『夫婦会議®』で子育て支援?①「“わたしたち”を諦めない」〜妻のSTORY〜

#夫婦会議  #子育て支援  #創業ストーリー

2020年9月25日 08時20分 Logista株式会社

「あの、3時間おきに授乳って夜中も・・・ですか?」


出産と癒着胎盤の処置を終えて数時間。目覚めたところに現れた産院のスタッフの方に渡された入院中のスケジュールには、授乳を始めとする育児の指導要領がびっしりと書かれていた。


産後は頭が回らないという話は耳にしていたが、本当にその通りで。新生児室に行って授乳をする時間、搾乳や調乳、沐浴の手順など、受け取ったスケジュールに書かれていることがすぐに理解できない状況だった。


ただ一つ分かったことは

「赤ちゃんの命に関わる内容が書かれている」ということ。


極度の睡眠不足と貧血で自分の身体がフラついていようと、自分よりも赤ちゃんが優先される。少し小さめに生まれたわが子のためにも、入院期間中に赤ちゃんのお世話を一通り身体に叩き込まなければ…。

その一心で、産後の生活に突入していった。



《目次》

  1. 幸せなはずなのに、辛い。
  2. 夫の心、家庭にあらず。
  3. 諦めの悪い夫が “わたしたち” の道を創ってくれた。
  4. 今度はわたしが、“わたしたち”を諦めない。
  5. あとがき


幸せなはずなのに、辛い。


退院後は2カ月近くもの間、実家の母が住み込みで家事全般をサポートしてくれた。日用品や食品の買出しから、栄養バランスのとれた食事の準備、小まめな部屋の掃除など、本当に大助かりだった。その間、数十年ぶりに一人暮らしをすることになった実家の父、そして私の母との生活をプラスに捉えて受け入れてくれた夫には感謝しかない。


しかし、当時の私には周りに感謝する余裕などなかった。


すやすやと静かに眠るわが子を愛おしく思う一方で、数時間おきに授乳やオムツ交換をしたり、何をしても泣き止まない中で抱っこし続けたり、ウンチやミルクの吐き戻しで汚れた産着を1日に何度も洗濯したり…。産後の自分の体調への不安もある中、思うように体を休めることができない毎日に、心底うんざりしていた。


「何かの拍子でうつぶせ寝になったり、ガーゼが顔を覆ったり、誤飲をしたり、ちょっと目を離した隙に呼吸が止まっていたら?抱っこする腕に力が入らず、子どもを落としてしまったら?」


自分の不注意で死なせてしまうかもしれない…と、まだ首も座らないふにゃふにゃな姿に緊張感と責任感を抱えながら、24時間体制でわが子を見守る日々。その反面、赤ちゃんの唯一の栄養源であるおっぱいやミルクを与えることさえ煩わしく、わが子を心の底から可愛いと思えずにいる自分に罪悪感を覚えながら、「母親失格」の烙印を何度押したことだろう。


朝から晩まで一緒に過ごす実母のふとした一言が“良き母・良き妻プレッシャー”に感じられ、「居てくれて助かるけど、居て欲しくない!出て行って!」と泣き叫んだこともある。


そうして実際に、母が一時的に実家へ戻ると、わが子をリビングの床に転がしたまま「何もかも捨てて逃げ出してしまおうか」とベランダに足を向けてみたり、虐待を報じるワイドショーを見ながら「自分も加害者になってしまうかもしれない」と恐ろしく思ったりしたものだ。


電気もつけず、着替えもせず、今日という1日をひとりで無事に乗り越えられるかどうか不安になりながら、わが子に怪我の無いように、死なせないように注意深く過ごしていたあの頃。


正直、あの頃の自分が病院を受診し、エジンバラ産後うつ病質問票に回答していたら、間違いなく「産後うつ」と診断されていたと思う。


幸せなはずなのに、辛い。わが子を見つめているだけで笑顔になれる日もたくさんあったはずなのに。それなのに、どうしてこんなに追い込まれてしまうのか。

夫の心、家庭にあらず。


振り返って思うのは、当時の私は「夫とのパートナーシップが希薄だった」ということ。


穏和でユーモアがあり、子どもにも好かれ、一通り家事をこなすスキルもあるなど、結婚当初から “良い夫” ではあったものの、その良さを発揮する機会がとにかく少ない。(一人暮らしの夫の家にはじめて遊びに行った時に振舞ってくれた「ぶり大根」は最高に美味しかった)


仕事があまりに忙しく、帰宅は深夜。

家にほとんどいないため、赤ちゃんのお世話をする中で次々に湧き出る心配事や「こんな時どうしたら?」という悩み、産後の働き方や暮らし方についてゆっくり対話を重ねることもできず、「新たな協力関係」を築きようがなかったのだ


「この先も家の仕事(家事や育児)は私が中心となって担うの?」

「なぜ、私だけが働き方を変えなくてはならないの?」

「一家団らんが夢、というプロポーズは嘘だったの?」


日増しに募る、夫への不信感。


たまに早く帰ってきても、仕事が頭から離れない様子の夫。タスクをこなすように、沐浴やオムツ替え、ゴミ捨てなどの「言われたことだけ」を行い、一段落したところで再びパソコン上の資料に意識を向ける。お風呂上がりに子どもに使う保湿剤、予防接種のスケジュール表、キッチンで洗われるのを待っている食器や調理器具、山積みになった洗濯物など、どれも夫の目には自分事として映っていない。


途中きまぐれに「◯◯(娘の名前)は今日どうだった?」と夫から子どもについて尋ねられることはあっても、わたし自身について聴かれることはほとんど無い。


自分の妻が日中どのように過ごし、何を感じていたのか…特に気にならない様子の夫を前に、「これが世に言う産後クライシスか」と妙に納得している自分を感じていた。


こうなると、必然的に実家の母や産院・小児科の先生、ママ友などが主な話し相手になっていく。


しかし実際には、育児に限らず家事・仕事・お金・住まい・人間関係など、人生を共に創ると決めた夫との間でしか解消することのできない “リアルな問題” が多々あるものだ。


不安や悩みを相談したり、助けを求めたりできる人が周りにいるだけ恵まれていたのかもしれないが、一番身近な存在であるはずの夫との間でパートナーシップを実感できない日々は、それなりに辛く、苦しいものがあった。


子どもはみんなで育てるもの。

その “みんな” の中心に、他の誰でもなく「夫」にいてほしかったのだ。


諦めの悪い夫が “わたしたち” の道を創ってくれた。


しかし、こうして書いておきながら独身の頃のわたしは「夫」という存在にも、「結婚」「子育て」にも、何の期待も価値も見出してこなかった。

仕事が生き甲斐。超が付くほどのワーカホリックで、夫の前に7年以上お付き合いしていた彼との間で結婚の話が持ち上がった時にも、嬉しさ以上に戸惑いが大きかった。


わたしをよく知る友人からは“治外法権”(常識が通用しない人)というあだ名をもらい、「百合子と結婚したいと言う人がいたらそれは菩薩様だよ。わたしはその人を拝むよ」と心配されるような生き方だった。


結婚も子育ても足枷になる。現実味が無いー。


そんなわたしに、

「君は僕と結婚した方が幸せになれる」と、

猛進してきたのが今の夫だ。

結婚によってもたらされる幸せとは一体何なのか。


挑発的なプロポーズに、「わたしは自分で自分を幸せにできる」という思いが全身を駆け巡ったが、夫が持ちかけてきた幸せが、これまで自分で切り拓いてきた幸せの種類とは全く異なるものであることだけは漠然と理解できた。と同時に、夫のストレートな物言いに、「受け入れることによって切り拓かれる人生」「わたしたちで創っていく人生」の存在を直感した。

わたしの人生における「運命」の一つが、恐らくこの結婚なのだろう。

「わたし」を確立させてくれたこれまでの人生への愛着から、すぐに覚悟が決まらなかったが・・・何度断っても諦めない夫の心の強さに導かれ、最初の告白から3ヶ月が経った11回目のプロポーズでようやく結婚を決断。


諦めの悪い夫が、今に続く “わたしたち” としての道を創ってくれたのだ。


今度はわたしが、“わたしたち”を諦めない。


“ひとりで生きる道” と決別し、

“夫婦・家族として生きる道” を選んで

間も無く7年。


一時は「離婚」の危機に陥ったわたしたちだったが、我慢や妥協ではない夫婦の在り方を模索する中で、何とか「産後うつ」「産後クライシス」を乗り越えることができた。


具体的にどうやって乗り越えてきたのか・・・?


それは引き続き書いていくとして、今わたしたちの間には、「家の仕事も外の仕事も協力し合い『一家団らん』を実現できる夫婦でいよう」と夫婦で決めた「わたしたちのビジョン」を体現できている実感がある。


今では夫にできない家の仕事は無いし、

私にもできない家の仕事は無い。


最大の要因は、「夫を最大のパートナーと信じ、諦めずに『夫婦会議(夫婦の対話)』を続けてきたこと」、これに尽きるだろう。私も夫も、本当に諦めの悪い性分だと思う。


「どんな自分・夫婦・家族でいたい?」


お互いが思い描く「わたしのビジョン」を尊重し合いながら、「わたしたちのビジョン」を見出す。産後の変化に目を向けながら、働き方や暮らし方における理想と現実を一つひとつ話し合っていく。臭いものほど蓋をせず、お互いの不安や課題に関心を持ち、理解と共感を積み重ねていく。


「どうしてそう思うの?」

「今の話はこういう意味?」

「詳しく聴かせて?」


と、中途半端に分かったふりをせず、“わたしたち” の答えに向けて、言葉を尽くしてきた。


時には激しくぶつかることもあったが、それさえも良い思い出と言えるのは、こうした地道なコミュニケーションの中で夫婦のパートナーシップを育んできた実感があるからだろう。


まだまだ始まったばかりの子育てライフ。

ここ最近は、定期的な『夫婦会議』の他に、子どもを交えての『家族会議』も弾んでいる。子どもは家庭の中だけで育つわけではないが、親の私たちが思う以上に夫婦関係をしっかり見て、記憶していることを感じる。


この先も、わが子により良い家庭環境を創り出していける「わたしたち」であるために。そして、互いに人生最大のパートナーであり続けられるように。

試行錯誤の道のりを楽しみながら、夫婦・家族のパートナーシップを高めていきたい。


あとがき


『夫婦会議』の事業の原点(妻のSTORY)にお付き合いいただきありがとうございます。


▼夫のSTORY

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弊社は、「未来を担う子どもたちのために産後の危機を乗り越え、より良い家庭環境を創り出していける夫婦で溢れる社会を目指す」をVisionに、結婚・妊娠・産後・育児期の夫婦のパートナーシップを育む『夫婦会議』の事業を展開する子育て支援企業です。


記事本編でご覧頂いた通り、第一子誕生を機に産後離婚の危機に直面。仕事と家庭の両立や夫婦のパートナーシップに課題を抱える中、「同様に葛藤する子育てご夫婦の力になりたい。夫婦で協力して子どもたちにより良い家庭環境を創り出してほしい」という思いで、夫婦でLogista株式会社を設立しました。


夫・妻という関係に父・母という「親としての役割」が加わる妊娠・産後・育児期は、ふたりの関係が劇的に変化します。そこから、産後うつや虐待、DVなどの母子の命に関わる危機や、産後クライシス、セックスレスなどの産後離婚に繋がる危機に繋がることもあるだけに、危機を未然に防ぐ、あるいは乗り越えていける夫婦のパートナーシップを育むことは極めて重要です。


また、日本では夫婦関係は個別の問題と見なされ、行政・自治体の子育て支援の枠組みとも切り離されがちですが、「親になる夫婦がどのような家庭環境を子どもたちに創り出していくのか」という問題に向き合わない限り、真にこの国の子どもたちを守り育てていくことはできません。両親が揃っているから幸せ、安泰とはいえないのが「子育てのリアル」です。


「家庭は社会の最小単位であり、子どもたちが最初に触れる社会そのもの」。


開発した夫婦会議ツールの内、夫婦で産後をデザインする「世帯経営ノート」が2019年にキッズデザイン賞を受賞したことを追い風に、わたしたちLogista株式会社は、これからも当事者である産後のご夫婦をはじめ、産婦人科などの医療機関の皆様、保育・産後ケア関連の事業者様、子育て支援に積極的な企業、行政・自治体の皆様と力を合わせながら、『夫婦会議』がお役に立てる場面を増やして参ります。


ぜひ皆さんも、記事に共感いただけることがありましたら、『夫婦会議』の広がりを一緒に応援いただけると嬉しいです。


出生数が100万人を割り、少子化が更に進んでも…生まれ来る子どもたちのために「わたしたち」にできることがきっとある。その一つが、『夫婦会議』だと私たちは信じています。


Logista株式会社

共同代表 CEO 長廣百合子(妻)

共同代表COO 長廣 遥(夫)