離婚しても子どもにとって親はふたり。「りむすび」で叶えたい共同養育が当たり前になる社会

#共同養育  #シングルマザー  #創業ストーリー

2020年11月10日 13時00分 一般社団法人りむすび


一般社団法人りむすびでは、離婚後も親がふたりで子育てを続ける「共同養育」の大切さを発信、サポート事業を展開しています。代表である私、しばはし聡子自身が離婚の経験者。共同養育が子ども、親双方にとって必要なことだと実感しているひとりです。

今回は、創業に至るまでの経験、「りむすび」への想いについて語ります。


子どもは両方の親に会いたい。気づかされた面会交流

 

離婚後、顔を合わせたくない両親の間に入り、面会交流の支援をする活動があります。そこでお子さんをお父さんに会わせるためのお手伝いをしたときの経験が、今の私につながる大きなきっかけとなりました。

 

待ち合わせ場所に来られたお母さんは、顔をこわばらせ、とても嫌そうな表情をされていて。連れてこられていたお子さんも、こわばった表情をしていました。

 

でも、お父さんに会った瞬間、そのお子さんがとてもいい笑顔になったんです。お子さんに会えた嬉しさからか、お父さんもとてもいい表情をされていました。

 

当時、私は離婚して1年。

離婚をしたらひとり親になるとは思っていなかったものの、元夫への拒絶心が根強く、「子どもの親」としてうまく関わることができずにいました。

 

そんな私とお母さんとが重なり、「愛する子どもを苦しめているのは、私自身だったのだ」と気付かされました。その後、自分から元夫に「子どもをご飯に連れて行ってあげてください」とメールを送れたのです。

 

40歳を目前に離婚。盲点だった「親」としての元夫との関わり継続

 

私と元夫との離婚は、当時小学4年生だった子どもにとって青天の霹靂でした。長らく不仲だったわけではなく、夫婦間のトラブルをきっかけに別居が決まり、調停を経た半年後には離婚が決まる急展開だったためです。

 

父親が家を出ていったとき、子どもは「ママは悪くないよ」など、私をかばう発言を繰り返してくれていました。父親としては完璧な人で、子どもとの仲も良好だった元夫。夫婦間トラブルでそんな父親との関係が突然断ち切られそうになってしまった子どもには、今思うと申し訳なかったなという思いでいっぱいです。

 

父親として問題がない夫の場合、子どものために結婚生活を維持する選択をする女性も少なくないでしょう。そのようななか、私が離婚に傾いたひとつのターニングポイントは、「もうすぐ40歳」という年齢でした。はたと今後の自分の人生を考えるようになり、「この人とこのまま老後も含めて一緒にいられるのだろうか」と疑問が湧いたのです。この疑問が、一歩を踏み出す後押しとなりました。

 

調停を経て、離婚が成立。「これで彼と関わらないで済む」と思っていました。これで晴れ晴れ、一件落着。しかし、そうではありませんでした。調停が終わると、連絡を取り持っていた弁護士もいなくなります。残っているのは、調停で交わした「月に1~4回の面会交流」の約束です。「あれ、面会交流の約束を果たすためには、彼と関わりつづけなければならないの?そんなの教わってなかった!」と衝撃を受けました。

 

面会交流自体は、別居期間中も渋々行っていました。父親に会わせたくないわけではない。でも、元夫への嫌悪感がとにかく強くて。彼が家に子どもを迎えにくるたび、私は耳をふさいで聴こえないふりをするなど、不安定なそぶりを子どもに見せてしまっていました。子どもは、そんな私を気遣い、そっと出て行っては静かに帰ってくる状態。前向きに父子を会わせてあげられない、「お父さんに会ってきていいよ」と言い出せない。そんな状態が、別居から1年半くらい続きました。当時は、元夫から連絡がくるのがとにかく怖くて。メールも見られない、見ても長文メールに圧倒されてしまい返信ができない。そんな有様でした。


「怖い」と思っていた感情が夫への怖さを増幅させたのかもしれない


気持ちに少しだけ変化が出てきたのは、私自身が前を向けるようになってきてから。「話し合いがちゃんとできていたら離婚に至らなかったのかもしれない」という思いが湧き上がってきたこともあり、離婚を迷っている人たちの相談に乗り、離婚せずに済む解決策を見出す支援ができるのではないかと思うようになったのです。

 

そこから、将来的な独立も視野に入れた上で、夫婦離婚カウンセラーの資格を取得。独立を目指した裏には、「元夫を見返したい」思いもありました。

 

新卒後の約20年間、私は会社員として広報や秘書の仕事をしてきました。当時から独立に興味を抱いてはいたのですが、私の性格を知っている元夫は「起業や独立はメンタルがやられるからやめておいたほうがいい」と忠言。彼の希望が「会社員でいてほしい」だったことに加え、私自身も独立に自信があったわけでもなかったため、反対を押し切ってまで羽ばたくことはできなかったのです。だからこその、「見返したい」でした。恵まれた職場だったことも、会社員でいつづけらけた理由です。それでも、「人生は1回きりなんだから!」と飛び出したわけなのですが。

 


ただ、無謀なチャレンジをしたわけではありません。家計の見直しを行い、元夫にも「これからも子どものことは引き続きお願いします」と独立を報告しました。元夫は養育費の支払いを滞らせたこともなく、万が一、私が事業に失敗しても子どもが食べることに困ることはない。ここは決断するに当たり大きかったですね。

 

独立の報告は、中1になっていた子どもにもしました。そのとき、流れで「離婚当時、正直どう思っていた?」と聞いたんです。すると、「最悪だった」と言われてしまいました(笑)。「あんなにめそめそされていたら、パパに会いたいなんて言えるわけがない」って。そうか、そうだよねと思いましたね。子どもは、夜に隠れるようにして泣いていたことがあります。それでも、一度も私を責めることはありませんでした。このとき、子どもが本音を言ってくれて本当に良かったと思っています。

 

時が流れ、子どもは高校生になりました。今では自分のスマホがあるので、父親と直接LINEでやりとりをし、月に2回ほど泊まりに行っています。ただ、男同士やり取りが雑なもので、私が裏で元夫に予定を確認する羽目になっているのですが(笑)。子どもの写真を送ったり成績表を送ったり、元夫からはお米など食べものが送られてきたり。離婚前よりもいい関係を築けているんです。

 

面会交流の仲介ボランティアでの気づきをきっかけに、思い切って送った元夫へのメール。あのメールから、彼との膠着した関係が一気に氷解しました。子どもの様子を伝えるメールに、彼からは「ありがとう」の言葉が返ってきます。武装した状態から、平穏なやり取りに変化しました。

 

あとになって、まともに読めていなかったメールを見返してみたことがあります。すると、あんなに「怖い」と思っていた文面は、案外いつもの彼の文面と変わりがなかった。もしかすると、「変わった」のは彼ではなく私だったのかもしれない。私が「怖い」「嫌だ」と思いつめていたことが、悪循環を生んでいたのかもしれない。そう思ってもいます。


 

「りむすび」の活動について

 

ご相談に来られる方利用者の多くは、「子どもに会わせてもらえなくなった」親、特にお父さんです。ここ最近では、「共同養育をするから離婚をしたい」というお母さんの数も増えてきました。。 

活動前、私は「子どもにまったく会えない親」の存在を知りませんでした。昔の私のように、嫌々ながらでも面会交流をしているのだとばかり思っていたのです。しかし、面会交流の学びを深めるために「子どもと会えない親たちの団体」に出向いたとき、そうではないことを知りました。

 

そこには、「妻が子を連れて出てしまい、居場所もわからない」「裁判で決まった交流が写真のみだった」と、本当に「会えない」人たちがたくさんいたのです。そして、そうした方たちから「世の中を何とか変えてほしい」という期待を寄せられました。

 

立ち上げ前は「できれば離婚を避けたい夫婦の支援を」と思っていましたが、予想以上に「子どもに会わせてもらえない」ケースの深刻度が深く、これは社会問題だと感じたのです。本格的に活動に取り組んでいきたいと思ったできごとでした。


 

りむすびがまず行っているのは、葛藤を下げることです。「会わせてもらえない」と訴えている親、主にお父さんたちは、「会えない」悲しさが怒りに変わり、こぶしを思いきり振り上げている状態に陥っています。ただ、妻が家を出たのは夫と一緒にいるのがそれほどまでにつらかったから。そして、子どもを連れて出たのは子どもを置いていけない親心からです。そんな妻に怒りに身を任せた状態で詰め寄っても、状況は悪くなるばかり。一番叶えたいはずの想い、「子どもに会いたい」を叶えられるはずはないのです。

 

だから、まずは「相手の不満を理解するところから始めてみませんか」とお話をしています。お父さんたちの多くが、なぜ妻が子どもに会わせてくれないのか、黙って家を出ていってしまったのか、実はあまりわかっていないのです。「あんなに家事も育児も手伝っていたのに」「海外旅行にも連れて行っていたのに」、なのに「なぜ?」と。一方、お母さんは「あのときのあれが嫌だった」が積もってしまった結果、「もう嫌だ」となっている。双方の見ている先が異なりすぎてしまい、葛藤ばかりが大きくなってしまっているのです。


「こういう親だから会わせない」と親が勝手に決めてしまうことは間違っていると思っています。それは、本心では「両親に愛されたい」と願っているはずの子どもにとって幸せな決断ではない。子どもの自己肯定感を損なわないためにも、また、「会わせない」判断を下した親を恨むような悲しい思いをさせないためにも、「会える」土壌を作ることは非常に大切。ただし、子どもに直接被害が及ぶおそれがある場合は、更生プログラムなどに繋いだり、面会交流時に仲介支援者が同席したりといった対応を取っています。

 



りむすびの「共同養育」の活動は、立ち上げ当初SNSやブログなど、インターネット上で数々のバッシングを受けました。Twitterで「離婚後の母子を逃がしたり守ったりする支援はあるけれど、共同養育に向き合う支援はない」と投稿したら、女性の反発を受けて炎上。また一方で、「妻が子を連れ去ったんじゃない。連れて出ざるを得ない状況だったんだ」と母側の気持ちを書くと、男性の反発を受けてまた炎上。手の先から血の気が引く経験を何度も繰り返し、生きた心地がしませんでした。

 

ただ、それでも正しいことをやっている自負がありました。そして、活動に共感し、応援してくれる人たちにも恵まれました。「子どもに会う権利は争って勝ち取るものじゃない。追い詰めて争うとかえって悪循環を生む」と発信し続けた結果、2年前頃からようやく叩かれなくなりました。りむすびのスタンスを貫き続けた結果、辿り着けた変化です。

 

私、応援してくださっている人たちから「鉄の女かと思った」と言われたことがあるんですよ。「こんな恐ろしいことに踏み込めるなんて」と。でも、実際の私は豆腐メンタルのふつうの女性。たびたび泣きながらも続けてこられたのは、自分の信念と応援し続けてくれた方がいたからです。


「りむすび」のロゴは、実はあしながおじさんが作ってくれたものなんですよ。ブログに「こんなイメージをしているんです」と上げた絵を見て、illustratorで見知らぬ人が作ってくれたんです。そのロゴを元に手を加えて作っていただいたものが、今のロゴです。その方には、3年の時を経てお会いできました。ほかにも、誤字脱字をチェックして教えてくれるお父さんなど、周りの方に助けられながら活動を続けられています。


仲間に支えられながら共同養育の取り組みを進めています

 

離婚の検討に入るときには共同養育を前提に。これからも発信を続けていきます

 

独立前から名乗り始めた「りむすび」。当時、かなり迷って決めた名前です。新たな関係を築くという意味から入れたかったのが「り」。復縁という意味ではなく、親同士として、また親と子の再統合、さらには再婚も含め、関係を新たに「むすぶ」で「りむすび」としました。もうひとつ、私の子どもの名前に「結」が入っていたのも名づけの理由です。

 

立ち上げ当初は、自信がなくて名乗るのが恥ずかしかったのですが、今では私の名前より「りむすび」が羽ばたいてくれていることを、非常に嬉しく思っています。

 

りむすびを始めた当初、共同養育はメディアに取り上げられてはいませんでした。しかし、現在では徐々に取り上げられ始め、りむすびも取材をお受けしています。国策はまだひとり親支援が中心で、共同養育の後押しはまだ期待できないのが現状です。国を動かすため、今できることは民意を動かすこと。共同養育は子ども、親双方にメリットがあるものです。ようやく種から芽が出て広がり始めたこの動きを、全国で花開くよう活動し続けていきたいと思っています。

 

また、次世代にも共同養育について知ってもらうことで、離婚が頭をよぎったときには、同時に共同養育について考えることが当たり前になる価値観を醸成できればとも考えています。離婚=片親で子育てではなく、離婚=共同養育が前提になれば、最低限のダメージで離婚できる。これからも、「離婚後もふたり親」を発信していきます。

 

子連れ離婚が頭をよぎったり別居離婚後の子育てでお悩みの方がいらっしゃいましたら、おひとりで悩まずにパパもママもぜひご相談ください。


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しばはし聡子著・マガジンハウス発行