2/2〜2/4 能登半島地震を受け、関根エンタープライズグループが株式会社鍵主工業様を手伝いました。 〜創業者”関根 崇裕”の想い「必ず被災者を助ける」〜
2024年、新年早々の地震「能登半島地震」を受け、義援金を届け、株式会社鍵主工業様の作業場の片付けを手伝いました。
2024年新年に起こった「能登半島地震」を受け、石川県珠洲市役所に1,000,000円の義援金を届け、株式会社鍵主工業様の支援を行って参りました。
関根エンタープライズグループの原点は平成3(1991)年に創業者(関根崇裕)が自宅の八畳一間で運送業をはじめたことである。
創業間もない平成7(1995)年1月17日に阪神・淡路大震災が起こる。
関根エンタープライズグループは創業間もなく、自分たちの仕事を行うだけで精一杯でした。
そんな中、隣町に本社を置く丸和運輸機関さんが被災地に救援物資を届けるという形で支援を行ったのである。
関根崇裕はそんな姿を見て、「自分も被災地の支援をしたい」と考えたのが、我々関根エンタープライズグループの被災地支援の原点であります。
1996年に法人設立をし、創業16年、設立11年となる、2007年7月16日に新潟県中越沖地震が起こる。
株式会社関根エンタープライズ(当時は1社)は仕事として支援物資を被災地に運びました。
また、2011年3月11日には東日本大震災が起こる。
地震のみならず、津波による被災がとっても大きかった震災であり、記憶にも新しい人も多いと思います。
関根エンタープライズグループは当時、創業20年、設立15年目を迎え規模は中堅企業になっておりました。
関根崇裕は会社につくと同時に幹部を集め、被災地支援を行いたい。という考えを伝えました。
当時、東北自動車道も通行止めで国道4号線を使い被災地に向かうことになりました。
会社にある、ありとあらゆるものを集めたが全然足りない支援物資。
社員が自宅に帰り、あるだけの米や水を持ってきても、トラックに積み込むと荷台の3分の1にも満たない量でした。
また、ホームセンターに買い出しに行ってもすでに売り場には商品が並んでいませんでした。
これではせっかく東北に行っても少しの人にしか支援物資を届けることができない。
「運びたくても運ぶものがない。」そんな状況でした。
関根は全国各地にいる仲間に呼びかけをしました。
すると、各地にいる仲間が被災地に向かうトラックにお米などを届けてくれたのです。
そして時は、2024年1月1日。
新年早々、能登半島で震度7という大地震起こりました。
関根エンタープライズグループは、やや出遅れてしまい、2月2日からの被災地支援となりました。
やや時間が経った中でしたが、現地道中はとても悲惨な状態でした。
弊社は、珪藻土を使用した七輪やレンガの製造、販売をしていらっしゃる株式会社鍵主工業様の散らばってしまった備品など片付けを支援しに向かいました。
株式会社鍵主工業様、弊社従業員ともに全力で片付けをしました。
学びの仲間である石野社長が、地元名産品の笹寿しを、差し入れしてくださいましたので、仲間全員で食べさせて頂きました。
とても大変でしたが、仲間と結束し、最初に想像していたよりも綺麗に片付けることができました。(左列がbefore/右列がafter)
また、珠洲市役所に1,000,000円の義援金を直接お届けしました。
Growth Collegeにて、能登半島地震復興支援活動の振り返り動画を配信させて頂いております。
さて、長々と弊社の歴史などを書いて参りましたが、皆様は日々、何気なく買い物をしていらっしゃると思いますが、皆様が手にとってくださる商品は、必ず生産者(作り手)がいます。
そして我々、運送・物流業の人間が、生産者と消費者を繋いでいます。
弊社では、ただ商品を運ぶだけでなく、皆様のお気持ち「ありがとう」を運ぶ。をモットーに日々お仕事をさせて頂いております。
また、商品を運ぶだけでなく、緊急時には荷物を運べるという強みもございます。
勿論、震災が起こらない事が一番ではありますが、地震大国と言われるこの日本で、震災が起こってしまったときに、今後は、他の企業様や個人とも結束し被災者が本当に必要としている物資をお届けし、より充実した支援をしていきたいと考えております。
震災で人助けというと、自衛官、警察官、消防士などを、まず想像されるかと思います。
一見、接点のなさそうな、運送・物流業ですが、今まで書いて参りましたように、人助けもできる、誇れる業界であると私は考えております。
ぜひ、皆様の入社を心待ちにしております。
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