今ではマットレスでおなじみのエアウィーヴ社。年間売上1億円だった同社を5年で115億円へと急成長に貢献した経歴を持つ、笹木郁乃さん。
入社当時、社長以外の正社員は笹木さんただ一人。店頭営業中にみたPRの効果を得るべく、広報未経験ながら、手探りで売上につながるPRを体得していったそう。
エアウィーヴ、バーミキュラでのPR実績を持たれる笹木さんに、これまでのキャリアと、試行錯誤、そして、今後の展望を伺いました。
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理系キャリアからスタート。勉強と仕事の違いを痛感
ーーPRの力で、寝具メーカーのエアウィーヴや、ホーロー鍋のバーミキュラを大ヒットさせた笹木さん。もともとは理系出身なんですよね。
笹木さん(以下、敬称略):大学では工学部の機械システムを専攻し、首席で卒業。新卒はトヨタ系自動車部品メーカーでエンジニアとして勤務していました。ただ、いざ入社してみると、研究開発の分野に全く向いておらず、力を発揮することができずに悶々とした日々を送っていましたね。社会人3年目になったとき、いよいよ会社に行きたくない、という状態になってしまって。そこから、転職活動をはじめました。
ーーどのような転職活動をしていたのですか。
大学を首席で卒業できたことを思い返し、自分は何か明確な目標がある時に、力を発揮することができるタイプだと思いました。そう考えた時に、明確な目標に対して邁進する営業職が自分には向いているのではないかと考え、転職活動をはじめたのですが、理系出身で営業経験もありませんでしたから、書類審査にも通らなくって。
唯一、書類選考で通ったのがエアウィーヴだったんです。とはいえ、当時は自分にはどこか興味が湧かない会社でしたから、面接の練習くらいに思って面接会場にいましたね(笑)。でもそこで「一緒に日本一の寝具メーカーに育てよう」と話す社長の熱いプレゼンを聞くうちに、その夢を一緒に叶えたい!という目標が生まれ、エアウィーヴ第一号社員として働くことになりました。
PRの重要性を体感したエアウィーヴでの原体験
ーーエアウィーヴでは最初から広報業務にも携わっていたのですか。
いえ、最初は主に営業職に従事していました。東急ハンズなどの小売店にエアウィーヴを担いで持っていき、「このマットレスを売ってください!」とセールスする日々でしたね。私自身が売り子になって、店頭でひたすらお客さんに声掛けをしたこともありました。ただ、無名のマットレスをいくら良いものですよと宣伝しても、見向きもされなくて。
一方で、私たちのマットレスの隣には当時から有名だった某寝具メーカーのマットレスが置いてあったんですね。それに対して、お客さんが「テレビで見た」「雑誌で見た」などと言いながら商品を手に取る姿を目の当たりにしました。こちらは一生懸命声掛けして、1日2枚売れたら良い方なのに、隣は売り子もいない中で1日10枚は売れていく。
この状況をみて、知名度を上げることは大事だと気づきました。ちょうど社長も営業だけでは限界があると感じていたようで、「選ばれるブランド」になるためにPRを強化しようと、私が営業と兼務で広報業務を担当することとなりました。
ーー営業と兼務するかたちで、ひとり広報の体制ができあがったのですね。
はじめての広報業務だったので、本当に何をしていいかわからなくて。プレスリリースも書いたことがなかったので、最初はプレスリリースはプロが書くものだと思っていました。お金の無い会社でしたが、プレスリリース作成代行会社にお金を出して書いていただいていました。プレスリリース一斉配信だけではメディア掲載には結びつきませんでしたが……。
そこで、PRの基礎を学ぶ機会を作りましたが、具体的なhowまでは学べなかったんです。メディア関係者とコミュニケーションをとることが大事だと頭ではわかっていても、勇気が出ず、行動に移せるようになるまで半年かかりました。でも、メディアの方々と対面でコミュニケーションをとれるようになってからは少しずつ掲載されるようになりました。
メディア関係者と話をする中で、メディアは苦労話や開発秘話が好きだということがわかってきたので、会社の裏話も含めたストーリーが伝わるような資料をパワーポイントで作成して自社の紹介をするようにしました。そうすることで、雑誌や新聞の小さい枠から掲載されるようになり、その後、地元愛知県のテレビ番組で5分ほど紹介してもらうことができました。この放送をきっかけに「愛知で人気のマットレス」として東京や大阪のメディア関係者の方にも興味を持っていただき、さらに多くのメディア掲載を実現できました。
エアウィーヴで学んだ「売れるPR」
ーー手探り状態から、5年で会社の売上を115倍にされた笹木さんですが、ズバリ、「売れるPR」として何をされたのですか。
まずは、実績づくりです。当時のエアウィーヴは無名でしたから、広告を打ったところで誰も買ってくれませんでした。ただ、商品力には自信がありましたから、説得力のある人に太鼓判を押してもらおうと考えたのです。その実績づくりのために定めたターゲットが、身体が資本であるアスリートたちでした。
最初は、アスリートの所属する事務所に正面突破を試みたのですが、見事に玉砕。そこで、選手からの信頼の厚いトレーナーやコーチの方々に使ってもらおうと舵を切りました。人づてに上村愛子選手のトレーナーを紹介してもらい、直接プレゼンして商品を使っていただいたところ、高く評価してもらえました。そこから、トレーナー仲間にどんどん紹介していっていただき、アスリート界隈での認知度を高めることができました。
特に、フィギュアスケーターの浅田真央選手が遠征先にもエアウィーヴを持ち運ぶシーンが報道で流れるようになり、その様子を実績として次のメディア露出につなげていく…というような形で、つくった実績を活用してメディア露出数を増やしていきました。
ーー一見、遠回りにみえる「実績づくり」ですが、そこでメディアにも共有できるネタづくりをしていったわけですね。
そうですね。広報・PR担当だからといって、情報の発信だけをしているのではダメだと思います。何もネタが無い中で、「うちの商品、こんなに良いものなんです」と言うだけでは足りません。メディア関係者が納得できる実績をつくること、つまり、情報をつくることも広報・PR担当の仕事だと思いますね。
ーーほかにも「売れるPR」のポイントがあれば、教えて下さい。
メディア関係者とのコミュニケーションをしっかりと取ってファンになってもらい、長尺の露出を狙うことですね。スポットでのメディア掲載を狙うのであれば、プレスリリースを作成して送るだけでも掲載されることがあるので良いと思います。ただ、PRで売上に貢献したいと思ったらそれだけでは不十分です。
その商品が生まれた背景や想いをメディア関係者に直接伝えることが大切です。そうすることで、その人が自社のファンになっていく。つまり、まずは目の前の人の心を動かすことに注力することが大切です。
私はバーミキュラ在籍時はほとんどプレスリリースを作成していません。実際にメディア関係者にお会いして、お話して、自社にポジティブな関係性を築いた結果、長尺で紹介いただくのが広報活動で成果を出すには一番最短だとエアウィーヴの時に思ってしまったから。コミュニケーションを簡略化しない、変に効率化しない、ということも大切だと思います。
エアウィーヴからの転職。出産あとも挑戦しつづけたかった
ーーエアウィーヴで成果を出されてからバーミキュラに転職されていますよね。転職のきっかけは何でしたか。
だんだん組織が大きくなることで「あれ、自分がいなくてもまわるぞ」と感じるようになりました。それまで仕事一本でしたが、そろそろお母さんになってもいいなと思うようになり、出産し、1年間の育休をとることにしたんです。
育休復帰後について、実は、エアウィーヴでの良い待遇の中、そこまでがむしゃらに働かなくてもいいかなと思っていた時期もありました。でも、仕事を理由に子どもを保育園へ預けているにも関わらず、その仕事に対して全力で向き合えていない状態でいいのだろうか……やっぱり自分がいることに意義を感じる規模の小さな会社でまた全力疾走したいと思うようになりました。
そのとき出会ったのが愛知ドビー、現在のバーミキュラでした。エアウィーヴと同じ愛知県の企業で、発売当初は各メディアで取り上げられていたのですが、私が転職を考え始めた2015年当時はメディア露出の波は去り、供給過多により在庫が余っている状態。商品自体の魅力は知っていたので、自分のスキルで貢献したいと考えました。でも公には求人がなかったため、コーポレートサイトから問い合わせをして社長と面談していただき、転職を決意しました。
ーーバーミキュラに転職後、1年弱で独立されたのはなぜでしょう。
エアウィーヴで得た広報術をバーミキュラでも活かし、在庫を抱えている状態から1年で予約殺到商品にすることに貢献できた点は、やりがいを大きく感じました。
ただ、同時に悩みも出てきたんです。バーミキュラ社は毎朝8時に朝礼があるので、子どもと朝の時間を過ごすのが難しくて。自分で転職を決めたけど、このままでいいのかな、と。
また、PRの力を実感するうちに、もっと挑戦したい、もっと「攻めの広報」にチャレンジしたいと感じるようになってきました。そうして、次第にエネルギーが余りだすようにもなってしまって。
母としての自分。そして、「攻めの広報」で売上に貢献する自分。やりたいことに制限なくチャレンジできる環境に身を置きたいと考えるようになりました。ただ、いきなり起業することはハードルを高く感じたので、まずは培ったスキルをより多くの企業に活かしてもらうべく、ボランティアでPRコンサルティング業を始めました。基本的には1回90分単発でのコンサルティングでしたが、一部の企業では中長期のコンサルティング業務として、週1程度の定例ミーティングやPR業務の一部代行も請け負っていました。
そうするうちに少しずつ自分の顧客が増えていき、企業に属さず自分の思うままにもっと挑戦していきたいと考えるようになりました。そこで、バーミキュラを退職することを決意し、フリーランスとして独立。その後、「自分ひとりでは関われる規模に限界がある、もっと多くの人や企業に関わりたい」と思い、起業するに至りました。
PRは予測不能。だけど行動し続ければ奇跡も起きる
ーー今後の目標はありますか。
弊社はPR代行業務とPRを学びたい方向けのPR塾を開催しています。自社にPR担当者がいない、早く売上を伸ばさないといけない、といった理由でPR代行を依頼してくださる企業の経営者は多くいらっしゃいます。そのため、弊社のようなPRのプロが代行することは、今後も大切にやっていきたいと考えています。
ただ、代理業やコンサル業をしている立場で言うのも変かもしれませんが、私はやはり本当の理想は、自社の人間がPRを担うべきだと思うんです。会社の中にいる人が、社内にいるからこそ抱くことのできる想いを胸にPRするのがベストだと思いますね。PR塾を開催している理由もそこにあります。
右も左もわからなかった新米広報のときの自分に対する理想のスクールがいまのPR塾です。PR塾の生徒さんたちには、理系出身で培ってきた「逆算思考」のもと、つくりたい結果や目標に向けてどんなステップで進めばその確率が上がるのかを公式化して、わかりやすいロジカルなステップで伝えています。
すべての人にPRができるようになってほしい、PRをもっとたくさんの人に教えきりたいですね。
ーー最後に、笹木さんにとってPRとはなんでしょう。
PRはビジネススキルの中で唯一、予測のつかないものだと思うんです。マーケティングや営業はある程度予測が立てやすかったり、予測をもとに行動することがあると思うのですが、PRの場合は、不確実性が大きい。メディア関係者に会いに行っても、必ず掲載されるとは限らない。掲載されたとしても、会社にとってインパクトのある結果を残せるかというと、これまた不確実。
「結局、PRって意味ないのかな」と、途中で諦めてしまう方も非常に多いです。でもその不確実性の中で、PRで売上を伸ばせると信じて行動し続ける。そうすることで、着実な結果につながるはずです。
「売れるPR」のためには、成果が出ると信じて行動し続けること
広報・PRは、その時の社会情勢や担当記者によっても掲載されるかどうか、インパクトが出るかどうかが左右される非常に不確実なもの。PRを売上につなげたいと思ってもなかなか難しいのが現状です。
ただ、そんな不確実な中でも、諦めずに行動し続けることが大事、と話す笹木さん。
広報PRの不確実性に立ち向かうことは、簡単なことではありません。途中で心が折れそうになった時には、「売れるPR」として実績を出し、挑戦し続ける笹木さんの言葉を思い出して、諦めずにPRに向き合っていけると良いのではないでしょうか。
(撮影:原 哲也)
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