山川出版社から、『水のない川　暗渠でたどる東京案内』が刊行された。暗渠（川跡）を通じて、往時の東京の町の姿（江戸時代からの変化、戦前・戦後の変化、高度経済成長期での変化など）を見直す本書は、なにげない風景の背後に潜んでいる失われた空間の広がりや、そこに積み重ねられた時間の記憶を伝えてくれる。

本記事では、本書の魅力を、著者である本田創氏が本書に込めた想いや執筆の経緯とともに紹介する。

『水のない川　暗渠でたどる東京案内』

著者：本田創＝著　刊行：2022年8月

仕様：A5  ・  208ページ

暗渠を通じて、まったく別の東京が見えてくる

近年、散歩やまち歩きの切り口の１つとして「暗渠」―かつての川の跡が注目されている。テレビ番組や雑誌で取り上げられる機会も増え、テーマを暗渠に絞り込んだ書籍も、拙著を含めて何冊か刊行されてきた。それらの多くは、都会のなかの異質な空間、時間の流れに取り残されているような場所としてのおもしろさや、いわゆる路上観察的な楽しみ方といった側面にスポットをあてて、暗渠を取り上げている。

もちろん、このような切り口からでも、暗渠を見つけることの楽しさ、その空間の意外性といった魅力は、まち歩きを楽しく彩ってくれるだろう。ただ、観賞・観察的な愉たのしみ方だけではなく、その先に広がる空間や、そこに重なる時間を知っていくことで、暗渠も、その暗渠を通して見たまちも、よりおもしろくなる。本書は東京の暗渠―かつて東京を流れていた川や上水・用水路の水路跡、そしてその流域に広がる東京のまちの変遷を、それぞれの地域での人と川とのかかわり方といった観点を通じて見てみようとするものだ。

今、目の前に残っている暗渠は、当たり前だがそこが川だったときがあった。暗渠化は人為的な環境変化だが、暗渠になる前の川の流路や姿も、決して自然そのままではなかった。それは人と川とのかかわり方のなかで決まり、そして変化していった。暗渠はその変化の過程の終結であったり、途中経過だったりする。その暗渠がなぜそこにあり、川だったころにはどうだったのかを掘り下げていくと、東京をとらえるまなざしの解像度が上がり、まったく別の東京が見えてくる。

暗渠スケープ：橋跡

渋谷川水系で唯一、橋の全体が残っている初台橋。（宇田川初台支流）

暗渠は、筆者にとって二重の意味で＜失われた原風景＞だ

私の生まれ育った、東京の下町と山の手の境目にあるまちには、まちの真ん中を緩やかに曲がりくねりながら貫く「谷田川通り」と呼ばれる道があった。そこにかつて実際に川が流れていて、大正後期から昭和初期にかけて暗渠になったということを知ったのは、小学校中学年のころだったろうか。アスファルトに覆われて車の行き交う暗渠の路面は、祖父母の昔話や小学校の地域学習のなかではさらさらと流れる水面となっていて、そこでは川沿いの農家が大根を洗ったり、子どもたちが魚獲りに興じていたりした。それは、自分が生まれたときにはすでに存在していない、話のなかだけで体験する＜失われた原風景＞であった。

そして、それらが失われたあとの暗渠は＜自分の原風景＞でもあった。友達の家に遊びに行くとき、商店街に買い物に行くとき、少し遠くの繁華街に出かけるとき、かかりつけの医者に通うとき。自分の日常のなかに無意識のうちに溶け込んでいた暗渠は、その存在を知ったことで直接的な体験と間接的な体験が重なる＜二重の原風景＞となった。当時、すでに東京を流れる中小河川の多くは暗渠となっており、そして残った川は三方をコンクリートに囲まれた巨大な排水溝と化していた。流れる水も決してきれいではなく、東京を流れる川はどこか怖くて近寄りがたい存在だった。むしろ暗渠のほうがイマジネーションを広げさせた。想像のなかで、決してよみがえることのない風景を復元しつつ、体験したことのない故郷・東京の風景に思いを馳せる、そんな暗渠への興味や向かい合い方の原点は、小学生のときのこの原風景にあった。

このような背景もあり、１９９７年にウェブサイトを開設して以来今にいたるまで、基本的には東京都内の暗渠や川、水路にこだわって発信を続けてきた。ときには東京以外の土地で暗渠や川を辿ったりすることもあるが、その深掘りはその地域に生活や活動の拠点をおいている方から聞きたいといった思いもある。そして、足元の東京には、まだまだ知らないことがたくさんある。

２０１９年４月より、ＮＨＫ文化センターにて暗渠散歩講座を開講させていただいているが、毎月の講座にあたって、東京の各地の暗渠を改めて調べ直してみると、何度も通い知ったつもりの場所でもその奥深さは無限のようで、毎回新たな発見があった。本書は、それらの成果をまとめた講座資料をベースにした。まとめる際、情報をどこまで取捨選択するかはいつも悩ましい問題で、絞り込みすぎると平坦に流れてしまうし、くわしすぎれば情報過多でハードルが高くなるが、本書では構成は書籍向けに再編しつつも、講座の資料の多くを生かすことにした。

「暗渠スケープ」は土地の記憶を探る手がかり

「暗渠」とは、本来は蓋ふたをされた河川や地中に埋設された水路などといった、地下の水路をさす言葉だ。ただ、そこがもともと川だったりした場合に、その上部の空間とあわせて暗渠と呼ぶことも多い。本書では、それを踏まえて広い意味で、かつて川や用水路が流れていた空間・場所・道で、かつ今でもその流路が景観として見えるもの全般を「暗渠」と呼ぶことにしたい。ここでの暗渠は地上の水路跡であり、地下の形態は問わない。いってみれば、ここでの暗渠とは「失われた川や水路の痕跡」だ。

　東京では都心部を中心に、このような「失われた川や水路の痕跡」としての暗渠がとくに多く見られる。現在の東京には、荒川や多摩川、隅田川などといった大きな川のほかには数えるほどの川しか流れていないが、かつては数多くの小川や上水路・用水路、そして堀割が網の目のように覆っていた。それらはさまざまな理由で蓋をされたり、下水道に転用されたり、埋め立てられたりして、なくなってしまった。

これらの暗渠をひもといていくときに鍵になるのが、「景観」「空間」「時間」という、相互に密接に関連する３つの軸だ。

図１　暗渠をひもとく3つの軸

まず「景観」。暗渠は日常の風景のなかの、違和感のある点景として、私たちの視界に入ってくることが多い。そして、ひとたび暗渠を意識しはじめると、なにげなく見過ごしていた風景のなかのあちこちに、失われた水辺の痕跡―暗渠の景観が潜んでいることに気づいていく。

次に「空間」。それはまず「線」として現れる。今まで別々のものとしてとらえていた地点や景観は、暗渠に気がつくことで、失われた水のラインに関連づけられ、つながっていく。暗渠を辿ることは水の流れに沿って地形をなぞることでもあるから、個々の景観はその失われた水のライン上で高低差でソートされ、プロットされていく。そして「線」は、「面」の広がりを持っていく。通常の川と同様、失われた川もいくつもの支流の暗渠を集め、１つにまとまって水系となり、さらに川や海へとつながっているからだ。この「面」に着目したとき、鉄道網や道路網とは別の、今まで見えていなかった都市を覆う空間的な広がりが現れてくる。

そして「時間」。川や水路が暗渠化された時期はそれぞれ異なっているし、そこに残る遺構や痕跡の時期も場所場所で異なっている。暗渠の空間には、さまざまな時間の流れが重なり合い、投影図のように同時にプロットされて見えているといえる。その重なり合いを１つ１つひもといていくと、空間は時間へと変換され、川や水路の歴史が浮かび上がってくる。こうして「景観」から「空間」、そして「時間」へとアプローチを重ねたのちに、再度「景観」に立ち戻ったとき、まちのなかに景観として見られる暗渠には、その背後にかつてあった水の空間と、それらがなりたち、失われていった時間が広がっていることがわかるだろう。

暗渠では、そこが川だったゆえの特徴的な景観が見られることが多い。たとえば橋跡や連続するコンクリート板の蓋、細く曲がりくねって先の見通せない路地といったものが代表的だ。暗渠愛好家の間では、これらを＜そこが川であったことを示す手がかり、目印となるもの＞として、「暗渠サイン」という言葉で呼んできた。ただ、それらのなかには必ずしも明確な因果関係があるわけではないものも少なくないし、それがあるからといって暗渠だとは限らないものが大半だ。

しかしながら、暗渠サインのようなランドマーク的なものに限らず、ああこれはいかにも暗渠だ、という景観はたしかに存在する。そこで、ここでは暗渠サインとされてきたものを含め、このような＜暗渠特有の景観＞や＜それを構成する要素＞を「暗渠スケープ」（暗渠＋ランドスケープ）と呼んでみることにしよう。

図２　暗渠スケープ

暗渠スケープは、景観として現れた水の痕跡だ。暗渠スケープにまなざしを向けることで、その背後に潜んでいる、失われた水の空間のつながりと広がり、そして人と水とのかかわりが積み重ねてきた、時間の奥行きが見えてくる。暗渠スケープは、暗渠を見つけるための手がかりというよりも、暗渠がそこにはらむ空間や時間といった土地の記憶を探るための手がかりなのだ。ただ、それはあくまで手がかりであって、より解像度を上げて、暗渠をひもといていくためには、実際にそれぞれの場所の来歴を探っていく必要がある。

それぞれの地で、人と水とのかかわりから、どのように水の空間が形成され、時間が重ねられ、そしてなくなっていったのか。とくに大部分の川が暗渠となり、川を介した土地のつながりが見えなくなってしまっている東京では、暗渠をひもいていくことで、今、目の前に見える東京とはまったく異なる都市の相貌が立ち現れてくる。いったんそれに気がついてしまうと、あなたはもう、今までのまなざしで東京のまちをとらえることはできなくなるだろう。

暗渠スケープ：擁壁・突き出す排水管・はみ出す緑

古びた擁壁は川があったころのものだろう。そこから突き出す排水管は、川が暗渠化され、下水になっていった過程の産物だ。暗渠の路端からは、封じ込めた水の気配をよみがえらせるかのように雑草が伸び、苔が路面を浸食する。（品川用水戸越分流）

本田創（ほんだ・そう）

1972年東京都新宿区生まれ。東京大学文学部卒業。小学生のころにもらった東京の古い区分地図で、川や暗渠の探索に目覚める。あらかじめ失われていた東京の原風景の記憶を求め、都内の暗渠や用水路跡、湧水などを探索。1997年より、その成果をウェブサイトにて公開。著書に『東京暗渠学』（洋泉社）、編著・共著に『東京暗渠散歩・改訂版』（実業之日本社）、『東京23区凸凹地図』（昭文社）、『はじめての暗渠散歩』（ちくま文庫）などがある。雑誌「東京人」や「文春オンライン」などのWEBメディアでの執筆、NHK文化センター、毎日文化センターなどでの野外講座の講師も務める。

https://www.tokyoankyolabo.net/