例年通り、もしくはそれ以上の猛暑が予想されている今年の夏。熱中症にならないか不安な方も多いのではないでしょうか。特に今年は新型コロナウイルスへの感染予防対策の一環としてマスクを着用している方が多く、マスクによる体温上昇により熱中症にかかるリスクも高まっています。

大日本印刷（以下DNP）は、「熱中症で倒れる方や亡くなる方を1人でも多く減らしたい」との強い想いから、“DNP電子ペーパー 熱中症注意喚起ボード(以下、熱中症注意喚起ボード)”を開発しました。総合印刷会社のリーディングカンパニーとして知られているDNPが誇る最新テクノロジー、加えて誇りと責任感をもってうまれた本製品は、発売にいたるまでさまざまな困難がありました。そこで開発者の1人である情報イノベーション事業部　EPプロジェクトヘッドの蒲本 浩明さんに、開発中に苦労した点や、今後の展望について伺いました。

電子ペーパーで世界初！ 気温とWBGT値が両方表示できる看板「熱中症注意喚起ボード」

“熱中症注意喚起ボード”は、スポーツやイベント会場、小学校や工事現場など、過酷な環境下で熱中症への注意喚起を効率的に行うことを目的として開発されました。

“熱中症注意喚起ボード”は、気温に加えてWBGT値を表示できるのが最大の特徴です。熱中症が発症する原因は、気温だけではありません。湿度、そして地面・建物・体から出る熱も影響します。それらの要素をもとに算出された指標が、WBGT値なのです。つまり熱中症にかからないためには、気温とWBGT値を意識することが重要で、“熱中症注意喚起ボード”は熱中症危険度をひと目で確認できる画期的なボードなのだと言えます。さらに、蒲本さんは次のように語りました。

「暑さから命を守る大切さは、随分前から唱えられています。ですが近年の激しい天候変化の影響もあり、社会的にソリューションが追い付いていないと感じておりました。我々DNPは『P&I（印刷と情報）』の独自の強みをかけ合わせ、多方面の事業に対して新しい価値を提供し続けてきました。ですからこの深刻な課題に対しても、DNPにできることはないかと考えたのです。そこで着目したのが、台湾のE Ink社の技術と経験の力を借りて作り上げてきたDNP電子ペーパー powered by E Ink（以下、E Ink方式）でした。

DNP電子ペーパー（E Ink方式）はボタン電池で稼働するためLEDと違って電源を確保する必要がなく、表示が変化する時以外は電力を消費しないのでこまめに電池を交換する必要もありません。それでいて、遠くにいる人にも見やすい表示が特長です。さらに、太陽光や店舗の照明などによって大切な表示が見えづらくなることもありません。『この技術を活用して熱中症危険度が遠くからでも把握できる看板を作れば、多くの方々の命を救えるのではないか』と考えたのです。

また、今年の7月から関東甲信地方1都8県で、WBGT値をもとにした“熱中症警戒アラート”が試行されています。しかも、令和3年からは全国で実施予定です。この流れで“熱中症注意喚起ボード”の認知も広めていけば、さらに多くの人が熱中症から命を守ることを見つめ直すきっかけになると考えております。」

「人の命に関わる表示」を信頼してもらうため、猛暑の中全国8カ所に聞き込みも実施

もともと出版印刷や商業印刷などの受注事業がメインだったDNP。命に関わる情報を発信することで社会課題の解決に役立つ製品を主体的に発想し、製品化する取組みは、DNPにとって新しい試みでした。「ですので、完成までには随分苦労しましたよ」と、蒲本さんは笑いながら語ってくれました。

「まず開発するにあたって、社内で企画を通す必要がありました。そこからは、細かく進捗や変化を報告するよう心がけましたね。大々的なプレゼンテーションで一気に伝えるのではなく、考え方自体を変えてもらうことが必要でした。それはDNP社内全体でも求められていることでもあります。世の中はどう変化しているか、自分たちはどう行動するべきか、その行動によってDNPは社会全体にどのような新しい価値が生み出せるのか……。一つひとつの事実や想いを細やかに伝えたところ、社内でも熱中症に対する課題意識がどんどん高まっていきました。その意識の変革自体が、命を守るための大きな資産の一つだと考えています。」

また、実際に製品を作る段階になってからも、苦労は絶えなかったとのこと。

「“熱中症注意喚起ボード”は医療機器ではありません。その上で、人の命に関係する表示を示す必要があります。そこで、ユーザーが安心して利用できるようにするための『信頼性の設計』にまず苦労しました。また社内で誰も経験していない製品を作るわけですから、アドバイザーもおりません。暑い中、全国8カ所でテストを行い、現場の声をフィードバックする、カスタマーエクスペリエンス（CX）を徹底しました。現場の声をもとに大きく変更した点もあります。当初は気温とWBGT値について、どちらも32.1℃といったように℃表示をしていました。しかし『同じような数値が並んでいて、わかりづらい』との意見をいただいたため、“暑さ指数”や”熱中症危険度”など表示の表現方法を変更し、どんな方でもひと目でその場の熱中症危険度がわかるように改良しました。このような『妥当性の検証』が、私たちメーカーとして一番大事なことだと思うのです。」

印刷物とは異なり、毎回同じ数値は出ない現場では、協力メーカーやスポーツ選手、生徒や先生の意見と経過をきちんと検証することを大切にされています。良いものを追求するべく、なんと販売時期を1年ずらしたそうです。他に苦労した点を伺うと、“多くの人にこの製品を知ってもらうこと”と蒲本さんは語ります。

「どう認知してもらうか、告知方法には今も苦労しています。開発したからには、安心してご利用いただけるところまで責任を負わなければいけません。暑さから身を守りながら、体調だけではなく心の安定をはかる。そのためにこのボードにどんな価値があるのか。一人で熱中症危険度を把握するのではなく、皆が見えることに価値があるのだという、公平性・情報性を今後も訴えていくことが必要だと考えています。」

60年の歴史と熱中症センサーへのこだわりをもつ会社をパートナーに

DNPが共同開発の相手として選んだのが京都電子工業株式会社。日本で唯一、熱中症センサーでJIS適合品を製造するメーカーです。

「弊社は140年以上の歴史がありますが、京都電子工業さんも約60年の歴史があります。それぞれの社風の中で文化が同じ方がパートナーにはいいと思ったのです。基準値に厳しく、プライドもあるので、信頼を持ってお願いできました」

“熱中症注意喚起ボード”は今年は600台の販売目標を掲げ、来年は2000台の販売を目標に設定しているとのこと。4つの販路で購入でき、工事現場などへのレンタルリースへの準備も進められています。ボタン一つで動き、本体とセンサーのみのシンプルな設計と見やすさで、現場ではかなりの好反応をいただいているそうです。とある学校では職員室の前に「熱中症注意喚起ボード」が設置され、教職員全員が熱中症危険度にすぐ気づける環境になっているそう。命を守るためのさまざまな活用方法が、各地で生まれている模様です。

DNPが考えるSDGs（持続可能な開発目標）への貢献

電子ペーパーは、今世界の課題となっているSDGs（持続可能な開発目標）とも多くの親和性を持っています。DNPはグローバル規模でどう貢献していけると思うか、伺いました。

「新しいことをして、新しい見方を持ち、新しい価値を伝えていく。そのスピード感が私たちには求められているし、実際に評価されている部分だと思います。サステナブルな社会＝電子ペーパーではありません。使う人が良さを実感できるか、そのロジックを今後も意識していきます。」

設計時に意識している表現方法として、DNPは2つの独自のメソッドを導入しています。

●IGUD（info graphics×universal design）

「インフォグラフィックス（IG）とユニバーサルデザイン（UD）を組み合わせた、新しいデザインメソッド。「超情報化社会」「多様性社会」の中で、多様性をもつ方々でも「直感的に」「世代を問わず」「言葉に頼らず」理解できる表現を指しています。

●CUDMS（color universal design organization system）

カラーユニバーサルデザインマネジメントシステムの略。色弱者の方など多様な色覚特性に配慮したデザインメソッド。

最優先は命を守ること。いずれは、経営・マーケティングの目線から社会を支えることを目指す

今後の展望を蒲本さんに伺ったところ、いずれは“熱中症注意喚起ボード”をネットワークにつなげ、日本全国各地のライブ情報やDNPの各工場の状況をクラウド管理、そのデータをもとに時系列に合わせた体調管理や必要な人員のマネージメントを実現できるようにしたいとのこと。さらに、そこから生まれるデータをもとに様々な商品をキャンペーンで使用するなど、経営戦略やデジタルマーケティングへの活用も視野に入れているそう。ビジネス方面への活用にも、期待が高まります。

「しかし、今はそのタイミングではないと思っています。まずは、できるだけ多くの小中学校、老人ホーム、医療従事者の方々に知ってもらい、使ってもらえることが最優先。命を守ること、その社会的根幹のところで民間の力を発揮したいと考えています。その先で、国内外問わずビジネスの場でフル活用させる。そこまでは必ずやりとげたいです。

本製品がこれからどう活躍していくのか。それを楽しみにしているたくさんの共鳴してくださった方々への責任感と誇りとともに、我々も“熱中症注意喚起ボード”とともに進化し続けてまいります。」