日本をサッカー大国に。日本サッカー黎明期に老舗製薬企業の14代目が拓いた道筋
2024年9月4日 11時00分 田辺三菱製薬株式会社
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プロフィール
14代田邊五兵衞(1908-1972)
田辺三菱製薬の前身である田辺製薬で社長と会長を歴任した14代田邊五兵衞は、サッカー伝来間もない大正時代から、日本のサッカー普及に心血を注ぎました。サッカー日本代表を資金面で支え、関西蹴球協会(現関西サッカー協会)の設立や大日本蹴球協会(現日本サッカー協会)の運営に尽力したほか、実業団チームや少年クラブチームの設立、および女子の選手や審判の育成を通して、日本サッカーの裾野を広げました。また、普及には技術や戦術のほか、ボール、服、用具などを含むサッカー文化全般の振興も重要と考え、世界各地からサッカーに関わる最新の書物や物品を収集し、日本サッカー協会の機関誌などで広く紹介した内容は、現在の日本サッカー界にも影響を与えました。1972年正五位勲三等瑞宝章受章。2005年日本サッカー協会の第1回「日本サッカー殿堂」掲額。
商品・サービス情報
田辺三菱製薬史料館企画展「日本蹴球と田辺五兵衞の系譜」
田辺三菱製薬の前身である田辺製薬で社長と会長を歴任した14代田邊五兵衞(1908-1972)は、日本伝来間もなくのサッカーに魅力を見出し、生涯をかけて日本サッカーの振興に取り組みました。日本代表を資金面で支え、関西蹴球協会(現関西サッカー協会)の設立や大日本蹴球協会(現日本サッカー協会)の運営に尽力したほか、実業団チームや少年クラブチームの設立、女子の選手や審判の育成を通して、日本サッカーの裾野を広げました。その功績が評価され、2005年に日本サッカー協会の第1回「日本サッカー殿堂」に掲額されました。
五兵衞は、サッカーの普及には、技術や戦術のほか、用具などを含むサッカー文化全体の振興が必要と考え、世界各地からサッカーに関わる最新の書物や物品を収集し、考察を加えて日本サッカー協会の機関誌などで広く紹介しました。田辺三菱製薬史料館企画展「日本蹴球と田辺五兵衞の系譜」では、五兵衞が収集したサッカー用品や直筆の考察記録などを通して、現在の日本サッカー界に残した五兵衞の「遺産」をだどることを試みます。2024年9月27日(金)まで。
田辺三菱製薬史料館
2015 年に田辺三菱製薬本社ビル(大阪市中央区道修町)の 2 階に開館した市民向け展示施設。江戸時代から今日まで、345 年を超える田辺三菱製薬の歴史とともに、日本の医薬品産業の中心地として栄える大阪・道修町の歴史や医薬品産業の変遷を紹介しています。「くすりの道修町ゾーン」「あゆみゾーン」「いまと未来ゾーン」の 3 つのエリアで構成され、創業当時の看板など歴史資料のほか、原寸大で再現した明治期の店先や、薬や身体について楽しく学べる3D映像やタッチパネル形式のクイズやパズルなどをご覧いただけます。
開館日:月曜日~金曜日
休館日:毎週土・日曜日、祝日、会社の休日
開館時間:午前10時~午後5時
入館料:無料
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