教え子たちが語る“教員”田名網敬一 京都芸術大学で世界的アーティストの素顔に迫る追悼展示とトークイベントを開催

榎本了壱と束芋・佐藤允ら4名の卒業生が登壇、多様な関係性を語る

学校法人 瓜生山学園 京都芸術大学

京都芸術大学(京都市左京区/学長:佐藤 卓)は、通学課程・通信教育課程あわせて約23,000名が学ぶ日本最大級の総合芸術大学です。なかでも通信教育課程には全国で約18,000名が在籍しており、私立大学通信教育課程として国内最大規模の学びの場となっています。

本学では、2025年10月23日から11月2日まで、24年8月9日に88歳でご逝去された名誉教授・田名網敬一先生の追悼展示「タナアミ先生 楽園回想記 ー田名網敬一の創造教室ー」を開催しました。1950年代にデザイナーとしてキャリアをスタートさせ、晩年まで絵画、コラージュ、立体作品、アニメーションなど、ジャンルを超えて精力的に活動を続けた田名網先生は、91年に本学情報デザイン学科の教授に就任。以降、週2日は京都に滞在する生活を送り、後進の育成にも力を注ぎます。本展では、田名網先生の60年代以降の代表作とともに、責任編集とアートディレクションを手掛けたテキストや学生への課題なども公開。教育者としての素顔が浮かび上がる、貴重な展示となりました。

11月1日には卒業生による追悼トークイベントと VJ/DJイベントを開催。トークイベントには現代美術家の束芋さん、画家の佐藤允さん、アーティストの抜水摩耶さん、美術資料調査に従事する宮田有香さんが登壇し、田名網先生からの教えやユニークな関係性など、クリエイティブ・ディレクターの榎本了壱さんを聞き手として濃密なトークが展開されました。


トークイベント「空飛ぶ田名網教室」より。右から束芋さん、佐藤允さん、抜水摩耶さん、宮田有香さん、榎本了壱さん

田名網氏の教えが作家活動の基盤になったという束芋さん(右)

■ トークイベント「空飛ぶ田名網教室」より(一部抜粋)

個々の“発想”を構築する方法を、授業の中ですべて教えてくれた――束芋(現代美術家
田名網先生の授業は、学生がそれぞれの“発想”方法を自分で構築していけるように課題が与えられ、それに答えていけば自然と個々の表現が獲得できるよう設計されていました。そういう意味で、田名網先生の“教育”はそのまま私の体にしみ込んでいて、現在も制作過程においてぶれることはありません。

“血”を売り絵具を買うほどの、制作への情熱――佐藤允(画家)
直接授業を受けてはいませんが、田名網先生のファンで自ら距離を縮めました。後年は頻繁に電話をしたり、酒を飲んだりしましたが、話す内容は絵のことばかりでした。田名網先生が、幼少期に家族から絵の道を反対されて家を飛び出し、自分の血を売って赤い絵具を買ってきた‥というエピソードが忘れられず、その情熱が自身の制作の支えにもなっています。

同時代のアーティストたちを想い続けて――宮田有香
入学後にシラバスで田名網先生の名前を見つけ、数カ月待ちで面談のアポを取り付けました。卒業後は美術史家の池上裕子さんと田名網先生のオーラル・ヒストリーの編纂を担当し、インタビューを重ねました。現代美術家の篠原有司男さんら、60年代を共に過ごした前衛アーティストたちとの関係を、いつまでも大切にされていたのが印象的でした。

“自分の絵だけは、自分が一番の味方でなければ”――抜水摩耶(アーティスト)
田名網先生の世界的な再評価が進んだ時期に在学していました。海外で先生の個展が行われる際には同伴して渡航し、現地でコーディネイターのように様々な段取りをしました。作品の評価が得られず落ち込んでいたときに、田名網先生からいただいた「自分の絵だけは、自分が一番の味方でなければならないよ」という言葉が胸に刻まれています。

■「空飛ぶ田名網教室」登壇者プロフィール

榎本了壱(えのもと・りょういち/クリエイティブ・ディレクター)

武蔵野美術大学卒業。1974年月刊『ビックリハウス』 (パルコ出版)を萩原朔美と創刊、編集AD。1980年より『日本グラフィック展』『オブジェTOKYO展』『URBANART』(パルコ)をプロデュース(99年まで)。89年『世界デザイン博』住友館企画総合プロデュース。2006年京都造形芸術大学教授・情報デザイン学科長就任(12年まで)。19年大正大学教授・表現学部長就任。22年世田谷美術館コレクションⅢ それぞれの2人「萩原朔美・榎本了壱展」世田谷美術館。

束芋(たばいも/現代美術家)

1999年情報デザインコースを卒業。 手描きドローイングと日本の伝統的な木版画の色彩を思わせるアニメーションを用いたインスタレーション作品で知られる。2011年、第54回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に日本代表として参加。 06年以降、ダンスやサーカスなど様々な分野のアーティストと舞台作品でのコラボレーションにも精力的に取り組み、近年も国内外で大規模な個展や新作発表を続けている。国立新美術館の企画展「時代のプリズム」(25年)にて映像インスタレーション作品「公衆便女」(06)を展示した。


佐藤允(さとう・あたる/画家)

1986年千葉県生まれ。2009年に京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科先端アートコースを卒業、現在は東京を拠点に制作する。主なグループ展に「第8回光州ビエンナーレ」(2010)、「ヨコハマトリエンナーレ2011: OUR MAGIC HOURー世界はどこまで知ることができるか?ー」(2011)、「Inside」(パレ・ド・トーキョー、2014)、「堂島リバービエンナーレ2019」(2019)など。作品は札幌宮の森美術館、高橋龍太郎コレクション、ルイ・ヴィトン・マルティエに収蔵されている。


宮田有香(みやた・ゆか)

(一社)戦後芸術資料保存[padoco]ほか美術館などで資料調査に従事。2000年京都造形芸術大学卒業。在学中に同大学・短期大学芸術館主催「内科画廊—‘60年代の前衛」展を企画し、当時を知る田名網敬一に出会う。13年日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴによる田名網へのインタヴューに参加。近年の活動に「Re: スタートライン1963-1970/2023 現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係」展調査協力(京都国立近代美術館、23年)、『内科画廊写真帖』(padoco、24年)制作など。 

抜水摩耶(ぬくみず・まや/アーティスト)

1982年京都府生まれ。2012年より東京に活動の拠点を移す。旧 京都造形芸術大学大学院 芸術表現専攻 修了。幼少期より多大な影響を受けた漫画カルチャーを元に、無限に存在する主人公を肯定的に表現。国内外で作品発表を重ねる傍ら、アートフェアの参加や私立恵比寿中学、マカロニえんぴつのCDジャケットを担当するなど幅広く活動中。

「タナアミ先生 楽園回想記 ー田名網敬一の創造教室ー」展示風景

会場奥には田名網氏がモチーフとして繰り返し描いた巨大な“金魚”が吊るされ、来場者に強烈なインパクトを与えた

本を出版することで創作テーマに区切りをつけていたという田名網氏。代表的な作品とともに膨大な著作も展示された

田名網氏が責任編集とアートディレクションを務めたテキストのほか、学生への課題なども展示された

田名網氏の多方面への繋がりを曼荼羅(まんだら)風にまとめた関係図を榎本了壱さんらが本展のために制作した

⬛︎ 京都芸術大学について

国内最大規模の芸術大学として通学課程、通信教育課程を合わせ、国内外から23,000名を超える多様な年齢層の意欲的な学生が集まる教育機関です。芸術を通して社会で必要な力を育成しています。芸術を学んだ学生が社会を変える「藝術立国」を教育目標に掲げ、通学課程では特に"社会と芸術"の関わりを重視した芸術教育を推進。企業や自治体などが抱える課題を、学生たちがアート・デザインの力で解決する「社会実装プロジェクト」を年間100件以上実施しています。学科を超えたグループワークや実際の仕事を通して、社会性を備えた表現者を育成しています。 

所在地:〒606-8271 京都府京都市左京区北白川瓜生山町2-116
URL:https://www.kyoto-art.ac.jp/

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会社概要

URL
https://www.kyoto-art.ac.jp
業種
教育・学習支援業
本社所在地
京都府京都市左京区北白川瓜生山 2-116
電話番号
075-791-9122
代表者名
徳山豊
上場
未上場
資本金
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設立
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