【昭和100年へ】時代により変化する「お見合い」の形 国策としての「お見合い」からマッチングアプリの「Omiai」へ一方、昭和時代から変わらない、現代との意外な共通点が発覚!

〜昭和と令和の恋愛・結婚事情を比較:100年の節目に振り返る出会いの変遷〜

株式会社エニトグループ

累計会員数合計2000万人のマッチングアプリを運営する株式会社エニトグループが手掛ける株式会社Omiai(本社:東京都渋谷区、代表取締役CEO:今井良樹、以下当社)は、1926年に始まった昭和時代が2025年には「昭和100年」という節目を迎えるにあたり、今や結婚する4人に1人が利用するマッチングアプリの先駆けとして(※1)当時から令和までの間に恋愛や結婚観がどのように変化してきたかを振り返ります。

昭和という元号が使用されていたのは、1926年12月25日から1989年1月7日までの64年間です。昭和が終わり平成、そして令和も7年目に入った2025年は実は昭和元年から数えて「昭和100年目」という節目になります。

昭和100年を語るに欠かせないのは、終戦や高度経済成長などの日本社会の大きな転換点、そしてマッチングアプリ『Omiai』の名前のもとになった「お見合い」でした。

マッチングアプリ『Omiai』のユーザーに「昭和」に関してアンケートを取ったところ、「昭和時代のお見合い結婚をしてみたいか」という質問に関して70%以上が「いいえ」と回答。さらに、「生まれ変わって恋愛するならどの時代がいいか」とい質問には30%以上が「今が良い」と回答しました。多くの人は昭和の恋愛に対し憧れを持ってはいないものの、一定数支持する人もいるようです。(※2)

 『Omiai』では今回、昭和から令和に至る「恋愛と結婚」を「昭和人間のトリセツ」の著作で有名なコラムニストで昭和評論家の昭和評論家・石原壮一郎さんの解説と共にご紹介します。

■昭和と令和の恋愛・結婚への意識と方法の違い

昭和の恋愛は肉食系 居酒屋は今のマッチングアプリ? ナンパは当たり前だった

 一言で表すには難しい昭和100年を大別すると5つに分かれると石原さんは言います。

①1926年~40年代 国策としてのお見合い 戦中から戦後

・トレンド

第一次世界大戦による好況が終わり、戦後恐慌から始まった昭和元年。昭和初期の20年間はほぼ戦中であり、婚姻の形も今とは大きく違いました。恋愛を通じた結婚というものが存在せず、結婚は個人の自由というより、家族や当時の社会の価値観に根ざしたものでした。

軍国主義が色濃い時代背景から生まれた「産めよ増やせよ国の為」という有名なフレーズは、結婚十訓と呼ばれ当時の厚生省が発表したものです。

国策としての「お見合い」という形式が一般的だった婚姻においては、家族や仲人の介在により、慎重にパートナーが選ばれていました。その国策のもと、親から言い渡された相手と婚姻関係を結ぶことが当たり前だと思われていた時代であり、親が決めた相手が自分を幸せにする確率が高いに違いないと信じる時代でした。

 

・デート

昭和初期は、「男女七歳にして席を同じゅうせず(一般に男女は7歳になれば、男女の別を明らかにして、みだりに交際させてはならない)」といわれていたように、婚姻前の男女が出歩いていたら注意や通報されるような時代背景から、神社や河原など人目につかない場所でデートを楽しんでいたと考えられます。

 

②1950年~70年代 高度経済成長における皆婚社会と恋愛羨望時代

・トレンド

1945年に終戦を迎え、その後1955年~1973年に高度経済成長を迎えるという目まぐるしい時代も、実は変わらず「お見合い」結婚が婚姻の多くを占めていました。恋愛結婚は「最近増えてきた」ということがニュースになることもあったそうです。

ただし戦中の国策としての「お見合い」とは少し違い、社会制度として「お見合い」が必要とされるという時代でした。男性は社会的信用のための婚姻という側面もありましたが、なによりも高度経済成長という時代背景から「専業主婦」がいないと生活できない働き方をしていたため、会社が身元を保証してくれる職場結婚が当時の日本社会・経済において果たす役割が大きかったそうです。

1960年代には多くの恋愛小説や映画「愛と死を見つめて」(1964年公開)の大ヒットなど、恋愛もののコンテンツが流行。それまでお見合い結婚が主流で自由に恋愛がしづらかったなか、なじみの薄かった「恋愛」に触れることで、日本社会全体で恋愛は尊いものだと羨望され、恋愛の楽しさに浮かれている状態でした。

また、高度経済成長の急速な都市化や産業の発展が、自然と職場結婚の増加につながっていきました。同時に、各地に根付いていた「地元のつながり」や、都市部における「ご近所付き合い」が盛んな「団地文化」などを背景に、地域の交流が恋愛に発展するケースが急増しました。新しい住宅環境が人々のつながりを強め、恋愛の場として機能したのです。

上記のような高度経済成長や恋愛をテーマにしたコンテンツの影響もあり、1950年には20%代だった恋愛結婚の比率は徐々に上がり、1966年に半数近くになりお見合い婚の割合を上回りました。(※3) 

・デート

口コミや雑誌で情報収集

SNSがなかった昭和時代は、友人や先輩など、身近にいる信頼できる人からの口コミがデート情報を得るための重要な手段でした。学校や職場での会話から、「あの喫茶店がデートにぴったり」「あの映画がロマンチック」といった具体的なアドバイスが飛び交い、それがデートプランの成功を左右するヒントとなることがありました。

③1970年~90年代 恋愛至上主義時代

・トレンド

1980年代後半から1990年代初頭、バブル景気に沸く日本では、恋愛も一層自由で華やかなものとなりました。都会のナイトスポットやおしゃれな喫茶店、バーなどでの偶然の出会いが増加。さらに「合コン」や「ナンパ」といった軽やかな交流スタイルも登場し、恋愛のきっかけが多様化しました。

トレンディドラマなど華やかな恋愛スタイルがテレビ・雑誌で取り上げられ、それをなぞらえるように多くの人が恋愛に夢中になっていました。男女ともにクリスマスを誰と過ごすかが大きな関心事で、1年前から高級ホテルを予約しないといけない、そんな都市伝説もあったそうです。

今は敬遠されることもあるナンパですが、当時のナンパは恋愛の手段として日常に溶け込んでいるものでした。

様々な場所が恋愛のプラットフォームと化しており、旅行先で声をかけたり、居酒屋に同性で行けば当たり前のようにナンパを期待する/期待されるのが前提。「ナンパ(声掛け)」は、現在と昔で同じ言葉、同じ行為であっても社会的・心理的背景含めて全く異なるものであったようです。

その年代を大学生として過ごした石原さん曰く「居酒屋だけでなく生活のすべてが恋愛に繋がっていた。大学生や新社会人は恋愛に一生懸命になるものだと当たり前のように思い、むしろ声をかけないといけないという強迫観念にとらわれていた」とのことで、まさに恋愛至上主義というべき時代でした。

また、このころになると恋愛が婚姻のきっかけのスタンダードとなり、社内恋愛をきっかけとした職場結婚も増えてきました。その裏側にあったのは、企業が女性をお嫁さん候補として採用するなど今とは違った社会による恋愛・結婚への後押しがある構造でした。

・デート

TVドラマや映画で情報収集しデートスポットへ

昭和の恋愛模様を描いたTVドラマや映画は、デートのアイデアの宝庫でした。「トレンディドラマ」と呼ばれる作品群では、主人公たちが訪れるおしゃれなレストランや都会的なデートスポットが描かれ、多くの視聴者が「自分たちもあんなデートがしてみたい」とインスピレーションを得ました。

この時期の恋愛シーンで大きな役割を果たしたのが「クルマ」です。それ以前はクルマを持っている若者は一部でしたが、この頃から都市部を除いて、若者が自分のクルマを持つのが当たり前となりました。ドライブやスキー旅行で距離を縮めるなど、クルマは「恋愛の進展」に欠かせないアイテムだったと言えるでしょう。男性には「クルマさえあればモテる」という幻想もありました。

④2000年~2015年頃 女性自立時代

・トレンド

①~③の時代と大きく変わったのは「情報量」と「女性」だと石原さんはいいます。

相手に価値観の一致を求める人が多い現代ですが、実は「価値観の一致・相性の良さ」を求めるようになったのは平成に入ってからとのことです。言い換えれば、それまでは誰もが「同じ価値観」を持っているのが前提という一面がありました。

また、1999年の男女共同参画社会基本法により女性の社会進出・自立が飛躍的に進み、また産業の発達により生活のための婚姻の必要性が薄らいでいきました。結果、「家庭を築く」という社会から見た婚姻の意義より、男女ともに「価値観」や「相性」が一致する相手と人生をともに歩むといった、個人から見た婚姻の意義が優先される時代になったきました。

この頃には「男性に尽くすのが女性の役割」「女性は選ばれる側の存在」という概念も、ほぼ消滅しています。専業主婦が珍しい存在となり、女性も仕事を長く続けることが当たり前となって、夫婦の関係性も変わりました。ただ、実際のライフスタイルが大きく変化しているにもかかわらず、男性の意識変化に時間がかかり、男女間の認識に差が出始めている時期でもありました。

・デート

インターネットでの検索が増加しつつも、引き続きTVや雑誌からの情報も大きな影響力がありました。テーマパークを含めて「最新のデートスポット」が次々と誕生し、それらを紹介する番組や記事を見て、おもに付き合い始めのカップルが繰り出したものです。1980年代から始まった「グルメブーム」も世の中に定着し、カップル向けの飲食店も増加。「おしゃれな店においしいものを食べに行く」というデートスタイルも人気を集めました。地方ではショッピングモールがあちこちにできて、ファミリー層に限らず、カップルのデートコースとしても活用されたものです。カラオケボックスや映画も、全盛期の勢いはなくなっていたにせよ、まだまだ根強いニーズがありました。

1990年代後半からの円高で、若者も海外旅行にカジュアルな気分で出かけるようになりました。その傾向は2000年代に入ってからも続きました。ただ、デートとしてはよりお手軽な国内旅行のニーズが高かったと言えるでしょう。温泉旅館やビジネスホテルを予約サイトで探して予約するスタイルが一般的になったことも、デートとしての国内旅行が広まった一因と言えます。

⑤2015年~ 恋愛オプション時代

・トレンド

リモートワーク化、セクハラ問題などがあり職場恋愛のハードルが高くなり割合は減少しつつあります。

現代では、テクノロジーの発展が恋愛のあり方に革新をもたらしています。マッチングアプリやSNSを通じて、物理的な距離を超えた出会いが日常化。個人の価値観や趣味に基づいた「ピンポイントのマッチング」が可能となり、時代を超えた「多様な出会い」の集大成ともいえる新たな恋愛スタイルが広がっています。特に「マッチングアプリ」は2012年に婚活マッチングアプリ『Omiai』ができたことがきったけで市場が拡大し、2024年には4人に1人が婚姻相手と出会った手段となるほど一般的になっています。

  

・デート

現代のデート情報収集は、スマートフォンを使った検索やレビューサイト、SNSの投稿が主流となり、情報量や選択肢が爆発的に増えました。またYouTubeやTikTokといった動画プラットフォームでは、実際にスポットを訪れた様子や体験動画が豊富に共有されており、まるで自分がその場にいるかのような感覚で情報を得ることが可能です。

さらにSNS内にはレコメンド機能なども搭載され、自ら検索を行わずとも、自然と求める情報が集まる形となっており、より効率良くデートの情報収集ができるようになりました。

また、昭和時代のデートといえば、映画館で映画を観たり、喫茶店でコーヒーを楽しむのが主流でした。一方で、令和時代のデートでは、映画は映画館ではなく自宅でサブスクリプションサービスを利用して楽しむケースが増えています。また、喫茶店は「カフェ」という形に進化し、コーヒーだけでなくスイーツや多彩なメニューを楽しむのがトレンドとなっています。

ライフスタイルの変化に伴い、デートの方法や場所が時代に合わせて進化している一方で、「映画」や「飲食」といったデートの定番要素は変わらず、世代を超えて愛され続けています。これは、デートにおける「共有する楽しみ」という本質が、時代を超えて変わらないことを物語っています。

・まとめ

石原さんによれば、「100年以上前の明治や大正の頃も、結婚にあたっては広い意味での『お見合い』がメインであったことを考えると、この100年は大きく恋愛の形が動いた珍しい期間だった」ようです。戦後からの価値観の変化、女性の社会進出、社会形態の進化があり、自由恋愛・恋愛結婚が一般化した結果、現在はマッチングアプリが浸透し恋愛のオーソドックスな形となっています。一方で、デートの形式などは変わらず、結婚へ重要視するポイントは変われど、仲を深める手法は不変なようです。

今後100年かけまた出会いの形は遷移していくのでしょうか?100年以上続いた「お見合い」の名を引き継ぐマッチングアプリ『Omiai』は引き続き、時代にあった恋愛の形を皆様にお届けできるよう進化し続けてまいります。


参考

※1 2024年9月発表 こども家庭庁 15~39歳の未婚/既婚の男女一般生活者調査より

※2 マッチングアプリ利用調査(Web調査)Omiai利用者 男女N=467 2024年12月26日~2025年1月12日

※3 国立社会保障・人口問題研究所は、平成27(2015)年に実施した「第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」 https://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou15/report15html/NFS15R_html06.html 

協力

石原壮一郎

1963年三重県生まれ。コラムニスト。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』でデビュー。以来、数多くの著作や各種メディアでの発信を通して、日本の大人シーンを牽引。「昭和」も長く大事にしているテーマ。昭和の実像やそのスピリッツを今に伝えつつ、令和の時代と「昭和的なるもの」や「昭和な自分たち」との望ましい関係性を追求している。おもな著書に『大人力検定』『昭和だョ!全員集合』『大人の言葉の選び方』『失礼な一言』『昭和人間のトリセツ』など。故郷の名物を応援する「伊勢うどん大使」「松阪市ブランド大使」も務める。


株式会社Omiai概要

社名:株式会社Omiai   

英語社名:Omiai, Inc.

代表者:代表取締役CEO今井 良樹

本社所在地:東京都渋谷区恵比寿1-19-19恵比寿ビジネスタワー17F

運営開始日:2023年3月1日(※株式会社ネットマーケティングから会社分割により事業を承継した日)

事業内容:マッチングアプリ 『Omiai』の運営

主要株主:株式会社エニトグループ(100%)

■恋愛結婚を叶えるマッチングアプリ『Omiai』とは

 『Omiai』は、婚姻率低下や少子化といった社会課題を背景に、2012年2月に国内でサービス提供を開始した男女の出会いをサポートするマッチングアプリです。サービス開始以降、出逢いを探す多くの男女に支持され、これまでの累計会員数は1,000万人を超えました(*)。「一般社団法人結婚・婚活応援プロジェクト(MSPJ)」に参画し、業界全体の活性化にも取り組んでいるほか、多くの方の幸せ探しに貢献できるよう、顧客に寄り添ったサービス運営を行ってまいります。

*2024年7月時点

※Androidは、Google Inc.の商標または登録商標です。

※iTunes及びApp Store、Apple IDは、米国及びその他の国々で登録されたApple Inc.の商標です。 

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会社概要

株式会社エニトグループ

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業種
情報通信
本社所在地
東京都渋谷区恵比寿1-19-19
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代表者名
野辺一也
上場
未上場
資本金
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設立
2021年09月