(CNF)に埋め込んだ、使い捨て可能で柔軟性をもつ自立フィルム状の光電子シナプスデバイスを開発しました。このデバイスは、紫外光の照射と消光の間に、サブ秒オーダーで光電流が徐々に変化します。この現象を利用して、PPF指数(paired pulse facilitation)などの人工シナプスとしての特徴を計測しました。
作製したZnO-CNF膜の光電流の増減は二重指数関数で正確にモデル化でき、光入力に対する光電流の応答時間はZnO単結晶よりも大きいことが明らかになりました。この応答時間のちがいは、結晶粒界における酸素分子の吸着あるいは脱離によって誘発されるバンドの曲がりに起因すると考えられます。
次に、ZnO-CNF膜の短期記憶容量について検討しました。まず、感覚入力や短期記憶の形成に重要だと考えられているシナプスの短期可塑性の指標となるPPF指数を、ZnO-CNF膜とZnO単結晶で比較しました。PPF指数は、高いほど記憶容量が大きいことを意味します。その結果、ZnO-CNF膜はZnO単結晶よりも高い値を示し、最大PPF指数は156%と推定されました。
この結果を受け、実際の短期記憶容量を評価するための課題を実施しました。その結果、ZnO-CNF膜の短期記憶容量は1.8であったのに対し、ZnO単結晶の容量は1.3であり、PPF指数の傾向と一致することが確認できました。
また、ZnO-CNF膜は4ビットの光パルスを分類できることも実験から証明され、手書きの数字認識で最高88%の精度を達成しました。特筆すべきことに、パルス幅を50ミリ秒から500ミリ秒まで変化させても、この精度は一貫して80%以上を維持し、1000回の曲げ試験後でも変化ありませんでした。また、フィルムは容易に燃焼可能であることも、実験で確認しました。
生野准教授は本研究について「本デバイスは生体から発する時系列信号と同程度の応答時間をもつため、ヘルスモニタリングに利用できると期待できます。紙の繊維をさらに細かく分解したセルロースナノファイバーからなるフィルムに半導体微粒子を埋め込んだ構造なので、柔軟性をもち、皮膚などの湾曲した表面に貼り付けることが可能です。さらに使い捨ても可能で、衛生面でも優れています」とコメントしています。
※本研究は、科学技術振興機構(JST)科学技術イノベーション創出に向けた大学フェローシップ創設事業(JPMJFS2144)の助成を受けて実施したものです。
【論文情報】
雑誌名:Advanced Electronic Materials
論文タイトル:Disposable and Flexible Paper-Based Optoelectronic Synaptic Devices for Physical Reservoir Computing
著者:Hiroaki Komatsu, Norika Hosoda, Toshiya Kounoue, Kazuyasu Tokiwa, Takashi Ikuno
DOI:10.1002/aelm.202300749
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