出版、ネットメディアの運営など専門性の高いメディア&サービスおよびプラットフォーム事業を展開するインプレスグループは、昨年末に神保町のオフィスを全面改装しました。

『ニューワークスタイルプロジェクト』と名付けたこのプロジェクトは、リモート時代の社員の働きやすさを考えると同時に、各事業会社の相乗効果を最大化し、グループとしての成長を実現させることが狙いです。

プロジェクトオーナーである塚本由紀（インプレスホールディングス取締役副社長）と、同・執行役員人事戦略室長の佐々木一幸が、今回のプロジェクトに込めた思いを語ります。

●オフィスデザインを変えれば働き方まで変わる

―――まずは今回の『ニューワークスタイルプロジェクト』の全体像を教えてください。

塚本　私は2020年6月に現職に就任しましたが、ちょうど新型コロナウイルス感染症の流行が始まった年でした。すでにリモートワークが導入されており、書類の電子化をはじめとするDXを推進、スタッフも前向きに受け入れているというアンケート結果を踏まえて、今回のプロジェクト化を決めました。

環境づくりのメインはオフィスのリノベーションです。「働き方を変えるぞ」と旗を振ったところで、制度を変えるだけではなかなか浸透しないものです。そこで、思い切ってオフィス全体の在り方や動線を変えることにしました。オフィスのデザインが変われば、人の流れも働き方も変わります。2020年9月から検討を始め、2021年1月にデザインをインターアーム社に依頼して7月から改装工事に着手。12月末に新しいオフィスができあがりました。

リモート時代になり、一人で黙々と作業するのであれば、家で仕事をしたほうが通勤時間も節約できますし効率的です。ただ、家庭によっては家で作業できないケースもありますし、打ち合わせや雑誌の校正など、ディスカッションが必要な作業はオフィスを活用できるようにしたい。「オフィスは、『創造』のためのメディア（媒介）でありたい。」という基本理念のもと、オフィスに来て、人と人との有意義なコラボレーションが叶う、新しいクリエイティビティが生まれるオフィスに変えようと思いました。

グループ内での交流が活発になれば、個人個人にもいい刺激となり、会社の枠を越えて新しいビジネスが生まれたり、グループとしての一体感が醸成されたりするのではないかと考え、2フロアあったオフィスは壁を取り払ってフリーな空間を活かしたデザインに変えました。

●事業会社ごとの小部屋にせず会社を「ベースキャンプ化」

各事業会社は本棚で区分けした6畳ほどのスペースを持っており、それが広いフロアの中に点在しています。そのスペースの内装は各社に任せました。

従来の会社組織のように閉鎖された部屋は作らず、ファジーな境界のベースキャンプにしたことで、文化の違ういろいろな事業会社の人との交流が、フロアのあちこちで生まれるようになりました。

このコンセプトは、共同体の結束を固めつつ各々の文化・財産を対等に保持した客家（漢民族）の『福建土楼』などを元に、デザインに加えてプロジェクトマネジメントを担当したインターアームさんから提案をいただいたものです。

●フリーアドレスにしていろいろなタイプの部屋、デスクを用意

出社した人はどの席に座ってもいいように、フリーアドレスのデスクにしてあります。ソファーやテレカンブースを混ぜこぜに置き、小道を分け入り探検するようなワクワク感あるオフィスにすることで、人と人との偶発的な出会いを演出しました。

クローズドな空間で打ち合わせをしたい場合は、会議室や完全クローズドのテレカンブースも準備してあります。家具にはキャスターが付いていて自由に動かせますし、業務の内容に応じて組み替えが可能です。また動画配信に使えるエリアも作りました。

●自分たちで作る「コラボエリア」

ヒノキや杉の間伐材でできた、ブロックのようなパーツを組み替えることで、椅子にも机にも変えられる家具が置いてあるコラボエリアもあります。

設計段階で「こんな場所、作ってもあまり使わないと思いますよ？」と言っていた人もいましたが、実際できあがってみると、意外に多くの人が「一番のお気に入りの場所になりました」と言ってくれます。

この可変可能なエリアには、使い方は社員自らが作り上げてほしい、主体性を持って会社に関わってもらいたいという思いが込められています。

●外部の方も出入り可能なカフェ

今回のオフィス改装は、スタッフのためだけではありません。オープンでイノベーティブなコミュニティを作るための設計でもあるんです。弊社と仕事をしてくださっているライターさんやデザイナーさん、読者の皆さん、書店の方々も含めて、ファンコミュニティを作り続けられる装置でありたいというのが今回のオフィスリノベーションのひとつの目的です。

フロアの中央にはカフェがあり、コーヒーを飲むことができます。外光が入る明るいスペースで、植栽も本物の樹木にこだわり、いい環境でコミュニケーションを取りながらいいものをみんなで作り上げていきたいと願ってのことです。

●リモート時代の利点を詰め込んだ新・人事戦略

―――『ニューワークスタイルプロジェクト』のもうひとつの柱として人事制度の改革もあるとお聞きしています。どんな改革だったのでしょうか。

佐々木　リモートワークが進むにつれ、人事戦略室には各社のスタッフからさまざまな要望が寄せられるようになりました。課題が生まれるたびに施策を考え、設計していったのが新しい人事制度です。

1. リモートワーク手当の支給

2. コワーキングスペースの利用補助

3. 遠隔地勤務制度の新設

4. 退職者の再入社（アルムナイ）制度

5. グループ内ワークシェア制度の新設

リモートワークがメインになると自宅がオフィスがわりになるので、光熱費などの出費が増えます。その補填のために、「リモートワーク手当」で社員をサポートしています。

また、一人暮らしの編集者がずっと家にこもって仕事をしているうちに、だんだん気が滅入ってきてしまうという声がありました。それならとコワーキングスペースの利用を補助する制度の導入を決めました。

一方で、遠隔地に住んでいて東京に転居できないけれど、インプレスグループで仕事をしたいという人がいれば、それを可能にする体制も作りました。

また、退職後に再び社員として戻ってくる人がもともと多かったこともあり、退職者の再入社に関しても一定のルールを設けて受け入れる土壌を整備しました。

グループ内ワークシェア制度も今回新たに導入した人事制度の目玉です。

インプレスグループは中途（経験者）採用の方が多いので、ある事業会社が欲しいスキルを持った人材が、グループ他社にすでにいる可能性があります。

そこで新しいプロジェクトを立ち上げるときに、グループ内で人材をシェアし合うワークシェアの制度を創設し、風通しよく会社間を横断しての助け合いができるようにしました。

外部から人を採用しなくても、グループの中にいるスタッフが一番グループのことをよく理解していますから、メリットは大きいはずです。同時に、別会社のプロジェクトに参加する社員にとっても、自分の属している会社にとらわれることなくいろいろな仕事を経験できるので、スキルや知識をレベルアップできます。

新しい人事制度はスタートしたものの、課題がないわけではありません。例えば、リモートワークで出社しないために、逆に見えにくくなってしまったスタッフの孤立や悩みにどう対応していくかは会社でもまだまだ取り組まなければならない課題だと考えています。

それ以外にも新しい課題が出ることを前提として、スタッフの働きやすさとは何なのか、その都度対応を考えていきたいですね。

●介護離職経験で身に染みた「働きやすい環境づくり」

―――『ニューワークスタイルプロジェクト』は、塚本副社長の過去の介護離職経験がひとつのヒントになったとのことですが、それはどういったご経験だったのでしょうか。

塚本　今から15年前、当時インプレスグループの代表であった父が、頭蓋内血腫で病院に運ばれました。私はそのとき27歳。美術系の大学を卒業し、どうしても入りたかった会社に就職し、当時はまだ先駆けだったUI/UXのコンサルティングを担当していました。

そんなときに父が倒れたとの知らせを受け、それから毎日仕事の合間に病院へ通って体をマッサージしたり話しかけたりして、母と交代で看病を続けました。でもそんな毎日に疲労困憊してしまったんですね。

福利厚生には恵まれていた会社だったので、10か月後に在宅療養に切り替わったときには3か月の介護休業を取らせてもらいましたが、復職して時短勤務になってからも父の介護生活はずっと続いていました。最初の頃は若さで乗り切れたことも、介護生活が2年、3年と続くと、最終的には心身ともに疲れ果てて、追い込まれてしまいます。終わりが見えませんから。

当時は時短勤務中にも、出社が必要な時代。このままでは自分の体がもたないと結局退職する道を選びました。

ただ、20年30年ずっと勤めたいと思った会社、やりがいのある仕事だっただけに、途中で辞める選択が悔しくて悲しくて……。退職日に同僚に「今までお世話になりました」と挨拶していたら、涙があふれてきて言葉が出なくなってしまいました。

会社を辞めて介護だけの生活になっても、自分がこれからの人生でやれることは何なのか、悩んでかなり迷走もしました。そんな日々を経験したからか、好きな仕事と家庭の事情との両立で誰も悩まずに済むようにしたいんです。

父・塚本慶一郎と塚本由紀

家にこもって育児や介護をしていると心が疲れてしまい、気持ちが外に向きづらくなる人もいるかと思います。これまでだったら退職に至っていたケースでも、今のリモート時代なら離職せずに済む方法を一緒に考えることができるはずです。

一人一人にそれぞれの人生の岐路があります。働き方を模索したあの頃の私に「社会との接点は捨てずに必ず保っていなさい」とアドバイスしてくれた人がいるように、スタッフが悩んでいれば会社がサポートできるようにしたい。その気持ちが、今回の『ニューワークスタイルプロジェクト』につながっています。

父は現在車いすで生活し、会話にも支援が必要ですが、そのように重い障害があっても誰もがテクノロジーの力を使って社会参画が可能な時代。私も、家族が寝ているベッドの横でweb会議に参加できるようになりました。今までハードルだったことも、これからはきっと楽に乗り越えられます。経営者の責任として、こういった働き方の多様化を推進していきたいというのが今の私の思いです。

●各会社の独自性を尊ぶグループ文化を土台に成長を続けたい

―――これからインプレスグループはどのように成長していきたいと思っているのでしょうか。

塚本　インプレスグループは、自由を愛する文化をベースに、それぞれの事業会社、それぞれの個人が独自の思いと専門性を持って集っています。

各組織は一見するとバラバラに見えるかもしれませんが、「面白いことを創造し、知恵と感動を共有する」との理念のもと、常に新しい価値や切り口を社会と共有していくための共通のインフラやリテラシー、言語を持っています。

個別の良さを活かしながらまとまるという、難しいガバナンスにチャレンジしてきた試行錯誤の歴史ともいえますが、そのトライアル＆エラーを大事にし続けるグループのままでありたい。そのためにはどうすればいいか、この先も模索していくつもりです。

社内では、今回の『ニューワークスタイルプロジェクト』を「アジャイルだよ」と言ってきました。「アジャイル」とはシステムやソフトウェアの開発手法のひとつで、開発途中に仕様や設計の変更があると想定して実装やテストを繰り返していくことを指します。

今回、ハードとしてオフィスをリノベーションしました。ソフトである人事制度も新しい時代に合わせて整えました。しかしこれが完成形ではなく、ここから寄せられる要望を取り入れて柔軟に対応していく運用フェイズに突入したのだと考えています。

人間だけでなく会社も、年を重ねるほどに変わるのが難しい「硬直性」が生まれます。引越し魔だった父は「いつも変化を楽しむ人間でありたい」という信条を持っていました。その価値観を受け継ぎ、変化を当たり前に楽しむグループとしてさらに成長していきたい。社員ひとりひとりの価値観を活かしきることが、私たちの未来につながっていると信じています。

※2022年3月時点

●インプレスグループ「新しい働き方」