「大敗」の現場で探る、戦国時代の記憶とは。『戦国の〈大敗〉古戦場を歩く』執筆の経緯

出版ストーリー

2023年2月27日 16時32分株式会社山川出版社

古戦場、それも〈大敗〉がおこった古戦場を歩き、現地の地形や現在の景観、そして史料や地図から浮かび上がる様相を組み合わせ、「なぜ、そこは戦場になったのか」を考えるーー。そんな視点で書かれた『戦国の〈大敗〉古戦場を歩く』（著者：東京大学史料編纂所准教授　黒嶋敏）が、山川出版社から刊行された。

はじめに　―〈大敗〉というストーリー―

第１章　いざ、桶狭間

第２章　いざ、人取橋

第３章　いざ、耳川・高城

第４章　いざ、三方ヶ原

第５章　いざ、長篠

おわりに

古戦場は、後世の人々の強い思いが充満した空間であり、現地を訪れるだけでは「思い」に触れるだけで終わってしまう。しかし現場に立って、アンテナの角度を少し変えて土地の記憶に耳を傾けてみると、当時の人々が行き交う様子が見えてくる。そのうえで、なぜそこが戦場となり、軍勢がどう動き、どのような勝敗がついて、そして後世にどのように語られたのかを考えてみようーー。

（山川出版社編集部）

地形の起伏、歩くことで体感する距離感。現場には過去を考える手がかりがある

ストーリーのある「聖地」として、日本史のなかでも戦国時代に関心がある人は、城や古戦場を思い浮かべるだろう。織田信長や豊臣秀吉・徳川家康といった戦国の英雄たち、そしてそのライバルや家臣たちが繰り広げた戦国の栄枯盛衰のなかで、彼らが活躍した舞台に足を運び、その景色を自分の目で見てみたい。そう思うのはファン心理として当然のことだ。

ただ、いま私たちが目にすることのできる城や古戦場は、戦国時代からそのまま保存されてきたものではない。時が流れて歴史のなかで変化したものである。たとえば、徳川家康ゆかりの城である駿府城（静岡県静岡市）も、家康が幼少期を過ごした戦国大名今川氏時代の城郭の上に、豊臣時代の城郭が築かれ、さらにその上から晩年に大御所となった家康の城郭が普請されて江戸時代の駿府城となっていく。明治維新後は敷地内に静岡県庁などが置かれるとともに、本丸部分の跡地は戦後になって公園に整備された。このような変遷を遂げた駿府城の場合、そこから戦国時代の光景を想像するのは至難の業といわざるを得ない。

発掘された豊臣期の駿府城天守台（本書「はじめに」より）

城だけではなく、田畑や宅地に姿を変えた古戦場も同様である。人々の日々の営みのなかで、いくつもの時代層がミルフィーユのように重なっていればいるほど、変貌の度合いは大きい。

けれども、それでも現場に行かないと分からないことは必ずある。わずかに残された地形の起伏であったり、実際に歩いたり目で見たりして体感しうる距離感であったり、あるいは他の地域と結び付ける道や航路の状況であったり……。それは過去を考えるための貴重な手がかりとなる。その土地が歴史のなかで辿ってきた変化の度合いが大きいほど、当時の姿に迫るためにはコツが必要になってくるものの、地図を片手に現場に立つことで初めて目の前に現れてくる光景も確かにあるのだ。

古戦場という特殊空間を歩いてみると

そうした戦国時代の現場を歩きながら考える試みとして、本書では古戦場に注目してみたい。戦いが日常茶飯事であっただけに、国内各地には大小さまざまな古戦場がある。その古戦場を歩いてみよう、という旅の提案である。ただ、あらかじめお断りしておくと、私は現地調査による戦史研究の専門家でもなければ、軍事的な陣形だとか隊列による戦略の話についても知識は乏しい。古戦場を紹介するなかで、合戦の戦術や作戦の当否、なぜ勝ったか、なぜ負けたかといった話はほとんどできないだろう。

そんな私ではあるが、現場を歩いて回るのが苦にならない。むしろ楽しいのだ。すっかり姿を変えてしまった現代的な風景のなかにも、かつて合戦が繰り広げられた風景に迫りうるような、ちょっとしたポイントというのは案外と残されている。そんな小さな手がかりを探しながら歩くのは、どこか謎ときの楽しさに似ていて、かけがえのない心躍る時間を堪能できる。

合戦のドラマが劇的であればあるほど、古戦場は印象的なストーリーを帯びるものである。そこに後世の人々はさまざまな思いを募らせ、とくに〈大敗〉とされるほどに勝敗に大きな差が出た戦場ほど、思いの丈は肥大化する傾向にある。合戦への関心だけでなく、他所から参陣して非業の死を遂げた有名・無名の人々への哀悼の意も絡まって、思いは錯綜しながら増幅していく。さらにそこから合戦にまつわる多様な伝承を派生させ、慰霊碑などのモニュメントを建てていくエネルギーになるのだ。古戦場を実際に歩いてみると、必ずといっていいほど、こうした伝承やモニュメントに遭遇する。

「三方原古戦場」石碑（本書「第４章　いざ、三方ヶ原」より）

戦国時代を生きた人々の営みが迫真性をもって見えてくる

古戦場は、後世の人々の強い思いが充満した空間だ。思いは時として派手な効果音になり、ある種の様式美ともいえる感銘を与えてくれるのだが、そうしたポイントだけを回っていては、後世の人々の思いに触れるのみで終わりはしないだろうか。

現場に立ってみると、戦国時代を生きた人々の、当時の暮らしや日々の営みがぐっと迫真性を持って見えてくるようになった。たしかに、それらは合戦とは直接に関係しない情報かもしれないし、そもそも当時の住民は戦場から避難していたはずだ。だが、たとえば道はどうだろう。人々の暮らしを支える主要道路と、軍勢のような大人数が一度に通れる規模の道は重なるはずである。そこに住む人々が暮らす光景を踏まえることなくして、合戦時における軍勢の行動など復元できるのだろうか。

古戦場は効果音だらけの特殊な空間ではあるが、現場に立って、アンテナの角度を少し変えて土地の記憶に耳を傾けてみると、当時の人々が行き交う様子が見えてくるはずだ。そのうえで、なぜそこが戦場となり、軍勢がどう動き、どのような勝敗がついて、そして後世にどのように語られたのか。合戦という壮大なドラマの現場だけに、古戦場は記憶の宝庫にもなっている。おびただしい記憶量ではあるが、確実な史料を頼りに丁寧に洗練していくことで、有益な情報を拾い上げることができそうだ。

現地に行かなければ分からないことが、必ずある

古戦場は効果音の大きい現場である。討ち取られた武将にゆかりの首塚や、戦で汚れた太刀を洗った池など、おどろおどろしい物語を持ったポイントのオンパレードといってよい。それらは合戦から四〇〇年以上もの時間が流れるなかで、奏でられてきた。しかし劇的で大きすぎる効果音は、時として歴史的な事実と後世の歴史認識との間をも曖昧にしていく。

古戦場はまた、情報量の多い現場でもある。しかし、現地に行かなければ分からないことは必ずある。膨大な情報のなかには、まだ光の当てられていないものも眠っているはずで、そこから信頼のできる情報を紡ぎ出し、現地の景観に即して考えていくことが今後も必要になるだろう。そんな試行錯誤の一つとして、本書を読んでいただければ幸いである。

〈本書の著者〉

黒嶋　敏（くろしま　さとる）

1972年生まれ

青山学院大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程中退

現在，東京大学史料編纂所准教授

〈主要著書〉

『天下統一─秀吉から家康へ─』（講談社，2015年）

『琉球王国と戦国大名─島津侵入までの半世紀─』（吉川弘文館，2016年）

『秀吉の武威，信長の武威─天下人はいかに服属を迫るのか─』（平凡社，2018年）

『戦国合戦〈大敗〉の歴史学』（編著，山川出版社，2019年）