現在、国内に約3,000万人の患者が存在し、罹患する人が今後も増えるといわれる花粉症。多くの人が苦しみ、生活の質（QOL）や労働生産性を低下させてしまうこの国民病の予防や治療に役立てるため、順天堂大学医学部眼科学講座の猪俣武範医師はユーザーが研究に貢献できる研究用アプリケーション「アレルサーチ®」を開発し、2018年2月にリリースしました。以後、アップデートを繰り返してユーザビリティを向上させるとともに、アプリを経由して獲得したデータを解析し、2021年9月には花粉症の多様な症状を層別化する手法を世界で初めて開発し、学術誌で発表しました。いずれは研究用アプリから治療用・管理用アプリへの進化を目指す猪俣医師。アプリを通じて世界初の試みを次々に打ち出すその視線の先は、「病院中心」の医療から「ヒト中心」の医療へのパラダイムシフトにおいて、アプリが果たす役割にまで及んでいます。

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米国で目の当たりにしたデジタルヘルスの潮流を日本へ

この数年、IT技術やインターネットの発展に伴い、医療現場にもそれらの技術を採り入れるIoMT(Internet of Medical Things)の動きが活発化しています。その中でも医療アプリの分野の進歩は目覚ましく、今や医師がアプリを処方する時代です。猪俣医師は3年間の米国留学中にハーバード大学医学部Massachusetts Eye & Ear Infirmaryでの眼科の免疫疾患の研究とボストン大学経営学部Questrom School of BusinessでのMBA取得を果たした、医師としては異例の経歴の持ち主。猪俣医師が「スマホアプリ」という新しい取り組みを始めたのは、米国でデジタルヘルスの広がりを目の当たりにしたことが背景にあります。2015年に帰国し、翌年にはドライアイや眼精疲労と生活習慣の関連性を明らかにするアプリ「ドライアイリズム®」をリリース。2018年にリリースした「アレルサーチ®」は国立研究開発法人 日本医療研究開発機構（AMED）の研究費助成にも採択されました。

QOLや労働生産性の低下をもたらす花粉症の症状

猪俣医師が「アレルサーチ®」を開発したきっかけは、自身が花粉症で苦しんでおり、「花粉症のシーズンになると、労働生産性が下がるという実感があった」ため。実際、花粉症は国内でもっとも患者数が多い免疫アレルギー疾患で、その症状はアレルギー性鼻炎・アレルギー性結膜炎・咽頭の症状・皮膚炎など多岐にわたり、個人により発症年齢・病気の経過・重症度・治療効果もさまざまです。さらに子ども時代から始まり、大人になった後も次々にアレルギー疾患に罹患する「アレルギーマーチ」を起こすにもかかわらず、複数の診療科を横断する診療連携がいまだに達成されていません。そこで猪俣医師は「スマホアプリを利用することで横断的な情報を集められれば、診断の質の向上に役立つのではないか」と考え、開発に至ったといいます。

「アレルサーチ®」の主な機能には、ユーザーが自身の目をスマートフォンのカメラ機能で撮影すると、目の赤みから花粉症由来のアレルギー性結膜炎の症状を数値化して表示する「花粉症レベルチェック」や、全国のユーザーより集めたデータを日本地図の上に表示させることで、「どの地域に、どれぐらいの花粉症レベルの人がいるのか」を見える化した「みんなの花粉症マップ」などがあります。

国内ではまだ少ない「患者・市民参画」を採用

当初リリースされた「アレルサーチ®」はiPhone版でしたが、2020年8月にはアンドロイド版もリリースすると同時に、iPhone版をアップデート。その際、英国発祥の「患者・市民参画（Patient and Public Involvement）」という考え方を採用しました。

これは医学研究の一環で研究者が自分たちにはない新たな視点や価値を獲得するため、患者さんや市民の知見を参考にするもので、患者さん側にも疑問を解消し、アプリの使用感を向上させるメリットがあります。2020年初頭から始まった猪俣医師の「患者・市民意見交換会」は2年間で9回を数え、「プレスリリースの言葉をもっと患者・市民にも理解しやすくしてほしい」など、ユーザー目線のアドバイスを受けて研究計画の策定にも役立てています。

他にも耳鼻咽喉科やアレルギー科など、眼科以外の診療科の医師が新たに研究チームに加わり、それぞれの診療科の意見をアプリに採り入れるなど、進化を続けています。さらに、2021年3月には「アレルサーチ®」の研究に協力していただいたユーザーに、デジタル通貨による謝礼金支払いシステムを導入。これはより広く、患者・市民の意見を採り入れるための世界初の試みです。

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「多くの方が苦しむ病気にアプリを届けたい」

猪俣医師がここまで患者・市民の目線を大切にするのはなぜなのでしょうか。

花粉症は日本国内でも約3,000万人いるほか、世界中でも多くの患者さんが苦しめられている病気です。猪俣医師はこのように語ります。

「私たちは多くの方が苦しんでいるにもかかわらず治療法がない病気に対して、アプリをお届けしています。実は国内で患者・市民参画を採り入れた研究はほとんど例がありません。その点、臨床研究中核病院である順天堂医院は、いち早く患者・市民参画の取り組みを始め、院内では勉強会も開かれています。もちろん、意見交換会に参加されない大多数のユーザーさんにとっても、『みんなの花粉症マップ』をチェックすることで自分の住む地域の花粉症の様子がわかったり、ダイアリー機能を使ってご自身の花粉症の症状を記録し、翌年の予防や治療に活用していただくなど、予防行動や自己管理にご活用いただけます」

データ解析による成果も！～アプリが変える医療の未来像～

猪俣医師らの研究グループは、「アレルサーチ®」で収集されたデータを活用した研究成果も発表しています。ユーザー11,284名を対象に花粉症のさまざまな症状と特徴を検証した結果、10のクラスターに分かれることがわかりました。

10のクラスターとは、鼻水・鼻づまりなど鼻の症状が強いグループ、目のかゆみ・充血や耳や口のかゆみなど鼻以外の症状が強いグループ、そして全ての症状が強く出るグループなどで、多様な症状を持つ花粉症をグループ分けできたのは世界で初めて。この成果を活かすことで、将来はグループごとに、より的確な医療を提供できる可能性があります。早速「アレルサーチ®」にも、ユーザーが自身の花粉症のタイプを知ることができる「花粉症タイプの見える化」機能と、タイプごとの「おすすめの花粉症対策提案」機能を追加し、2022年1月にリリースしました。

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数万人規模のデータを比較的短期間で収集できるのもアプリを使った研究の大きなメリットです。通常の臨床研究では100人のデータを集めるのにも苦労を伴いますが、アレルサーチでは約3年間で3万人以上のデータを集めることができました。

現在は花粉症の重症化因子についても、解明を進めているところです。こうした成果が全てスマホアプリのビッグデータの解析により生まれたということは、今後アプリが患者と医師の新しいつながりを生み出す可能性があると示唆しています。

「国が目指す未来社会Society5.0では、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させた社会を謳っています。医療も同じで、人工知能などを介して新しい価値を人々に届けられる時代がいずれ来るでしょう。人々が普段から持ち歩いているスマホなどのデバイスから、日常的に生体情報や患者さんの自覚症状を収集することで、これまで病院へ行かなければ診療を受けられなかった時代から、人中心、患者・市民中心、日常生活中心の医療へのパラダイムシフトを加速することができると私は考えています」

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