いつの間にか脳内に刷り込まれている常識やイメージ。広報PR活動をする中でも、「どうしたら業界や組織の固定化された空気を変えられるんだろう?」と、もがくことも多いでしょう。
世耕石弘さんは、2007年に祖父が創立した近畿大学に入職。「“入れ替え戦のないリーグ戦”と言われる、大学の固定化された現状を広報の力で変えていくんだ」と決心したといいます。それからは、広報が主体的に話題づくりを仕掛けていく「広報ファースト」の文化を築き『近大をぶっ壊す。』『早慶近』など、数々の広告を手掛け話題化に成功。
「批判は随分とたくさんありました。でも結果を出すことで跳ね返してきました」と語った世耕さん。「広報ファースト」体制を築き「全教職員が近大の広報員」となるまでの奮闘を明らかにしました。
近畿大学 経営戦略本部長
奈良県出身。大学を卒業後、1992年近畿日本鉄道株式会社に入社。以降、ホテル事業、海外派遣、広報担当を経て、2007年に近畿大学に奉職。入試広報課長、入学センター事務長、広報部長、総務部長を歴任。2020年4月から広報室を配下に置く経営戦略本部長となり、現在に至る。
変わらない古い考えを、広報力で変えていく
ー 世耕さんが近大に入職されたのは2007年ですよね。その時は、どのような課題を感じていましたか?
世耕さん(以下、敬称略):まず大学の序列は、人の脳内の深いところに刷り込まれています。大学選択は、学びたい教育内容や教授の専門性を見て決めることが理想ですが、実際は刷り込まれた序列から選択されることがほとんどです。2007年当時、近大の医学部や農学部、水産研究所は外部からも研究が評価されていたため有名でしたが、高校生への認知はあるのに入試の選択には結びついていませんでした。教育・研究内容はもちろん大事ですが、それだけではいけない。広報の力で「古くて固定化された大学の序列」を変えていこうと思ったんです。
とはいえ学内には、「良い教育さえすれば、受験生は集まってくる。このポジションにいるのは、教育がダメだからだ」という自己否定的な考えや、「良いカリキュラムさえ作れば、他に何もしなくても受験生は来るだろう」というお花畑思考がありました。でも、現実そんなことはないんですよ。学者視点ではなく、高校生視点に落とし込んで、見つめ直していく必要があると思いました。
ー 広報はもちろん、広聴も大事にされていたんですね。世耕さんご自身が、広報が大事だと思われたきっかけを教えてください。
世耕:私は鉄道会社の広報出身です。大手IT企業の広報出身ともなれば注目されるんでしょうけど、そんなことはありませんでした(笑)。勤めていた近畿日本鉄道は大阪〜三重まで走る日本一の私鉄ですが、関西では「阪急電鉄」が人気なんですよ。阪急沿線のイメージが良いという声もありますが、正直さして変わらないと思っているんですけどね。
阪急には漠然といいイメージがありますよね。東京でいうと、阪急が東急電鉄、近鉄が東武鉄道のイメージでしょうか。東武は日本で2番目に路線が長いですが、あまりイメージが湧きませんよね。
鉄道をモチーフにした映画だと『阪急電車』はありますが、『近鉄電車』はきっと出てきません。「いけてる」「野暮ったい」イメージが鉄道だけに持たれているならまだ良いですが、百貨店やホテルなど、付帯事業もあるのでイメージが売り上げにも影響を及ぼしてきます。ブランドイメージをなめたらあかん!広報で良いイメージを作っていくんだと、前職から思っていました。
ー 鉄道の広報時代の経験からもブランドイメージの大切さを実感されていたんですね。
世耕:近大にも同じ課題意識を感じていました。日本で3番目に大きな大学で、関西では他大学と比べても圧倒的に大きいのに中堅のイメージにまとめられている。そこを広報で変えていこうと。ただ学内では「何をしても大学の序列は変わらんやろ」と諦めモードだったのも事実です。
ですが「いやいや、そんなことはなくて、変えられるんですよ」と闘志を燃やしていましたね。そこで広報を信用してもらえるように、広報活動をニュースにしてもらうことからはじめました。
ー 具体的にはどのような広報活動からスタートされましたか?
世耕:一番はじめに手掛けたのは、2008年9月の『近畿大学への近道です。』というコピーの電車内の吊りポスターです。翌年に阪神電車と近大の最寄駅がある近鉄が一本につながり、相互乗り入れする新線「阪神なんば線」ができることになっていました。兵庫県から大阪にある近大へ通うのが便利になることをアピールしたんです。
前職の経験から、新線の広告が本格的に出るのは開通の直前だと知っていましたが、それだと入試には間に合いません。新聞記者は新線の開通ネタを探すので、その半年前に新線のアピールにもなる広告を打ち、メディアが取り上げやすい話題に仕立ててプレスリリースを出しました。
鉄道会社もまだ広告を出していないのに、僕らが先に(笑)。結果、話題づくりが上手くいき、新聞にも取り上げられ、その年の兵庫県からの志願者は前年度から1,500人近く増えました。学内での広報への風向きも変わりましたね。大学の教職員からすると、ネットで注目されるよりも、全国紙に掲載される方が喜ばしいことなんですよ。ベンチャー企業でも、X(旧Twitter)で話題になるより、日経新聞に取り上げられた方が、会社に対する信頼も変わってきますよね。広報の力で話題が作れて、結果にも結び付くんだと、学内に認めてもらうきっかけになったできごとでした。
広報ファーストで日本一を取る
ー これまでになかった話題だからこそ、注目度も大きいですね。
世耕:次に大きな手応えを感じたのは、2014年「近大エコ出願」の広告ですね。日本の大学で初めて入試の紙の願書を廃止して、完全インターネット出願に移行することをPRしました。もちろん出願方法を便利にするための改革ですが、話題作りも一つの目的でした。
廃棄する古い願書を貼り合わせた上に「近大へは願書請求しないでください」とプリントして、特大の広告を駅にバンと張り出したんです。どこかの駅でこの広告を見かけたからといって、近大に行こうとはならないかもしれませんが、面白いとニュースになります。WEBで拡散されて、新聞にも取り上げられました。
外部調査でも、近大は「日本一改革力がある大学」「関西一先進的な大学」というイメージがあると言われていますが、このような話題づくりによって、知名度を上げるだけでなく、大学のカラーやイメージ作りもしています。
ー エコ出願はまさに「願書は紙で出すもの」という固定観念を壊した例ですが、批判も大きかったのではないですか?
世耕:これがもう、驚くほど批判を受けましたよ。「願書は紙で、手書きで出すものや」と言われてね。でも世界中を見ても、大学受験の願書を紙で出す国は日本くらいなんですよ。なぜならポストに投函して、ちゃんと届く可能性が担保されているのは日本くらいで、他の国はネットの方が安全ですから。
「セキュリティの心配が……」とも言われましたが、何十万通を超える願書を開封して、手打ちで情報を入力することこそ、セキュリティを守るのが大変ですよね。記入ミスをチェックする人員の負担もあります。
多分、大学界というのは「これまでの慣習に疑いを持たず、新しいことをしてはいけない」と思っていたんですよ。文部科学省に出願方式について問い合わせをしても「何も制限していないので、出願の形は自由にしてもらって結構です」とのことでしたが(笑)。
ー 前提を疑い、批判に立ち向かい、新たな常識を作られたんですね。
世耕:日本では国立も含めると、800近い大学がありますが、近大が一番はじめに「完全ネット出願」を打ち出したんです。いくつかの大学も仕掛けそうな雰囲気があったので「他大学に先に発表されたら意味がない。とにかく一番を取るんだ」と、急いでプレスリリースを出しました。
ー 周りの反応はどうでしたか?
世耕:ある新聞記事では「紙の願書で出したいという声は多い、ネットへの完全移行は時間がかかるのではないか」と指摘され、学内でネット出願に批判的な人がその記事を私のところにわざわざ持ってきました。
ですが、近大ではこの年に志願者数が前年に比べ2万人も増え、初めて一般受験の志願者数が日本一になったんです。ネット出願に変えたからといって、近大に出願しようとなるわけではありません。広報によって話題になった効果が大きかったのです。
ー なんと、前年に比べて2万人も増えたんですね。
世耕:翌年、完全ネット化を報じる記事の見出しは「ネット出願、もう普通」なんですよ。たった1年で「普通」になった。記事には、ある予備校の先生のコメントで「これだけネット出願を導入する大学が増えれば、ネット出願に切り替えたからといって話題にはならない。他の大学でも、大学の知名度向上がなければ志願者の獲得には繋がらない」と書かれていました。
非常識と常識のスイッチが、バチッと入れ替わった経験でした。要するに、一番はじめに目立った大学は美味しくて、追随する大学はPR効果がほぼないんです。近大に広報視点で物事を考える「広報ファースト」があったから生まれた話題でした。
世の中の半分以上がネット出願になってから切り変えるのは運用上はリスクが低いですが、日本で一番はじめにプレスリリースを出すことで、話題になり、知名度が上がります。そして、古い大学界の序列を壊すことができるし、ブランドイメージの醸成にも繋がるんです。
対外広報は最強のインナー広報
ー 批判を受けながらも、広報力で大学の知名度・ブランド力が上がっていくことを大学側も感じて、どんどん信頼を築かれたのですね。
世耕:“ド派手”と呼ばれる、入学式にも随分批判はありました。一般的な入学式は、学長をはじめとするスピーチが延々と続き、厳粛に行われることが常識ですから。ただ、ド派手には深い意味があるのです。
2014年度からは、つんく♂さんに入学式のプロデュースをお願いしました。学内オーディションで選ばれた女子学生のユニット「KINDAI GIRLS(キンダイ ガールズ)」が歌い、踊り、入学式を盛り上げてくれました。他大学では考えられないですよね。
でも実は、“ド派手”な入学式には理由があって、第一志望の大学に受からず近大に入学しても落ち込んでいる学生の意識を、入学式で一新させたい。入学式をきっかけに、「近大でがんばろう」という気持ちになってもらいたいという思いでやっているんです。
とはいえ、多くの人にはただのパフォーマンスと思われていました。ですが、ある朝のニュース番組で、入学式の様子を見た人気キャスターが「この大学に行きたい人、多いと思う」とコメントしてくださったんですよ。それからは「ド派手な入学式をしやがって」とは言われなくなりました(笑)。
ー 「この大学に行きたい人、多いと思う」。うれしいですね。
世耕:今までお話した話題づくりは、インナー広報にも直結しているんです。学内のニュースを、メルマガでお知らせしても、食堂の隣に会報をおいても、誰も見ない、取らないんですよ。それよりも、遠方に住むおばあちゃんから「あんたのとこの入学式、テレビでやっていたやん」とか、「お父さんの働いている近大、テレビに出ていたね」とか言われたら、学生も教職員も誇らしいと思うんです。
マスメディアで伝えてもらうことほど、インパクトが出ることはないと思っています。対外広報は最強のインナー広報ですね。正直、広報は組織において好かれる仕事ではないと思います。現場で対応している方からすると、見かけだけ華々しく、無責任に見えることありますから。
批判を受けるのは仕方のないことですが、批判を跳ね返すことができます。広報は、工夫次第で、話題をつくることができ、結果が目にみえるカタチで出ますから。それが次の取り組みを成功に導くための鎧になるんです。
ー 話題化づくりはもちろん、プレスリリースの発信数は年間500件以上とものすごいですよね。広報に情報が集まる工夫はどうしていますか?
世耕:僕らは、自分たちの眼力を信用していないんです。ニュースになるかならないかはメディアが判断するので、とにかくバッターボックスに立ち、数を打つという気持ちでプレスリリースを出しています。担当者のスキルアップにも繋がりますし、ネットに掲載することで関連ニュースとして紹介してもらえることもありますから。
近大には「全教職員が情報収集力と発信力を高め、近大の広報員となる」と定めた全学の方針があります。これが大義名分となり、各附属学校・学部内に広報担当者を置いています。年に一度、プレスリリースの書き方やブランディングの重要さを伝えるセミナーと、横のつながりを作るための懇親会を開催し、広報力の底上げを行っています。
数のこだわりが強いですから、地方紙に掲載された近大の記事で、僕らが知らない内容があれば、管轄している広報担当者に即抗議をすることもあります。「プレスリリースを打てば、地方の新聞に取り上げられて、もしかしたらテレビでも報道してもらえたかもしれない」と。それをやり続けたことで「広報うるさいから言わないと」というマインドと共に、広報の重要さも理解してもらえましたね。
それとメディアの方々が取材しやすいように、『近大コメンテーターブック』という、教員約1,200名の専門分野やコメントできる内容、顔写真を掲載した冊子をマスコミ各社に配布し、WEBでも公開しています。突発的な事故や事件などがあった場合、有識者を探すことに苦労するメディアのニーズを踏まえてつくりました。
コメンテーターブックを作ってから、かなり取材件数は増えましたね。昨年は年間で1300件以上の取材がありました。さらに「KINDAIメディアアワード」という賞を設けて、メディアごとにポイントを点数化して、情報発信に貢献した教員には副賞として研究費を贈呈しています。
教員は研究も授業も忙しいですから、誰も取材を受けたい人はいないんですよ。でもここまでやると「広報うるさいから、受けなあかんねんな」と思ってもらえるようになりました。
ー あらためて、教職員の方とコミュニケーションで大事にしていることはなんですか?
世耕:率直にいうと、僕らは教職員との直接的なコミュニケーションにはあまり意識を向けていません。そこに労力を割くのであれば、対外発信に専念したいと思います。それには、特殊な環境が関係しています。近大には、教員から、医者や看護師、水産研究所で毎日マグロの世話をしている人までいろいろな職種があり、地域ごとに附属学校もありますから、それぞれの業務内容によって考え方がまるっきり違うんです。
全員から広報活動に関する理解を得ようとしている大学もあるでしょうが、それは本当に難しいことだと思うんです。立場や業務内容、立地など状況が違えば、考え方は大きく異なります。わかってもらおうとするのは無理なんですよ。
そこは中小企業やベンチャー企業のインナー広報の考え方とは違うかもしれません。
ー もし他の大学や企業、もしくは2007年に近大に入職したときの世耕さんにアドバイスをするとしたら、どのような声をかけますか?
世耕:「とにかく打席に立ち続けるしかない」と伝えたいです。業界によって広報のやり方は変わりますが、箸が転んだような話と思えることも、ニュースリリースとして発信しておくことが大事です。リリースとしての価値だけでなく、ホームページにあげておくことで他社の同様の事例とともに検索されたり、記者に過去事例の資料としてまとめて渡したりすることもできます。
ー 最後に、今後の目標を教えてください。
初心を忘れずに、常にチャレンジしていくことですね。僕らは、学生に挑戦することの大事さを伝えているわけですから、自ら率先してその姿勢を見せていかないと。
今回の事例のポイント
・固定観念を、自らの理想を具体化することで刷新する
・一番にこだわる。そのための努力は惜しまない
・対外発信で、学内外から近大のファンを作る
『近大をぶっ壊す』と標榜したコンセプトのように、大学界では当時タブーと呼ばれるような仕掛けで話題化を呼び、今では8年連続志願者数トップの「近畿大学」。仕掛けの先頭を走る、近大経営戦略本部長の世耕さんは、批判のための批判に屈せず、自らの固定観念を壊しながら、掲げた理想に向かい、走り続けてきました。
古い常識や価値観に縛られている業界・組織で、現状打破にもがいているあなたに、古い慣習が残る大学界で快進撃を遂げてきた近大広報室の姿勢は、これからの道を照らしてくれるかもしれません。
(撮影:三好沙季、取材はリモートで実施しました)
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