〈なぜ桜だけが特別なのか〉今年の開花も間近! 社会学者・佐藤俊樹が桜の真実に迫った『桜とは何か』が2月27日発売

1万年の時間、様々な文献、研究をひも解きながら、「日本の桜」の謎を解き明かす知的冒険の旅

河出書房新社

株式会社河出書房新社(東京都新宿区/代表取締役 小野寺優)は、マックス・ウェーバー、ニクラス・ルーマン研究で知られる社会学者、佐藤俊樹による新刊『桜とは何か――花の文化と「日本」』(河出新書)を2025年2月27日に刊行いたしました。


構想から約20年、『桜とは何か』は古今東西の知識を結集した「桜の百科事典」

なぜ桜は特別な花となったのか?
あの美しさの圧倒的な力はどこから来るのか?

日本の春を彩る桜の美しさ、その魅力は、日本国内にとどまらず、今や世界中に知れ渡り、花見を目的に訪れる海外からの旅行者も後を絶ちません。

『桜とは何か』著者、佐藤俊樹さんは、「新書大賞2024」ベスト10入りを果たした『社会学の新地平』(岩波新書)などの著作を持つ、マックス・ウェーバー、ニクラス・ルーマン研究、比較社会学研究を専門とする社会学者。一方で、本書略歴に「桜の花はどれでも好きです。さくらんぼも好きです。」と書かれるほどの桜好き。ソメイヨシノの歴史をたどりながら、日本の姿、自然の形に迫った『桜が創った「日本」』(岩波新書)を独自の見地から著した、桜研究の第一人者としても知られています。

だからこそ、それらにもう少し、より良く言葉をあたえたい。論理と知識でその姿を明確にしたい。もっとよい形で、それらとともに生きていくために。(「序章 旅へのいざない」より)

桜という迷宮にはまり込んだ著者ならではの筆致で描かれる本書は、日本語で「さくら」と呼ばれる花がどう見られ、どう語られてきたかに注目しながら、桜と人々との関り、その美しさの核心を考える知的冒険の旅。一読すればわかるように、これまで常識とされてきた桜に関する諸説には、根拠があやふやなもの、明らかな誤りが伝え残されていることも多く、その道のりは決して平坦ではありませんでした。

構想から約20年。品種名の由来、生態系での位置から、詩歌での詠われ方、桃や梅、牡丹といった花々との関り等々、桜の1万年以上にわたる長大な歴史、膨大な国内外の文献、研究結果を丁寧にひもとき、考察を重ねた末に生まれた本書は、まさに「桜の百科事典」ともいえる一冊です。

全国的な開花も間近。この本を片手に、桜の圧倒的な美しさへ思いを馳せながら、春の訪れを待ちわびるのも一興ではないでしょうか。

目次

序章 旅へのいざない

1 移り変わる春/2 語りの転換

第一章 「さくら」と「桜」

1 春の輪舞/2「桜」の歴史/3「桜」とサクラ/4「さくら」の由来

第二章 花たちのクロスロード

1 伝統と革新/2 落花の宴/3「花だけ」の波

第三章 東アジアの花の環 

1 花たちのシルクロード/2 伝播する花と独自な花/3 桜の春が始まる

第四章 「桜の春」再訪 

1 身近な「外」として/2 界面と生態系/3 花鎮めの回路

第五章 桜の時間と人の時間 

1「外なる内」の異域性(エキゾチズム)――桜の中世/2 「正しい桜」の序列化――桜の近世/
3「内」への転進――桜の近代1/4 戦後と桜語り――桜の近代2

終章 旅の終わり

1 白と紅の交錯 多彩な春へ/2 歴史と想像力

あとがき

「解説の補足」として(著者Xより)

『桜とは何か』刊行に際し、佐藤俊樹さんは、2月17日、自身のX(旧Twitter)に本書「解説の補足」として、コメントを32回連続投稿。本書の概要はもちろん、桜の奥深い魅力を知るためにも最適なガイドとなっています。

投稿の全文を一部再編集してご紹介します。

■広大な時間と空間を巡る壮大な旅へ

本書のテーマは日本の桜がなぜ特別な花になったのか、その独自性を解き明かすことです。そのために1万年近い時間を遡り、東アジア全域さらには「シルクロード」までの、広大な空間を巡る、という壮大な旅になりました。

その旅を通じて、副題にもあるように、日本の桜の独自性を、文化的な特性として描き出しています。文化的な特性を見極めるには、植物学的な特性も知っておく必要があります。また1万年近い時間幅でみていくので、時代や社会の変化だけでなく、生態系の移り変わりや長期気候変動まで関わってきます。

さらに近縁種で、同じように春に咲いて詩歌にも詠われる桃や梅、そして日本語圏以外で代表的な春の花になっている薔薇や牡丹とも比べて、どこが同じでどこが違うのかも、考えていかなければなりません。いつも以上に横断的な探究になりました。

私もその一人ですが、日本語圏で暮らす人間にとって、桜は最も親しい花の一つです。桜を語る言葉もたくさん紡がれています。3月から4月にかけては、TVや新聞などのメディアにも、桜がらみの番組や記事がいくつも登場します。

しかし、そのなかにはよく考えると「??」なものが少なくありません。例えば「桜は日本だけで咲いている」「桜の花を楽しむのは日本だけの特別な文化だ」といわれてきました。でも、もし本当に桜が日本だけで咲くのなら、その花を楽しめるのも物理的に日本だけです。

だから、それだけでは特別な文化だとはいえません。桜以外の花を、桜と同じように楽しむ文化が、他の地域にあってもおかしくないからです。裏返せば、こうした語りが本当なのかを確かめるには、桜以外の春の花々や、春の花を詠う日本語以外の詩文にも目を向ける必要があります。

要するに、日本の桜を見るだけでは、日本の桜の本当の特徴や独自性はわからないのです。おかげで広大な時間と空間を経巡ることになりました。その一端を、宣伝をかねてご紹介しておきます。

■桜に関する根深い誤解

「桜は日本だけで咲いている」という語りには、必ず続きがあります。日本語の「さくら」は英語の"cherry"や中国語の「桜桃」にも翻訳できるからです。それゆえ、「さくら」がcherryや「桜桃」とはちがうのだ、とも言わなければなりません。そこで決まり文句になってきたのは、「日本の桜は花を楽しむものだが、cherryや「桜桃」は果樹で、種類がちがう」です。有名人でいえば、植物学者の牧野富太郎もそう書いています。けれども、実際にはcherryや「桜桃」にも観賞用の品種はあります。また、日本の桜も江戸時代までは、ふつうに食べられていました。

果実のサクランボは字からわかるように、「桜ン坊」つまり「さくらの実」をさす言葉です。島崎藤村の有名な小説にも『桜の実の熟する時』というのがあります。19世紀までは日本語圏でも桜の実は親しまれ、それが熟する時季もすぐに思い浮かぶものだったのです。

あるいは、昨年のNHK大河ドラマ『光る君へ』でも何度か出てきたように、平安時代の文人貴族たちにとって、唐の白居易(白楽天)の詩文は文学の「バイブル」みたいなものでした。広く愛好され、和歌の表現にも取り入れられています。

白居易は桜が好きで、桜の花も実も詠っていますが、彼の詩には花の方がよく出てきます。「桜桃島」の満開の桜の下で宴会を開き、お酒を楽しんだことを思い出しながら、親しい人々との離別に想いを巡らす作品もあります。桜の花とその無常さを詠った詩人でもあるのです。

紫式部もその父、藤原為時も白居易の詩文はよく読んでいます。だから、中国でも桜の花が鑑賞されていることを、彼女たちは知っていたはずです。もちろん、清少納言やその父親の清原元輔も、さらには中宮の定子や皇后の彰子たちも、知っていておかしくありません。

藤原道長も公任も斉信も行成も、漢詩文に親しんでいましたから、たぶん知っていたでしょう。「奈良時代は中国からの影響で、中国から渡来した梅の花がもてはやされたが、平安時代になると、日本に昔からある桜の花が愛されるようになった」――これも桜語りでは「常識」となっており、私のような昭和生まれの世代ならば、日本史の参考書や教科書で読んだ方も多いと思います。2020年代の現在でもこの「梅から桜へ」交代説が、NHKの桜関連の番組などでも「諸説あります」の字幕なしに語られたりしていますが、これ、本当は、本当に「??」なのです。

■様々な「さくら」とその歴史

学術の世界でも、国文学などではまだ「梅は奈良時代に渡来した」と書かれた文章を見ることがありますが、梅は弥生時代の遺跡のあちこちで出土しています。桃となると、本州以南ではさらに広く出てきます。梅も桃も、奈良時代の人たちにとっては「昔からある花」だったはずです。

桜はそれよりさらに旧く、現生人類が日本列島に到達した約4万年前にはすでに咲いていた、と考えられます。縄文時代の遺跡からは、桜の樹皮で作った道具も出てきています。桜とイネ(水稲)を強く結びつける考え方が日本語圏には根強くありますが、弥生時代、つまり3000年前に新たに(!)渡来した植物である水稲とは、桜は全く異なる時間を生きてきました。水田耕作と結びついていた春の花は、日本列島においてもむしろ桃であったと思われます。日本語の「さくら」からは、そんな歴史を見出すことができます。

一方、中国語圏で「桜桃」と呼ばれてきたものは、これも未だに「桜桃(ユスラウメ)」とルビをふられたり、「あれは桜ではない」と言われたりしますが、多くの場合、カラミザクラ(シナミザクラ、「暖地桜桃」)という桜の一つの種類にあたります。ミザクラとつくように、果樹としても栽培されてきました。日本でも明治以降に普及し、大正期ぐらいまでは、その実が「サクランボ」として売られていました(現在はセイヨウミザクラの実)。そのため、例えば牧野富太郎はカラミザクラは桜ではなく「中国特産の果樹」としていますが、これは誤りで、桜の一種です。

また「桜の一種だが、観賞されることはない」とも言われてきましたが、これも誤りです。すでに述べたように、白居易は「桜桃」としてカラミザクラの花の方を主に詠っていますし、花カレンダー(「花信風」)にも出てきます。宋の時代には、観賞用だけの品種も開発されています。

さらに、中国語圏の詩文や明治以降の日本人による記事を詳しくみていくと、カラミザクラではない、日本のヤマザクラや彼岸桜に近い桜も「桜桃」と呼ばれているのがわかります。したがって「桜桃」は正確には、カラミザクラをさすことが多いが、桜を一般的にさす名称にあたります。

植物分類学の上でも、日本語の「さくら」はヤマザクラに近い群と彼岸桜に近い群をあわせた名称にあたりますが、現在のDNA解析では、カラミザクラはこのうち、ヤマザクラに近い群に属するだろう、と考えられています。「桜桃」の多くは、彼岸桜よりもヤマザクラに近い「さくら」なのです。

花の咲き方でもそうです。白居易の桜の花の詩はすでにふれましたが、清の時代の『呉門画舫録』(『蘇州画舫録』)には、蘇州の伎女、徐友蘭の逸話として「桜桃花下與博徒決勝負 雖一擲千金弗顧也(桜の花の下で博徒と勝負し、サイコロ一振りに千金を賭けても平然としていた)」とあります。

桜の花には博徒がよく似あう――中国語圏にもそんな感覚があったようです。花つきがゆたかで、視界を花色でうめてしまう。その華やかさとそれゆえの儚さが、親しい人との別れにも、乾坤一擲のサイコロ勝負にも、ふさわしい舞台に思わせるのではないでしょうか。

カラミザクラの樹自体も、平安時代終わりごろには渡来していたようです。当時の和泉国(現在の大阪府南部)産の、碁石ぐらいの大きさの、紅くて美味しい「桜実」が贈られてきた、という記事が藤原頼長の日記にあります。現在でいうドライチェリーか蜜漬けにあたるものだと思われます。

■日本の桜はなぜ特別な存在になったのか

日本の「さくら」と中国の「桜桃」は実際にはそんな関係にあるのですが、それがなぜ「日本のさくらとは別物で、果樹だ」とされたり、そもそも桜ですらなく、ウメの一種=「ユスラウメ」だとされたりするようになったのか? 『桜とは何か』ではその謎も解き明かしていきます。

そのあたりもぜひ楽しんで読んでもらいたいのですが、これまで述べてきたように、日本の桜は植物学的にはcherryや「桜桃」と同じ種類のものだと考えられます。見られる/食べられるに関しても、大きなちがいはありません。要するに、植物としてはむしろほぼ同じものなのです。

そして、だからこそ、なぜ日本の桜が特別な花になったのかは、未だ答えられていない謎となっています。『桜とは何か』では、その謎解きに挑戦しています。桜関連の知識でもできるだけ信頼できるものを集めたので、「桜の百科事典」としても、読んで楽しめると思います。

知識がなくても、桜の花は十分に楽しめます。でも知識があれば、桜の花の美しさをもっと深く味わうことができます。日本の桜は、そんな花なのです。そのことも本書を通じて伝えられたらいいな、と思っています。

(佐藤俊樹Xアカウント:@toshisato6010/2025年2月17日投稿より)

著者紹介

佐藤俊樹(さとう・としき)

1963年、広島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。博士(社会学)。専攻は比較社会学・日本社会論。著書に『近代・組織・資本主義』『不平等社会日本』『桜が創った「日本」』『意味とシステム』『社会は情報化の夢を見る』『社会学の方法』『社会科学と因果分析』『メディアと社会の連環』『社会学の新地平』など。桜の花はどれでも好きです。さくらんぼも好きです。


書誌情報

書名: 桜とは何か――花の文化と「日本」

著者: 佐藤俊樹

仕様:新書判/並製/320ページ

発売⽇:2025年2⽉27日

税込定価:1320円(本体1200円)

ISBN:978-4-309-63185-1

装丁:木庭貴信(オクターヴ)

書誌URL:
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309631851/

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設立
1957年05月