もう専任広報には戻らない。でも、広報は社会にとって重要な存在ーー坂ノ途中 法人窓口・横澤真弓

広報キャリアで始まり、別の職種へキャリアチェンジしていく人。別の職種になったものの、広報職にやりがいを感じて戻ってくる人。広報職にもさまざまなキャリアが存在します。

人材系会社で広報を担当されていた横澤さんは、憧れだった坂ノ途中で複業をスタート。広報として正式に転職を果たした後、営業職へ志願して転籍。いまでは法人営業のマネージャーを務めています

ご自身は広報職から離れたものの「広報は大事」と言います。そんな横澤さんに、離れたからこそわかる広報の大切さについてお伺いしました。

株式会社坂ノ途中 法人窓口マネージャー

横澤 真弓(Yokozawa Mayumi)

オファー型新卒採用サービス「OfferBox(オファーボックス)」を運営するi-plugとの複業を経て、環境への負荷の小さな農業の普及を目指し野菜の通販宅配を運営する坂ノ途中に入社。広報担当として入社したが、「もっと売り上げに貢献したい」との想いから、法人営業に転籍。ゆくゆくは自身でも農業をしたいと思っている。プライベートでは、北海道まで遠征するほど無人駅が好き。

押し切られて就任した広報職

ー まずは横澤さんが広報になった経緯を教えてください。

前職のi-plugに、もともとはライターとして入社していましたが、社長から急に指名されまして。関西のベンチャー数社が広報を始め、力を発揮し出した2014年。そんな状況を見た社長から、ある日「広報に興味ある?」と聞かれました。「無いです!」と即答したんですが……。「まあまあまあ、いいじゃない!」と押し切られ、広報を兼務することになりました。

ー どんな想いを持って広報活動をされていましたか。

最初は、ただただ「自分に課せられたミッションをこなす」という気持ちでした。その当時は、オファー型新卒採用サービスの黎明期で、一気に5社ほどが同様のサービスを立ち上げていました。そんな中でいち早く認知を獲得することが、シェア拡大には必要不可欠。「重めのミッションだな」と感じ、当時は手探りで取り組んでいました。

広報を担当して数年経ち、「わたしは危険な武器を持っているな」と自覚するようになりました。自分の話したことが記事になる。それは、人を傷つけることも、会社を潰すこともできるということだと思いました。そんな危険な武器を持ち、広報というポジションにいる自分。一体、何ができるかなと考え始めるようになったんです。

学生と企業にとっては人生がかかっている就職。出身地や大学によって格差を生まない。フェアに機会が与えられる世界にしていくことが、自分にできることなのではという結論に至りました。

ー 広報にやりがいを感じたエピソードはありますか。

学生から「OfferBoxのおかげで、有名大学ではない自分でもたくさん内定が取れた」といった声が直接聞けたことが一番のやりがいでした。従来の就活では内定が取りにくかった学生も、学歴に関わらず、個性や経験によって内定が取れる。そんな成功体験をする学生さんが増えることが嬉しかったです。

また、そんな体験をメディアで報じてもらうことにより、地方企業様でも導入が増えていきました。学生や企業にとってもフェアな機会が増えていくことにも、やりがいを感じました。

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坂ノ途中へ複業入社、後に転職することに

ー やりがいを持って広報活動をされていたようですが、なぜ坂ノ途中に転職されたのでしょうか。

義父が米農家で、坂ノ途中の提携生産者だったことが知ったきっかけです。義父は栽培方法にこだわっていて、とにかく美味しいんです。その分、相当な手間暇がかかっていて量は作れません。そんな作り手のこだわりを汲み取り、相場の倍くらいの価格で買ってくれていたのが坂ノ途中でした。

すごくかっこいいことをしている会社があるんだなあ、関わりたいなあと思いました。そんな時、代表の小野の話を聞く機会があり、その想いに強烈に惹かれました。でも、i-plugには上場まで在籍したい。悩んだ末に選択したのが「複業でした。

複業期間は1週間のうち3日はi-plugで時短社員、残りの2日は坂ノ途中で業務委託として勤務。2つの会社に出勤して情報を整理し、2社の情報をそれぞれ違うメディアへアプローチしていました。

ー 「複業」を経て「転職」されたそうですが、なぜ坂ノ途中一社に絞られたのでしょうか。

わたしは器用な方ではないので、複業という働き方に無理が生じてしまいました。愛情を持って仕事をしてしまうので、どちらにも力を注ぐことが難しかった。結局1年ほどで、複業を断念しました。考えが甘かったと思います。

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i-plugに広報さんが入社してくれたこともあり、坂ノ途中に「転職」することに決めました。わたしは上場までいることができませんでしたが、i-plugが先日上場を果たしました。上場の一報を聞いた時には、一緒に頑張ってきた仲間の顔が浮かんできて、自分のことのように嬉しくて涙が出ました。後任の広報さんには、上場まで導いてくれたことを本当に感謝しています。

ー 広報は向いていないとご自身で仰せのようですが、なぜ広報職で転職されたのでしょうか。

自社のことをよく言ったり、メディアさんに提案することが昔から苦手でした。記者さんとお会いしても、専門家としていまどこに興味があるのかと質問攻めにしたり、雑談になることが多くて…。

結果的にその雑談から取材につながることが多かったのですが、いまでも自分が広報として活動できていたのかは疑問です。向いていないと思っています。

それでも広報として転職した理由は、私のキャリアで役に立てそうなのは広報かなと思ったからでした。

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坂ノ途中では、広報から営業に転籍

ー 広報職で転職されたものの、いまでは法人営業のマネージャーをされているそうですね。転籍の時期と、きっかけは何ですか。

入社して1年くらいで、代表に直談判して転籍しました。きっかけは2つあります。

ひとつは、広報活動は現場の力が伴っていないと、力を発揮しないと思ったからです。地上戦をやる人がいて、その上で空中戦である広報活動をする。その2つがあってこそ、相乗効果で成果が出ると思っています。その当時、地上戦をやる人が少なくて、そちら側に回ろうと思いました。

ふたつめは、わたし自身の業界知識が不足していると感じたからです。広報は俯瞰して物を見ないといけないので、知識が不足していると、誤った方向に誘導する可能性があると思いました。農業は学問で奥が深いですし、いまの状態で広報をするのは危険だと思いました。

ー 転籍されてからは、どのような業務内容だったのでしょうか。

生産者さんの気持ちも知りたいと思ったので、マネージャーをしている本業の法人窓口の勤務は、週2日に抑えてもらいました。その分、半年間はバイヤーがいる生産者窓口で、週3日社内留学をさせてもらいました。それだけではわからないので、1年間は週末を利用して農業学校にも通いました。

それでも、いまでも知識不足だと感じることが多いです。難しい世界だなと思っています。

坂ノ途中の野菜を使った「まかない」
坂ノ途中の野菜を使った「まかない」、取扱う野菜を試食するという大事な意味もある。

ー 広報を離れたからこそ思う、広報の重要性とはなんですか。

当時、自社のタイミングではないと思ったものの、いまでも広報は大事な仕事だと考えています。坂ノ途中は、いま必要なことをしている会社だと思っています。でも、事業を続けているだけでは伝わり切らない。社会に認識してもらうには、広報の力が絶対に必要だと思います。

地上戦を戦える仲間が増えてきたものの、安定させていくにはまだ時間が必要です。以前のような、広報専任に戻ることはないと思います。ただし、会社としては広報に力を入れていくべきフェーズになったと感じています。

SDGsとかサステナブル、持続可能な社会といった言葉が注目を浴びるようになってきました。より良い社会に向かっていくために、今後も会社として行動が伴った発信をしていきたいと考えています。

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広報は世界をより良い方向に先導する人

「広報は世界をより良い方向に先導する人」と言う横澤さんの言葉には、背筋が伸びる思いでした。

一度は広報を離れたものの、広報は必要な仕事と言い切る横澤さん。自分が惚れこんだ会社で、職種に拘らず、徹底的に力を尽くす。そんな横澤さんの覚悟を感じました。

今後も横澤さんは、その時々に自分ができることを考え、それを愚直に実行されることでしょう。

(撮影:三好 沙季)

この記事のライター

永井玲子

東京・大阪でメディアリレーションを行う関西在住の広報パーソン。新卒でルート営業、2社目に入った会社で未経験ながら広報をゼロから立ち上げ、広報キャリアをスタート。2021年からフリーランス。自分が良いと思った「地方」の人・物・サービスを応援するために広報をやっています。日々頑張っている全国の広報パーソンが正しく評価されるよう、PR TIMES MAGAZINEで想いを紹介したいと思います。

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