大阪市保健所の非科学的な行政判断― プベルル酸編:「未知のピーク」は、なぜ約2週間で「プベルル酸」になったのか ―
大阪市保健所から届いた開示文書(7月末着)についての考察
大阪市保健所は、小林製薬紅麹問題において「プベルル酸」を前提とした行政対応を行っています。 しかし、当社が令和8年7月に大阪市保健所から開示を受けた行政文書(大大保第8202号・第8220号ほか)と、小林製薬が公表した事実検証委員会の調査報告書を分析科学の基本に照らして検証すると、その判断過程には重大な疑問があります。
最大の疑問は、 検出された時点では名前のなかった「未知のピーク」が、約2週間後には「プベルル酸」とされていることです。
問題は「2週間では絶対に同定できない」ということではありません。
既知化合物であり、真正な標準品が容易に入手でき、適切な分析方法が確立されていれば、現代の分析機器を用いて短期間で同一性を確認できる場合があります。
だからこそ、今回問われなければならないのです。
その約2週間で、実際に何を行い、何を根拠として「プベルル酸」と同定したのでしょうか。
■ 微生物から一つの物質を取り出し、化学的に同定すること
紅麹や青カビなどの微生物は、多数の代謝物を産生します。
その複雑な混合物の中から目的物質を見つけ、
「この物質はプベルル酸である」
と化学的に同定することは、HPLCで一つのピークを発見することとは異なります。
一般的には、
検体 → 抽出・分離 → 必要に応じた精製 → 機器分析 → 標準品・スペクトル等との比較 → 同定
という科学的検証が必要になります。
重要なのは、
「ピークを発見すること」と「そのピークの物質を同定すること」は同じではない
ということです。
■ ペニシリン──発見から構造決定まで17年、全合成まで29年
世界的に有名な青カビ由来物質がペニシリンです。
フレミングが青カビ(Penicillium notatum)による抗菌作用を発見したのは1928年です。
しかし、その化学構造が確定したのは、ドロシー・ホジキンによるX線結晶構造解析が行われた1945年でした。発見から17年です。
さらに、その構造をもとにシーハンが全合成を達成したのは1957年で、発見から29年が経っていました。
この間、フローリーとチェインによる分離・精製、アブラハムによる構造の推定など、多くの研究者が段階を踏んで検証を積み上げています。
「青カビが何らかの物質をつくっている」と発見することと、
「その物質が何であるか」を化学的に明らかにすること
は別の問題なのです。
■ コンパクチン(スタチンの原点)──探索開始から構造報告まで5年
世界中で使用されるスタチンの原点となったコンパクチンも、遠藤章博士らが青カビから発見した物質です。
遠藤博士がコレステロール合成阻害物質の探索を開始したのは1971年です。約2年をかけて6,000株を超える微生物の培養抽出物をスクリーニングし、1973年7月に Penicillium citrinum の培養物からML-236B(後のコンパクチン/メバスタチン)を見いだしました。
その化学構造が学術論文として報告されたのは1976年です。探索の開始から数えて約5年、目的物質を見いだしてからでも約3年を要しています。
多数の微生物をスクリーニングし、目的とする作用を持つ物質を探し、複雑な培養物から目的物質を分離・精製し、その化学的性質・構造を明らかにしていく──この手順が省かれることはありませんでした。
こうした歴史が示しているのは、
「未知のピークを発見すること」と「その化学物質を同定すること」の間には、科学的な検証手順が必要である
ということです。
■ プベルル酸そのもの──報告から構造決定まで18年
今回問題となっているプベルル酸そのものは、1932年にバーキンショーとレイストリックによって Penicillium puberulum などの代謝産物として報告されました。
しかし、その化学構造は長く決まりませんでした。ベンゼン環を前提とする当時の理論では説明がつかず、1945年にデュワーが七員環の芳香族系(トロポロン)という新しい概念を提唱して、ようやく道が開けます。
プベルル酸の構造が論文として確定したのは1950年、コーベット・ジョンソン・トッドらによるものでした。最初の報告から18年が経っています。
もちろん、1930年代と2024年では分析機器の性能は比較になりません。
現在ではHPLC、LC-MS、HRMS、NMRなど高度な分析手段があります。
だから、既知物質で標準品等が揃っていれば、昔とは比較にならないほど短期間で同定・確認できる可能性があります。
しかし、それならなおさら、
「どの分析手段を使い、何と比較し、どのデータによってプベルル酸と判断したのか」
が重要になります。
■ 3月15日「未知のピーク」→約2週間後「プベルル酸」
この点について、小林製薬が2024年7月23日に公表した事実検証委員会の調査報告書には、次の経過が記載されています。
・2024年3月15日、同社が製品ロット及び原料ロットのHPLC分析を行った結果、意図しない成分が含まれている可能性を示す未知のピーク(同報告書では「ピークX」と呼称)が検出された。
・その2日後の3月17日の時点においても、成分名は特定できていない旨が社内で共有されていた。
・3月22日に製品の自主回収が公表され、同日、消費者庁の指示を受けて大阪市保健所東部生活衛生監視事務所に健康被害の報告が行われた。
ところが、それから間もなく、「プベルル酸」という具体的な化合物名が登場します。未知のピークが検出された3月15日から数えても、約2週間です。
ここで当社が問題としているのは、期間の短さそのものではありません。
問題は、
「未知のピーク」から「プベルル酸」へ至った約2週間を科学的に説明する分析記録はどこにあるのか
ということです。
さらに、小林製薬側の資料には「紅麹からのプベルル酸の精製方法が確立していない」旨が記載されています。 それならば、どのような方法によって目的物質を分析し、どのようなデータによって「プベルル酸」と判断したのでしょうか。
■ 「HPLCのピーク」だけで、どこまで同定したのか
HPLCは極めて有用な分析手法です。しかし、未知ピークについて、保持時間やピークの一致・近似だけから、その化学構造まで一義的に確定できるとは限りません。
だからこそ、当社は行政に確認しています。 何をもって「プベルル酸」と同定したのでしょうか。
使用した検体は何か どのような抽出・分離を行ったのか どの標準品を使用したのか HPLC以外にどのような分析を行ったのか 質量分析等ではどのようなデータが得られたのか 類似化合物や異性体についてどのような検討を行ったのか そして、誰が、どの分析結果を根拠として「プベルル酸」と判断したのか
これらは、「プベルル酸と同定した」という結論を第三者が科学的に検証するための基本的な情報です。
ところが、当社が情報公開請求によって確認してきた行政文書からは、「未知のピーク」から「プベルル酸」という結論に至った過程を第三者が検証できる一連の分析・判断記録を確認できていません。 だから当社は、その科学的根拠の開示を求めています。
■ 令和8年7月、大阪市保健所の開示文書が示していたこと
当社は令和8年7月、大阪市保健所に対する情報公開請求により、次の決定を受けました。
・大大保第8202号(令和8年7月22日)──「プベルル酸」に関して大阪市が保有する文書として開示されたのは5点です。このうち4点は、原因企業とされる小林製薬から提出された資料であり、残る1点が大阪市自身の検査成績書でした。
・大大保第8220号(令和8年7月24日)──令和6年3月27日前後のプベルル酸に関する資料について、「プベルル酸」と判断した者、その判断の根拠、及び厚生労働省との協議・連絡の記録は、いずれも「不存在」との決定でした。
また、令和8年7月24日の電話において、大阪市保健所の担当者から、小林製薬提供資料のほかに資料はない旨の説明を受けています。
つまり、「未知のピーク」から「プベルル酸」という結論に至る過程を第三者が検証できる分析記録も、その結論を誰がどの根拠で採ったのかを示す判断記録も、大阪市保健所の開示文書からは確認できていません。
■ 一人でも分析科学の専門家が確認していれば 行政が多数の企業、製品、そして国民生活に影響する判断を行うのであれば、その前提となる科学的事実について厳密な検証が必要です。
一人でも分析科学に十分な知見を持つ専門家が初期段階で、 「何を根拠として、この未知ピークをプベルル酸と同定したのですか」 「標準品は何を使用しましたか」 「質量分析等のデータを確認しましたか」 「その同定を第三者が再検証できる記録はありますか」 と確認していれば、少なくとも「プベルル酸」という物質名を行政判断の前提として扱う前に、その科学的根拠を検証することができたはずです。
■ 大阪市保健所に問う 大阪市保健所に問いたいことは単純です。
2024年3月15日時点で「未知のピーク」だったものを、約2週間後に「プベルル酸」と扱うに至った科学的根拠は何ですか。 そして、その同定を第三者が再検証できる分析データはどこにありますか。
科学行政である以上、「プベルル酸だった」という結論だけでは十分ではありません。 必要なのは、「未知のピーク」から「プベルル酸」という結論に至った過程を、第三者が検証できる科学的証拠です。
当社は大阪市保健所に対し、「未知のピーク」から「プベルル酸」という結論に至った科学的根拠と、第三者がその判断を検証できる分析記録の提示を求めています。
■ 当社が大阪市に提出している質問書・確認書
当社は、本件に関して大阪市保健所長に対し、次の書面を提出しています。
・令和8年8月14日付「質問書」(大阪市の開示文書から確認された5点について、この理解で間違いないかの確認を求めるもの。回答期限=令和8年8月28日(金))
・令和8年8月16日付「確認書」(工場の青カビの同定と公表の経緯に関する5点について、同じく確認を求めるもの。回答期限=令和8年8月31日(月))
本リリースで当社が求めている「『未知のピーク』から『プベルル酸』に至った科学的根拠と、第三者が再検証できる分析記録の提示」も、これらの延長線上にあるものです。
■ 本リリースについて
・本リリースにいう「不存在」とは、行政文書の保有の有無についての行政機関の回答であり、科学的知見一般の存否についての判断ではありません。
・「非科学的」「重大な疑問がある」等の評価は、当社が情報公開請求により入手した行政文書に基づく当社の受け止めであり、特定の個人・法人について因果関係や違法性を判断するものではありません。
・ペニシリン、コンパクチン及びプベルル酸の研究史に関する記述は、「ピークの発見」と「化学的同定」が別の作業であることを説明するための一般的な例示であり、本件と同一視する趣旨ではありません。年数は、いずれも最初の発見・報告から化学構造が確定した時点までを数えたものです。
・大大保第8220号の「不存在」は、当該請求の対象範囲(令和6年3月27日前後のプベルル酸に関する資料に係る協議・連絡等の記録)についての回答です。なお、令和6年3月26日付「健生食監発0326第6号」のとおり、国と自治体との間の連絡の経路自体は存在しており、本リリースは「一切連絡がなかった」と述べるものではありません。
・事実検証委員会の調査報告書に関する記述は、小林製薬が2024年7月23日に公表した同報告書の記載に基づく当社の要約であり、同報告書は同社の社内対応の検証を目的とするものです。同報告書はプベルル酸の同定過程を検証したものではありません。
・本リリースに記載した日付及び文書番号は、当社が開示を受けた行政文書の記載に基づきます。
■ 主な参考文献
・ペニシリン:Fleming, A. (1929) Br. J. Exp. Pathol. 10, 226-236/Crowfoot(Hodgkin)らによるX線結晶構造解析(1945年)/Sheehan, J. C.(1957年、全合成)
・コンパクチン:Endo, A., Kuroda, M., Tsujita, Y. (1976) J. Antibiot. 29, 1346-1348/Brown, A. G. et al. (1976) J. Chem. Soc. Perkin Trans. 1, 1165-1170(結晶構造)
・プベルル酸:Birkinshaw, J. H. & Raistrick, H. (1932) Biochem. J. 26, 441-453(最初の報告)/Dewar, M. J. S. (1945) Nature(トロポロンの提唱)/Corbett, R. E., Johnson, A. W., Todd, A. R. (1950) J. Chem. Soc. 6-9(構造)
・小林製薬株式会社「事実検証委員会の調査報告を踏まえた取締役会の総括について」及び同社事実検証委員会「調査報告書」(いずれも2024年7月)
■ 会社概要
会社名:株式会社薫製倶楽部
代表者:代表取締役 森 雅昭(薬剤師)
所在地:岡山県都窪郡早島町前潟611-1
事業内容:薫製食品の製造・販売
ブランド:倉敷ソーセージ
TEL:086-483-0602
E-mail:sales@kunsei.co.jp
紅麹関連情報:https://kunsei.com/archives/category/benikoji

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