「出戻る時の方が、転職する時よりずっと覚悟が必要でした」
そう語るのは、2020年2月に12年間務めた株式会社ジオコードに「出戻り」をした広報・加藤康二さんです。8人目の社員として入社した同社を離れ、2019年7月某上場企業に転職し、PRマネージャーを務めた7ヵ月後に復帰されました。
広報・PRパーソンにとって、出戻りは珍しい事例です。長年務めた古巣を離れた理由、そして古巣に戻った理由。その決断の背景には、どんな想いがあったのでしょうか。
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企画書を作り立候補。広報未経験でも想いは誰より強かった
ーー加藤さんの「広報」としてのキャリアは、ジオコードから始まりましたよね。どのような経緯で広報担当になったのでしょうか。
広報のキャリアは、2014年からスタートしました。当時、会社の情報を社長がブログでたまに発信していたものの、専属の広報担当はいなかったんです。
社内には、他の会社が取り組んでいないユーモアがある活動が盛んで、たくさんの面白いネタがあるのに、本当にもったいないと感じていました。
そう思った時には、体が動いていましたね。
ーー想いと同時に動かれたんですね。どのように動かれたのでしょうか?
「自分が広報担当になったら取り組むこと」を書いた企画書を勝手に作り始めました。そして後日、企画書と共に「自分が広報をやります」と、全社に向けて立候補をしたんです。社長にも認められ、正式に広報担当になりました。
誇れる良い会社なので、いろんな人に知ってもらいたい。純粋にその気持ちだけでした。想いは誰よりも強かったですね。
ーー会社を盛り上げるために、「広報」になろうと思われたということは、もともと勉強されていたんですか?
いえ、全くしていませんでした。
社会人経験を積むなかで、業界や関心のあるテーマについて学ぶために、テレビや新聞を意識して見るようになりました。「それらに取り上げてもらうにはどうしたら良いのか?」という疑問も持ち始め、調べたところ、広報という職種に出会いました。
ーーあの『サッカー休暇』は、広報になられてすぐ手掛けられたんですよね。
そうなんです。メディアへのアプローチ方法もわかっていなかった時期でした。
ただ、入社当時はSEOディレクターを担当していたので、作成したコンテンツを検索エンジンにヒットされやすくする技術を多少持っていました。その強みを活かして、社長のブログで『サッカー休暇』(※)について発信してみたらどうだろうと思ったのが始まりで。
まずはブログを書いて反応を見てみようくらいに考えていましたが、2日後に新聞記者さんに見つけてもらい、取材していただいたんです。紙面に掲載してもらったことを機に掲載・放映ラッシュにつながり、2週間でNHKからフジテレビまで全局12番組、新聞7紙、9つの記事で紹介されました。
(※)ワールドカップ杯やオリンピックの時だけに発令される、ジオコード独自の特別な休暇制度。
ーーSEOディレクターで培った経験が結びついた事例だったんですね。
BtoBの無名の企業を知ってもらえるきっかけになったのは嬉しかったですね。記者さんの立場になったとき、この時期にどんなキーワードでWeb検索するかな?と時間をかけて考え、そのキーワードを盛り込んだコンテンツだったんです。本当にラッキーであり、作戦通りでもありました。
居心地の良い環境を離れ、新たな経験を求めて転職
ーーでは長く働いた企業から転職したきっかけはなんだったのでしょうか。
違うフェーズの広報・PRを経験し、レベルアップしようと転職を決意しました。自由に活動できて居心地の良い環境から抜け出して、もっと成長したいと思ったんです。
さまざまな企業を検討しましたが、最終的には上場企業で、広報PR経験が豊富な上司がいる企業に決めました。転職をしたのは、2019年7月ですね。
私はジオコードの8人目のメンバーだったので、これまで全員の退職を見送ってきました。
社長から「送り人」と命名されていましたが、その役目も卒業となりました(笑)。
ーー12年務められた企業から心機一転。転職してみてどうでしたか。
これまでひとりで広報を担当していたので、広報に知見や経験のある上司(副社長)の存在は大きかったですね。迷いや悩みがある時には、適確にアドバイスがもらえる、非常に仕事がしやすい環境でした。
入社したばかりの頃は、上場企業のトンマナが理解できていなく、プレスリリースを出した時に、IR担当から連絡が入り怒られたことがありました。苦く学びが深い思い出です。
株価や株主にも意識して、企業価値を高めるためのコミュニケーションを徹底的に考えましたね。
進み続ける“古巣”への出戻り
ーージオコードを辞める決断は大きかったと思いますが、出戻りを考え始めたきっかけはなんだったのでしょうか。
転職して数ヵ月が経った時、転職先のサービスとの連携をジオコードのシステム部長から打診されたんです。後日担当者と、退職して初めてオフィスに行くと、なぜか人事責任者でもある当時の上司や役員が同席していまして。
打合せが終わった後の雑談や、その後も何度かコミュニケーションを重ねるなかで、キーマンとなる人が入社されていたり、社内の課題がどんどん解決されているのを知り、ジオコードの勢いや変化を感じたんです。
同時に、これから転換期を迎えること、その中で広報が必要だということも随所から伝わってきました。「上場」という言葉は一切誰からも聞かなかったものの、確実に直近で控えているんだろうなということは十分に察することができて。ずっと目指していた目標を一緒に迎えたい気持ちがふつふつと沸いてきたんです。やはり12年もいたので、愛着があったのも事実です。
業務委託での関わりも検討しましたが、やはり軸足はしっかり固定しておいた方が社外でも大胆なチャレンジがしやすいと思い、出戻りを考えました。
とはいえ、転職してまだ半年も経っていないなか、ジオコード に戻ることに身がすくむ思いもありました。
ーー葛藤がひしひし伝わってきます。どなたかに相談はされたのでしょうか。
妻には話しましたが、社外の人や、広報仲間には相談していません。ジオコードを辞める時には相談をしましたが、出戻りは広報界隈でも珍しいですし、自分自身のなかでじっくり考えたい気持ちがありました。
決意が固まってから、前職の上司やメンバーに辞職を告げましたね。上司からは「加藤さんが実力を発揮できる環境じゃなくて本当に申し訳ない……」「何かあればいつでも連絡してほしい、力になるから」と言われ、上場企業の副社長の人間力に魅了されました。
正直、ジオコードに出戻る時の方が、転職する時よりずっと覚悟が必要でした。
やはり、一度辞めて他社で経験を積んでいるわけですから、戻る前よりも経営陣から求められることは大きいと感じていたので。
「なんで辞めたんだ」と、たくさん自問をしました。違うフェーズの企業でレベルアップしたいという思いで転職をして7ヵ月、前の企業に自分が戻る意味はなんだろうと。でも、ジオコードが迎える新しい変化のタイミング、ステージが一段上がる時を一緒に経験したいと思ったんです。会社の成長と共に、自分も成長したいと。
ーー決意してから出戻りまではどんな風に進まれたのでしょうか。
転職する時には、出戻ることになるなんて全く想像していませんでした。12年もいたので、出戻りたいことを伝えるのは恥ずかしすぎて(笑)。だから最初は社長ではなく、人事管轄の上司に相談しました。
役員と数回面談をして、最後に社長とのランチ面談でしたが、仕事やプライベートな話、今の会社の状況など、ざっくばらんに話しました。社長からは「本当に戻ってくるの?」と言われ、出戻りを冗談だと思われていました。あと「前と違うからルールとか人事評価の提出とかちゃんと守ってね」とも言われましたね。
転職する前は、会社や社会の状況に応じて、突発的な業務が入ることが多く、人事評価のシートを白紙で出していたんですよ。業務が流動的で、目標を作ってもそのとおりにいかなかったり、社長と距離も近いので、広報とあまり関係ない業務を依頼されることもあって。目標設定や、評価面談の時間がお互いに無駄かなと思っていたので。でも、もうそれでは駄目だと。会社の変化に合わせて、自分も成長していかないと、と感じました。
ーー他の社員さんや広報仲間、メディアの方の反応も気になるところです。
2020年2月の出社日、社内には新入社員が入社することだけがアナウンスされていました。社長室から「今月の入社者はこの人です」と割と大きめな演出をされて、出てきたのが僕で。
みんなの反応は、これまた何かのネタなの?という感じでポカンとしていましたね。次の日会社に行って、ようやく本当に戻ってきたんだと理解してもらいました。「なんで戻ってきたんですか?」とはもちろん聞かれましたが、「ちょっと忘れ物を取りにきたんです」と照れ隠しもしました(笑)。
広報仲間やメディアの方には、直接ご報告やご挨拶をしたかったんですが、ちょうどコロナの時期と被ってしまい、自分のFacebookで全体に向けお伝えしました。みなさん、驚いていましたね。もともと繋がりのある広報の方々には、上場企業の広報を勉強するために修行に行っていたのかと言われたりもしましたね。そんなことはないのですが(笑)。
会社の変化以上に、自分が変わる
ーー出戻り前と、出戻り後の変化はありましたか?
はい。まずこの1年で会社のフェーズや状況が変わったことに面白みを感じています。仕事の変化としては、東証JASDAQに上場したことで、経営陣との距離が近くなり、株主や株価を意識するようになりました。
出戻り前は、プレスリリースを書くことはほとんどなかったですし、記者さんや広報仲間と話している時に企画が生まれ、それを取材いただくことが多かったのですが、出戻り後に上場してから、プレスリリースを意識して書くようになりました。
あとは、確認を取らずに自分の判断で行ってきたことも、頻繁に確認を入れるようになりました。定例でミーティングはしていませんが、社長のカレンダーを見て、隙間の時間を見つけて話しかけています。
ーー絶妙なタイミングを見計らいコミュニケーションが取れるのは、長らく二人三脚で社長と歩まれてきた加藤さんだからこそに感じました。
そうですね。熟年夫婦のように、表情や状況を見て、相手の状態を察していますね。
ーー心強いパートナーですね。加藤さんの今後のビジョンはありますか?
ジオコードの企業価値と認知度を、広報PRの力で高めていくことが直近の目標です。
これまでは他社がやっていないユーモアな仕掛けで認知を広げていきましたが、今は他部署とのコミュニケーションを密に取り、情報をうまく編集して企業価値を高めていくことを意識しています。
経営陣も株価に直結する発信を求めているので、プレスリリースを通して、サービスや企業の価値を社会に向けて届けていきたいと思っています。
ーー最後に。加藤さんにとって、PRとはなんですか?
「関わるすべての方々との良好な関係を構築すること」です。
広報をはじめた当初は、受け取る相手のことを考えて伝えていたというよりも、自分たちの伝えたい情報を発信していました。頭で思い付いたことを、パパッと考え、そのまま出していたこともありました。
ですが、他社の広報さんの発信をとおして、「Public(大衆)Relations(つながり)」の概念に触れるようになったんです。本当の意味で「PR」を意識するようになってからは、相手に伝わったかではなく、どのように伝わったのかを大事にするようになりました。一つの情報を出すにも、数日置いて見直しして、関係者に事前に確認するようになりました。
世間の声をより聞ける環境であるからこそ、今後私にとってのPRに挑戦していきたいと思います。
考え動くなかで見える最適解と、つながるキャリア
型や常識にとらわれず、「今なにができるのか?」「どうありたいのか?」を考え、その想いに忠実に動かれている、加藤さん。広報担当になったきっかけも、『サッカー休暇』の仕掛けも、12年間務めた企業への出戻りも、あるべき姿を考え、行動した先につながった解でした。
この記事を読んでいる方のなかには、「広報として次のステージに挑戦したい」「未経験の業界・規模で広報のキャリアを積みたいけど自信がない」と悩む方もいるかもしれません。未知なることに果敢に挑むなかで視界を広げ、新たな解をつくる加藤さんの姿勢は、あなたの一歩をすこし後押ししてくれるかもしれません。
(撮影:原 哲也、取材はリモートで実施しました)
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