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「今度こそ諦めない」崖っぷちから"花×IT"で起業した、あるエンジニアの創業ストーリー

#創業ストーリー  #エンタメ  #IT

2020年12月25日 10時00分 株式会社Sakaseru

2015年10月14日に起業した株式会社Sakaseru。運営するオーダーメイドフラワーサービス「Sakaseru」は、これまで2万個に迫る数のフラワーギフトを販売してきました。

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メインターゲットはファンから演者への公演祝い花。緊急事態宣言が発令され、公演が全面的に中止となった2020年5月ごろには、経営的な苦境に立たされ ました。

しかしながら、同年10月現在、売上は回復しつつあります。公演が一部再開されているということもありますが、別の販売経路の戦略が功を奏したこと、また新たなWebサービス「minsaka(ミンサカ)」のリリースも売上回復に大きく関わっています。


その回復の経緯が示すとおり、新型コロナの渦中にあっても、Sakaseruの社内は必要以上に沈むことはありませんでした。それは創業者であり、現在も代表取締役を務める小尾龍太郎がまったく諦めていなかったからです。


小尾はこれまでの人生で、挫折と諦めを数多く経験するうち、Sakaseruでは「今度こそ諦めない」という強い信念を持つようになっていました。

そんな、波乱ばかりの人生にまつわる創業ストーリーをお届けします。

ゲーム作りから始まるエンジニアとしての自分

そして第一の挫折


Sakaseru代表の小尾は、幼い頃から技術的なものに触れていました。

初めてプログラミングに接した理由は、「ファミコンが買ってもらえないから」。


小尾:

「ゲームを買ってもらえないなら、自分で作ろうと思ったのがプログラミングに触れたきっかけでした。

僕が子供の頃は、ファミコンが大人気だったんですが、僕の家は厳しくて、家であまりゲームをやらせてもらえなくて。おもちゃ売り場でゲームをずっと眺めている様な子供でした」


小学生の小尾が初めて作ったゲームは、Pongと呼ばれる、卓球の様なゲームのコピー。使ったのは初心者向けのプログラミング言語である「BASIC」でした。

買ってもらわなくてもゲームが出来る、という体験に、小尾は感動します。


小尾:

「そこからものづくりの楽しさに目覚め、小学校高学年の頃には、既に『エンジニアとして生きていきたい』と考えるようになっていました」


当時の小尾はパソコン関連雑誌を片手に、書いてあるプログラムのコードをひたすら書き写し、独学で試行錯誤を重ねました。一文字でも間違えると正常に動作しない、その難しさ……悪戦苦闘しながらも、更にのめり込んでいきます。

中学生になった小尾が新たにC++言語を学ぶうち、今度は携帯電話が普及し始め、iアプリと呼ばれる携帯ゲームが世の中に登場し始めます。


小尾:

「それまでゲームと言えば、家庭用ゲームやゲームセンターが主流でしたが、携帯電話の普及で手のひらサイズで遊べるようになりました。更に、一個人がプログラミングしたゲームが、誰もが持っているデバイスで遊べる環境。未来を感じました。ワクワクした思いでプログラミング書籍を買い、僕もiアプリゲームを作り始めました」


そして、その頃学んだ技術をもとに、小尾は今後の人生に関わる、二つの大きな出来事を体験します。

まずは高校入学後、当時創業されたばかりの株式会社ドワンゴに、アルバイトとして入社したこと。


小尾:

「当時、携帯電話はこれからのゲームのあり方を大きく変えると信じていました。そして、携帯ゲームを精力的に作っていたのが、ドワンゴでした。しかも驚くことに、過去勉強するために購入したある二冊の本の著者が、二人共ドワンゴで働いていたんです。

これはもうドワンゴで携帯ゲームを作る以外の選択肢が無いと思って、自分の書いたソースコードを何百枚も印刷してドワンゴに持っていきました。今思えば汚いコードでしたが、将来性を買って頂いたのか、運良く入社出来ました」


しかし、ここで小尾は強烈な挫折を経験します。

これが小尾の人生を変えた二つ目の出来事でした。


小尾:

「ある日僕のコードを見た先輩から、無言で今まで彼が書いてきたソースコードを渡されました。そのコードを見た瞬間、自分のコードがまるでゴミのように思えました。

先輩たちのコードは洗練され、汎用性があり、シンプルで美しい。僕は独学でプログラミングの技術を会得した自負がありましたが、『笑わせるなよ?』と先人のコードに一蹴された気分でした。

技術書を出版するレベルのエンジニア。プログラミング言語のコミッター。僕とは次元の異なるエンジニアしか居ない環境の中、自分自身の存在価値が無いように思えてしまいました」


埋めようがないように感じられるほどの、レベルの差。しかし、その時の小尾に光を与えたのも、やはりドワンゴの先輩の一言でした。


小尾:

「『小尾は歌って踊れるエンジニアになると良いんじゃない?』と言われたんです。その言葉を聞いた瞬間に、エンジニア一本で生きていくことは辞めようと決めました。

先輩たちのようにプログラミングを極められなかったとしても、例えば人と上手くコミュニケーションを取ったり、足りない能力を別の能力で補完すれば良いのだ。そう思うことが出来たんです。

現に、先輩たちのように美しいコードでなくても、僕の作ったゲームにお金を払い、喜んで遊んでくれる人がいる。自分の技術は、自分自身、そして喜んでくれる人のために活かそうと決めました」


運命の出会いと第二の挫折


お世話になったドワンゴを退職した後、小尾はIT企業を転々とすることになります。しかし、一つ一つの会社は、長続きしませんでした。


小尾:

「プロダクトが良くない。会社の体質が良くない。外部環境のせいにして辞めることばかりでした」


最後にお世話になった企業、株式会社mixiを退職する時、ふと危機感を覚えます。


小尾:

「このままではヤバい大人になりそうだと思いました。だからmixiを辞める時に『もう少し格好いい大人になろう』と決めたんです」


そんな思いを持ちながら、小尾はフリーランスのエンジニアへ転身しましたが、仕事はなかなかうまくはいきませんでした。過去の会社で人脈を築くことができていなかった小尾は、仕事のあてが見つからなかったのです。


仕事が見つからないまま半年も経った頃、見かねたドワンゴ時代の先輩が、ある歌舞伎町の花屋さんを紹介してくれました。

それが後にSakaseruの共同経営者となる、歌舞伎町の花屋社長の西山さんでした。


小尾:

「当時、西山さんは、店内のオペレーションを効率化することで、更に高い売上を得たいと考えていました。効率化にはITが必要だと分かっていたものの、エンジニアのつてがない。そこで、僕を紹介してもらえたんです。

僕は紹介を受けたその日のうちに話を聞きに行って、すぐシステム開発の依頼がまとまりました」


西山さんと共に小尾は実際の現場を何度も見に行き、ヒアリングとシステムの改良を重ねました。できあがったのは営業から納品、撤収までのオペレーションを効率化した営業管理システム。


小尾:

「システムの導入は大成功でした。売上は毎月伸び、西山さんは『ITってすげー』と言ってくれました」


そんなある日、小尾は新宿の酒場で西山さんから提案を受けます。


小尾:

「『歌舞伎町は大変な街だから、もう少しクリーンな街で商売をしたい。折角小尾さんと出会えたのだから、一緒にやらない?』と。握手をして、一緒にやることを決めました。自分の持つテクノロジーの価値が西山さんに認められ、非常に嬉しく思っていました。

因みに、クリーンな街ってどこ? と西山さんに聞くと、六本木! と答えたので、思わず笑ってしまったのは良い思い出です」


言葉の通り、西山さんと小尾は、六本木に一風変わったフラワーショップ「フラワーキッチン」を立ち上げます。

従業員はシェフのような格好、内装もキッチンのような雰囲気で。ラッピングと色味、そしてサイズを選ぶだけでお花を買える、というお店でした。

その注文の手軽さはオンラインでもそのままに、WEB上でもいくつかの項目を選ぶだけで注文が可能でした。

今までにない、まったく新しい花屋。


▲ 六本木にあったフラワーキッチンの店舗


しかし現実は厳しく、新店舗は少しずつ立ち行かなくなっていくのでした。


小尾:

「店をうまくいかせるために、様々な方法を考え、試しました。自分たちの店を知ってもらうために、店の案内で包装したガーベラを数万本、道端で無料で配るなんてこともしましたし、SNS上での広告も打ちました。でも、店は毎月赤字でした。

店の内装の釘打ちやタイル張り。什器の購入や制作。西山さんと僕を含めた全メンバーで作り上げた店だったので、毎月の赤字は気持ちの部分でもきつかったです」


代表である西山さんはフラワーキッチン継続のため、経営者として資金繰りに傾倒します。新店舗設立から二年、赤字の無くならない状況で、ついに西山さんから小尾へ、店を畳む打診がされました。


小尾:

「西山さんはものすごく頑張ってくれました。僕もそれはよくわかっていて、でも『また辞めてしまってはこれまでの自分と変わらない』と感じていました」


小尾は、mixiを辞める時に決めた"格好いい大人"になるために、ここで諦めるわけにはいかなかったのです。

そんな時、ふと小尾の目に入ったのが三ヶ月間のインキュベーションプログラム・KDDI∞ラボの募集でした。


小尾:

「僕は『これに応募して、駄目だったら辞めないか』とお願いしました。

西山さんは『じゃあ、あと三ヶ月だけ』と」


KDDI∞ラボは三ヶ月間、イノベーションを望む大企業とスタートアップがパートナーとなり、ビジネスを作り上げていくプログラムです。応募のためにはプログラムの中で育てる、種となるビジネスのアイデアが必要でした。


小尾:

「それが今のSakaseruの前身となるアイデアでした」


そうして崖っぷちの状況で応募した結果は、選考通過。

怒涛の三ヶ月が始まったのでした。

第三の挫折、そして起業へ


小尾:

「三ヶ月間のプログラム中は本当にハードでした。毎週プレゼンのテーマが決められ、KDDIの方や、ベンチャー企業の第一線で活躍される起業家の方々にプレゼンをするのですが、ボロクソに言われる事も珍しくなかったです。毎週プレゼンの日は前日から気が重かったですし、早くこの辛すぎる日々が終わらないかな、そんな風に考えていました」


プログラム期間中、小尾も西山さんも疲弊していきました。


小尾:

「プログラム自体もとても大変でしたが、それ以上に印象に残っているのは、西山さんとの仲がとても悪くなってしまったことです。お互いのスキルと環境とのミスマッチが大きくなってしまって、その亀裂が僕たちの関係にまで及んでしまいました。最初は言い合って喧嘩もしていましたが、次第に口もきかなくなるような、最悪の状態になってしまいました。それまですごく仲が良かった分、強く記憶に残っています」


仲の悪くなってしまった相棒と共に過ごす、ハードな三ヶ月。

しかし、その甲斐あって、"Sakaseru"を形にすることができたのでした。


小尾:

「KDDI∞Laboに応募した当初のSakaseruのアイデアは、手数料の安い、花屋さんの手軽なプラットフォーム、というイメージでした。ジャンルは違いますが、今で言うSTORESさんのような、誰でも簡単に登録できてネット販売できるようなものです。

でもそれだけではお花屋さんの幸せは実現できないのではないか、顧客ニーズに答えられないのではないか、という指摘を受けて、プログラム中は事業ついて徹底的に考え抜きました」


結果、花屋さんからの手数料は固定、オーダーメイドの花をお客様に提供する、今のSakaseruに近しいサービスに変化していきました。

定形化されたカタログ販売が一般化している上、プラットフォーム手数料が驚くほど高い――、その当時の花き業界への疑問をもとに作り上げた、新たなサービスがSakaseruだったのです。


▲ ∞ラボでの小尾(左から2番目)


しかしそのスタートも、芳しいものではなく。


小尾:

「KDDI∞Labo最終日には、渋谷のヒカリエで約700人を前にプレゼンをしました。メディアにも取り上げられ、一気にスターダムの階段を登れるのでは無いかと、当時は勘違いをしました。

実際は月の売上は10万円にも満たず、赤字を増やすだけでした。Sakaseru開始数ヶ月で、西山さんから『これ以上資金は持たない。もうSakaseruの事業は続けられない』という話をされました」


3ヶ月間必死の思いで作ったSakaseruを、ただクローズするのが嫌だった小尾は、事業売却をしたいと願い出ました。


小尾:

「今思えば、赤字が出ているプロダクトの将来性だけを買ってくれ、と言ってもそれは無理があります。様々な会社に売却の打診をしましたが、当たり前のように断られました。

とある会社に断られ、売却が絶望的になったある時の帰路、西山さんに『売るなれば1円でも売るからね』と言われました。僕は考えて、考えて……やはり、Sakaseruを諦める事が出来ませんでした」


固定費ばかりがかさんでいく毎日。それでも、辛いKDDI∞Laboの期間を乗り越えて作り上げた"Sakaseru"というサービスを辞める選択は出来ませんでした。


小尾:

「Sakaseruの開発運営にかかってきた費用は全部僕が西山さんに払うので、譲渡してくれないか。そのようにお願いをしました。西山さんは、『Sakaseruは小尾さんがやったほうが絶対いいよ。費用は要らないから、頑張って』とSakaseruを僕にくれました。

西山さんの男気、気概に触れ、心から感謝しました」


2015年10月14日。

小尾は、自らを代表に株式会社Sakaseruを設立しました。

現在とこれから、

変わったものと変わらないもの


2020年現在、Sakaseruは毎日お客様からご注文を頂いています。

大きな契機となったのは、2018年頃、公演祝いの花にターゲットを絞った経営判断でした。


小尾:

「公演祝いのお花を望むお客様を見つけて、Sakaseruのお花に合うお客様だと思いました。オーダーメイドのこだわったお花、という、Sakaseruがご提供しているものに、"ファン"のお客様は本当にぴったりでした」


またそのお客様たちと接する中で、小尾の気持ちも企業当初とは大きく変わっています。


小尾:

「幸せにしたい人がお花屋さんからお客様へと完全に変わりました。

金銭やプロダクトの方向性について、Sakaseruの考えるお花屋さんの幸せと、登録するお花屋さんの幸せは必ずしも一致しないことが分かったこと。

公演のお花のオーダーが増え、Sakaseruのファンが増え、Twitter上でそれが目に見えるようになったこと。

そうしてお客様が喜んでくれている様子を見ていて、『この人たちを幸せにしたい』、という気持ちが自分の中でより強くなったことが理由です」


ドワンゴ時代に誓った「自分の技術は、自分自身、そして喜んでくれる人のために」。小尾にとって、お客様が何より大切な存在になったのでした。


小尾:

「今後は”花”という制約を越えて、『ファンの思いを届ける』事に、よりフォーカスします。

コロナの前も、実は少しずつ花を贈れる公演やイベントは減少傾向にありました。それがコロナで少し早まっただけだと解釈しています。

だとすれば、僕たちがやるべきは『お花が贈れなかったとしても、ファンの想いを届けられる仕組み』を提供することです」


またその構想を本格的に始めるならば、小尾は自分たちだけではやっていけないだろう、と言います。


小尾:

「他社さんとのコラボレーションや業務提携を積極的に進めたいと考えています。芸能事務所のような、"ファン"に近しい存在はもちろん、Sakaseruの様にファンの基盤を持ったプラットフォーム。或いは、まったくの異業種の企業とも協業することで、きっと様々なことができるようになるはずです」


二人で初めた"Sakaseru"は、小尾一人になり、数名の社員を得て、これから更に飛躍を遂げていきます。


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