「市政は経営である」そんな信念のもとブランディングに取り組み、子育て世代の移住増につなげてきた自治体があります。千葉県の北西部に位置する流山市です。
2005年8月に「つくばエクスプレス」が開通し都心からのアクセスが良くなったのを皮切りに、同市は共働きの子育て世代へのアプローチを決めます。市長である井崎義治さんが主導して生まれた自治体初の「マーケティング課」で行った「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」のプロモーションコピーや、子育て世代に向けたイベント企画が話題を集めました。
これらの取り組みが実を結び、同市人口は2007年(15万5,779人)から増加傾向となり、2021年9月時点で20万3,331人と約5万人増に。各取り組みの詳細はさまざまなメディアでも紹介されていますが、今回はマーケティング課が歩んできた具体的なプロセスにフォーカスすることで、自治体における広報PRの向き合い方を紹介したいと思います。今回、話を聞かせていただいたのはマーケティング課で課長を務める河尻和佳子さんです。
流山市マーケティング課 課長
民間企業で14年間、営業やマーケティングなどを担当。流山市をプロモーションするための任期付職員公募に応募し、入職。自治体初の「マーケティング課」に在籍する。首都圏を中心に話題となった「母(父)になるなら、流山市。」広告展開や、母の自己実現を応援する「そのママでいこうproject」、年間16万人を集客する「森のマルシェ」の企画・運営などを手掛けた。
「受け身の姿勢」になっていた1年目。報道官としての歩み
── 河尻さんが流山市のマーケティング課で働くことになった経緯を教えてください。
河尻さん(以下、敬称略):流山市に引っ越ししたタイミングで、市が地域をプロモーションする「報道官」を民間から募集しているのを、たまたま新聞で見たのがきっかけでした。勤めていた企業を退職するつもりはなかったのですが、流山市には「この先さまざまな変化が起こりそう」とワクワクさせてくれる空気感があって。その空気感をより多くの人に届けたく、思い切って試験を受けてみたら採用されました。今は勤めて13年目になります。
── 「報道官」としては、どのような業務を最初に担当されたのでしょうか?
河尻:「取材対応の窓口」が仕事の中心だと思っていたのですが、実際に入ってみると想像と全く違っていました。流山市の知名度や移住者の増加に向けたメディアアプローチをする、“攻めの広報”としての役割が求められていたんです。
言葉としては分かりやすいのですが、自分の中に何か方法論があるわけでもなく、マーケティング課自体が自治体として初の試みのため、前例もありません。引っ越ししてすぐだったので、PRするべきネタも分からなかった。今振り返ると「受け身」になっていたのだと思います。前職は大枠のやり方が決まっていて、それをこなすことが業務の中心。でも、前例のない取り組みは違う。このとき、仕事に対する向き合い方を変えようと決心しました。
── どのようにアプローチを変えていきましたか。
河尻:最初は「数を打てば当たる」方針で、電話をかけたり、訪問営業のようなことをしていたんです。でも、全く成果が生まれませんでした。ある記者さんには「僕らのメリットは?」と聞かれたことも。掲載する意義やメリットがなければ、記者の方も動いてくれません。例えば、テレビひとつをとっても、局や番組によっても取り上げたい方向性が異なるし、プレスリリースにしてもメディアによってタイトルやリード文を微妙に変えたり、媒体に合わせて編集しながらPRする必要性があることを学びました。
特にテレビ媒体では、「リアクションを早くするのが大切」ということが分かりました。ディレクターの方は少ない期間で番組制作を回しており、取材やヒアリングの依頼などが急にくることも多い。その時にできるだけ早く返答できるかが関係性を築く上で大切です。そのためにも、どれだけ自分の中に幅広い部署の情報をストックできているか、答えられなかったとしても「1時間後に返答する」「他のネタをアピールすること」を心掛けました。
── さまざまな部署がある自治体においては、情報をキャッチアップしようとするだけでも大変そうです。その点について、河尻さんが取り組まれたことや工夫したことはありますか?
河尻:その点も、1年目は失敗しましたね。色んな部署に直接話を聞きに行ったのですが、明確な目的もないまま、「とにかく情報をください!」とヒアリングしたので、当然ながら忙しい担当者に嫌そうな顔をされて。まずは、担当部署が周知に困っている講座などを「こうするともっと伝わりやすくなる」と一緒に考えたり、新たなプロジェクトが始まったときにPRのお手伝いをするなど、徐々に信頼を獲得するようにしました。
記者の方々もそうですが、組織内での関係性を頑張って築くことも大切。この積み重ねによって、向こうから連絡をもらえることが増えたのは嬉しかったです。
「やりたいこと」で地域とつながる、シビックプライド醸成を
── 地道な積み重ねがあり、多くのメディアに掲載されるようになっていったのですね。
河尻:はい。有難いことに、3年が過ぎたころから取材依頼を多くいただけるようになっていきました。「母(父)になるなら、流山市。」といったコピーや子育て世代向けのイベント企画も反響を呼び、当初のミッションであった住民誘致増加の結果が出てきたからです。人口増加率が全国1位になったのを大手経済紙が取り上げてくださったのを機に、取材依頼が続々と届くようになりました。
── 媒体への露出が増えていく中で、地域の変化や新たな課題などはありましたか。
河尻:移住された方々から「期待していたほどではなかった」という声が聞こえてくるようになったんです。外部向けのPRばかり考えていたけれど、移住後のことは考えられていなかった。地域の中に目を向けないと、このままでは悪循環になってしまうと思いました。
そこで、「シビックプライドの醸成」に取り組むことになりました。シビックプライドとは、市民一人ひとりが地域に対して誇りを持ち、主体的に関わろうとする意志のことを指します。マーケティング課が少ない人数でPR施策を頑張るよりも、シビックプライドを持つ20万人の市民による口コミがより広がっていく方が価値が高い。
移住された方のなかには、自主的にイベントを企画したり、好きな地域で自分のやりたいことに挑戦したいという方も生まれ、そうした方々が取材されることによってメディアと接点が増え、結果的に外部へのPR機会も増えていくと考えたのです。
── シビックプライドの醸成としては、具体的に何を取り組まれたのでしょうか?
河尻:イベントを中心に、地域の方々の「やってみたい」という気持ちに伴走するようにしました。例えば、ある子育て中の女性の方からは、「親子でやるファッションショーをやりたい」と企画書をいただいて。場所や設備は私たちがイベントの中で用意するのですが、それ以外はお任せしました。
マーケティング課は全面的にサポートするのではなく、あくまで場やきっかけをつくるだけ。でも、参加したり、お手伝いしてくれた市民の方々がイベントを通して地域に主体的に関わることで、シビックプライドが醸成される様子を感じられたのは良かったです。
── メディアアプローチは「何件掲載された」という一つの分かりやすい成果指標がありますが、シビックプライドの醸成は設定するのが難しいように思います。マーケティング課が実践されている「伴走」では、成果の指標をどのように設定されているのでしょうか。
河尻:今も絶対的な正解があるわけではないのですが、主に3つの指標を置いています。
1つは、イベントでコラボをした市民の人数です。コロナ禍でイベントを開催できないので今は減っていますが、また、市民にインタビューをした内容をSNSで紹介することもしていて、ここで掲載した人数もKPIの1つとしています。3つ目は、メディアを通して、市民の方々が何人紹介されたかということです。2019年はこれらを合わせて、71人の市民の方々とご一緒することができました。今後もこの数は増やしていきたいと考えています。
これらの目標のため、メディアアプローチの成果が出始めたころからは、市民の方々と関係性を築くことにも注力しました。例えば、イベントで市民の方々との交流スペースを設けて、やりたいことや何か形にしたい想いが明確にある人には、「一緒にやりませんか?」と声を掛けています。これまでに市民の方々と企画したイベントは累計40回となりました。
個人のSNSでも市民の方々を多くフォローしていて、発信している内容を細かく見ながら、やりたいことがありそうな人には「一度お茶を飲みながら話しませんか?」とDMを送ることもあります。あとは市主催の女性向け創業スクールの受講生など、すでに地域で「挑戦したい」と活動されている市民の方に声をかけたり、紹介してもらうことも多いですね。
── 個人のSNSでDMを送るといった地道な活動をされてきたんですね。
河尻:はい。先ほどもお話したように、イベントの企画、運営で成功体験を積み、徐々にシビックプライドが生まれると、その人自身が魅力的なコンテンツになります。そうすると私たちがアプローチをしなくても直接メディアから取材をされたり、「やりたいことに挑戦できる」という口コミが広がったりしていくことが一番のPRになると考えているんです。
でも、一般的には最初のきっかけがない。仕事にも、地域にもないことが多いんですよね。だからこそ、お茶をしながらじっくり話してみたり、イベントによるきっかけの場を用意したりています。その場で周囲にやりたいことを話すと、「良いね」と背中を押ししてもらえる。自分のやりたいことを通して、地域や社会とつながり、かつ周囲に応援してもらえるのは、本人にとって大きな自信になり、結果的に地域のPRにつながることを学びました。
市の魅力である「人」にフォーカスしたブランディングを
── マーケティング課として、今注力していることについても教えてください。
河尻:今はブランディングに注力しています。プロモーションは露出件数が大事な指標になると思うのですが、ブランドというのは「蓄積件数」だと思っています。人の記憶に貯まっていくものなので、ものすごく長い年月がかかる。流山市の場合、「東京のベッドタウン」「住宅都市」という魅力はあるけれど、それ以外の記憶の蓄積はまだないのが現状です。
だからこそ、ある程度の量と頻度を保ちながら、次は「質」を重視していかなければいけません。まだまだ模索中ではありますが、メディアアプローチだと「ここぞ」という企画のみを各媒体に向けてアナウンスをするといった方針に転換しています。また、12月には流山市の「人」にフォーカスをした流山市ブランディングサイトも新たに立ちあげます。
── どのような意図から、「人」にフォーカスすることになったのでしょうか?
河尻:流山市の魅力は「人」だと位置付けているからです。流山市は子育てに関する環境整備に注力し、そこに向けたプロモーションをわかりやすく行うことで人口が増えました。
ではどんな人が移住してきたのかというと、地域が今も発展しているという「のびしろ」に期待をしてくれている、ベンチャーマインドを持つ方が多かった。そんなことがシビックプライド醸成に関する取り組みなどを進めるうえで分かってきたんです。立ち上げるオウンドメディアでは流山市「人物図鑑」のようなものを作ることで、市の魅力を蓄積していくブランディングができればと思っています。これにより、移住を検討してもらうことにつながったり、地域内での新たな出会いや挑戦が生まれたりするきっかけにしていきたいです。
── 子育て世代のプロモーションを進めたことで、結果的に住む人々が市の魅力になったということですね。オウンドメディア立ち上げにおいて工夫された点はありますか?
河尻:目的をブレさせないということです。オウンドメディアの立ち上げにおいては、「閲覧数を増やすこと」が目的となりがちです。今回の場合、市の魅力である人の紹介をしながら、地域に対する記憶の蓄積を作ること。もちろん税金で作ったものなのでプレスリリースを打ったり、広告を出したり、閲覧を増やす取り組みは必要です。
しかし、閲覧数が目的になってしまうと、“バズること”だけが優先されてしまいます。その結果、地域の強みや魅力ではなく、尖った企画のみが採用され、閲覧数は増えているのにブランドイメージがかえって悪くなることも考えられます。閲覧数は大事にするけれど目的ではないんだということを、立ち上げ時にブレさせずメッセージを出していきました。
── オウンドメディアの立ち上げに限らず、移住定住や企業誘致などを進める全ての自治体にとって大切な観点のように思いました。自治体が流山市のような「マーケティング視点」を持つためにどんなアプローチが必要か、河尻さんのご意見を聞かせてください。
河尻:当たり前ですが、何のためにやるのかを、みんなが共通の認識を持つことが非常に大切だと思っています。例えば、「ふるさと納税額を上げたい」となったときに、「ふるさと納税サイトに広告を出そう」みたいな手段の話ばかりされることが多いです。手段として間違っていないのかもしれませんが、その前に「なぜふるさと納税額を上げなければいけなのか」を、しっかりとコンセンサスがとれていなければ周囲はついてきてくれません。
流山市の場合、市を想起できるような代表的な企業が少なく、少子高齢化も進んでいく中で、「子育て世代に移住してもらい、少子高齢社会を支えなければいけない」という明確な課題感がありました。だからこそ、目的をブレさせずに施策を行い、地域の方々にも応援してもらえたことで、成果が生まれていったのだと理解しています。なかなかうまくいかないときは、目的と順序が逆なことが多いように思います。
── 順序が逆にならないよう、河尻さんが取り組んできたことはありますか?
河尻:自分のバイアスで物事を判断するのではなく、できるだけ色んな人に話を聞いてアウトプットにつなげることですね。地域の方もそうですし、市外の方にもよく相談します。
そして、アウトプットをするときはプランを壮大に作り過ぎないこと。プランは短期集中型でオープンデータなどを活用しながら作り、細かくPDCAを回すことを心掛けてきました。流山市の知名度向上のため、メディアアプローチから始まったマーケティング課での仕事も、その時々の課題やニーズの変化に応じて、シビックプライド醸成に取り組んだりブランディング活動など細かく変化をしてきました。特に新型コロナの感染拡大や自然災害など、いつ何が起こるか分からない時代です。計画通りにはいかない前提で、目的をブラさずに細かく修正していく力が、どの自治体においても求められていくでしょう。
今回の事例ポイント
- 届ける相手によって情報を編集する
- シビックプライドの醸成が最大のプロモーションになる
- 手段は大事だが、目的をブレせさせないように心掛ける
- 関係者に限らず、多様な人々に相談する
- 計画通りにはいかない前提で、細かくPDCAを回すこと
言葉としては当たり前のように感じる方かもしれませんが、多くの関係者がいながら、企業と違うカルチャーもある自治体で実践するのは大きな苦労が伴うことだと思います。
河尻さんの場合、1年目で経験した失敗や、一つひとつの施策から得られたフィードバックをもとに改善を重ね、シビックプライドの醸成やオウンドメディアの立ち上げなどを進めてこられました。それらのプロセスの中で得られた学びや考え方は多くの学びが詰まっていたので、これから自治体で広報になられる方に参考になる点が多いのではないでしょうか。
(撮影:PR TIMESエバンジェリスト 佐久間智之)
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